キャッシュレス社会の到来で現金が消滅すれば、脱税対策にはなるだろう。しかし、社会で最も弱い立場にある人々の排除が強まり、個人の自由が脅かされるかもしれない。ギリシャのストリートペーパー『シェディア』が「キャッシュレス社会」の最前線に立つスウェーデンを訪れ、ギリシャ財政の未来について考えるとともに、現金とカード払いの心理的差異についても学んだ。
スウェーデンでは教会でもキャッシュレス化
ストックホルムのフィラデルフィア・プロテスタント教会に来ている。この教会に通う千人の教区民のうち、教会への寄付(毎週)に現金を使う人はごく少数だ。© Pixabay
教会内に設置された大画面に(教会の)口座番号が表示され、信者たちはスマートフォンの 「Swish」という個人間の直接送金が可能となるアプリを使って寄付をする。このアプリは、スウェーデンの大手銀行10行でも採用されている。「Kollektomat」というカード機の前に列を作って寄付をしている信者たちの姿も。スウェーデンのポップ・グループ「ABBA(アバ)」(活動期間は1974-82年)が「Money, Money, Money」を歌ったのは70年代だが、今や彼らの母国で現金が絶滅寸前にあるのだ。
現在、北欧諸国では小売取引の8割がクレジットカード払いで行われている。スウェーデン国内には「現金お断り」を掲げる店が増える一方。民間金融機関の計1,600支店のうち900店舗では現金の預け入れ・引き出しができない。現金対応している支店でも、現金預け入れを行なうには身分証明が必要だ。
2030年までに、紙幣と硬貨は完全に過去のものになるでしょう。このキャッシュレス化の動きに、中央銀行や政府は一切関与していません。より安く効率的な支払い方法を求める市場から自然発生的に起きた動きです。スウェーデン国立銀行の金融安定部門長ビョルン・セゲンドルフは言う。
運搬や保管コストがかかる現金取引は、現金を使用しない場合より高くつきます(現金取引0.9ユーロに対し、非現金取引は0.6ユーロ)。キャッシュレス化により安全面も向上しています。2014年に発生した銀行の武装強盗は23件と10年前より70%も減り、窃盗も10%減でした。現金を取り扱ってないバス運転手や店員を襲おうとはなりにくいですから。
キャッシュレス化によって助長される社会的排除
しかし、この流れにスウェーデン国内の人すべてが熱狂しているわけではない。キャッシュレス化によって社会的排除が助長されるとみる人たちもいる。アプリやデビットカードは誰もが使えるわけではありません。現金のない世界は、弱い立場にある人の生活をさらに困難にするでしょう。こう話すのは、スウェーデン警察および国際刑事警察機構の元総裁ビョルン・エリクソン。現在は、現金か電子決済かの取引方法は自ら決められるべきとの権利を主張する組織「Kontantupprore(現金の反乱)」を率いている。
銀行は、就労許可がない移民や薬物使用・犯罪歴のある人々はじめ、多くの人たちにカード発行を拒否しています。それに、高齢者はカードの扱いに慣れておらず、暗証番号を覚えるのもひと苦労。文字がよく見えないため、従来の取引方法を使い続けたいのです。「スウェーデン全国退職者連盟」は2016年、スウェーデン政府に対し現金流通の維持を求める請願書に16万4千人の署名を集めた。会長のクリスティーナ・テルベリは言う。
こうした人々のためにも他の選択肢が必要です。正当であるはずの支払い方法(現金)を選択することが不利になるなど、あってはなりません。現金を扱っている銀行に行くためだけに30万人以上が15kmも車を飛ばさないといけないなんて、おかしな話です。
アプリをダウンロードするためにスマホを持たなくてはならない。バスに乗る、公共トイレを使う、外食するためにデビットカードが必要となる。不便を感じる高齢者が増えています。退職したばかりの人たちはまだよくても、75歳を超えると厳しいです。インターネットを使っている人は3分の1ですし、7%がカードを持っていません。何らかの障害のある人、デジタル機器を全く扱えない人たちだっています。
現金を使い続けることの意義 VS 廃止論
キャッシュレス社会が引き起こす孤立化や社会的軽視を防ぐ解決策は、現金を使い続けることです。 ギリシャの「イピロス技術教育研究所」の財務会計学部、グリゴリス・ギカス教授は言う。現金を使い続けることは、銀行口座や金融資産がない人、例えば、ホームレス状態にある人や長期失業状態にある人たちをサポートすることになります。すべての電子取引にわずかの税金をかけ、集まったお金を基金として社会的弱者の支援にあて、国が各人名義のデビットカードを発行すべきです。現金を廃止すれば、確かにマネーロンダリング(資金洗浄)や汚職は減るだろう。犯罪行為は現金取引が主流のため、闇市場や脱税対策も強化できるだろう。しかし、現金廃止にはリスクも伴う。(現金が誰の手元にもないということは)預金はすべて銀行口座にあるということなので、常に金融危機や銀行倒産の影響下に置かれることとなる。ごく一部のケースを除いて、個人が資金を引き出すことも難しくなる。
さらには、金融当局がマイナス金利政策を適用、または民間金融機関が預金の実質価値を減らし口座手数料を課す、よりリスクの高い商品に投資する可能性なども出てくる。一時的なダメージが取り付け騒ぎに発展することを恐れなくて済むからだ。また、すべての取引に「痕跡」が残され、取引の匿名性が失われる。「銀行システムの運用」ならびに「市民のプライバシー保護」を厳しく監視する枠組みなくしては、キャッシュレス経済が及ぼす影響は計り知れないものとなるであろう。
© Pixabay
現金が廃止されれば、個人情報は政治や金融部門が一括管理することとなる ー こう提起するのは、ドイツの新聞ハンデルスブラット紙のエコノミスト兼記者であるノルベルト・ヘーリングだ。
現金によって、私たちに残された最後の自由とプライバシーが保証されています。おかげで私たちは権利を失わず、国やシークレットサービス、銀行部門や個人データ収集者によるコントロールや監視を免れることができています。現金が使われなくなれば、金融機関の守秘義務や支払い情報の機密性は無意味になります。*1フィンテック(Fintech)とはFinanceとTechnologyを組み合わせた造語で、金融と情報技術を結びつけた動きを意味する。
ドイツの銀行はもはや秘密を守らず、支払いを米国の「フィンテック(*1)」企業に外部委託しています。現金を使えなくなれば、オンライン取引情報にアクセスできる人なら誰もがあらゆる個人情報を知ることができます(お酒を飲む人かどうか、ギャンブルをするか、ライフスタイルは健康的か、慢性疾患に悩まされているか、不倫しているか、破産や違法行為を犯した人たちと経済的につながっているか等)。
闇市場や脱税に都合が良い現金は廃止すべきという議論もありましたが、昨今ではそれも覆されてきています。大手多国籍企業は電子マネーを動かすことで、(合法、準合法、あるいは完全なる違法的に)何十億ドルもの節税をしているのですから。
現金の使用はテロを起きやすくするという考えがあり、フランスは1,000ユーロ以上の現金取引禁止を決めましたが、根拠は十分ではありません。実際、テロリストは札束ではなく、架空会社や金融派生商品を使って資金調達しているのです。
私は2015年から、銀行口座に自動的に紐づけられた放送料金の支払いを拒否する取り組みを始めています。現金の廃止がすすむにつれ、自由や財産の権利が制限されていると感じるからです。当件は裁判沙汰になっています。「公共団体は正当な支払い手段を受け入れなければならない」と上告裁判所が判断するなら、同じことが公的金融機関にも適用されるべきです。
キャッシュレス支払いでストリート誌を売るビッグイシュー販売者ロビン・ファビアン
Hazel Welz-Cooke
現金で払う「痛み」が生み出すモノへの愛着
現金払いとカード払いでは買ったものに感じる「価値」が違ってくるのではないか ー このテーマで研究しているのはトロント大学のマーケティング学助教授アヴィニ・シャーだ。学生の頃、授業前によくコーヒーを買っていました。いつもはデビットカードを使っていたのですが、ある日カードを忘れたので現金で払ったんです。5ドルを手渡した時に、明らかに”痛み”を覚えたのです。そして、1杯のコーヒーがいつも以上に魅力あるものに思えました。何が違うんだ? コーヒー1杯に現金を使ったことで価値が高まったのか?数年後、研究者になった彼女は、この経験をもとに「カード払いと感情との相関関係」について実験を行った。
まず最初の実験では、被験者は現金またはカードで、通常7ドルするマグカップを2ドル値引きして購入する。 2時間後、被験者にマグカップを言い値で売ってもらう。カップの「所有時間」は同じにも関わらず、現金を使った人は「マグカップにより強い結びつきを感じる」と回答し、カード払いした人より約3ドル高い価格をつけた。
別の実験では、被験者に5ドルの現金または商品券を与え、3つの慈善団体のどれか1つに寄付をしてもらった。寄付をすると、その団体の襟章がもらえるのだ。結果、現金で寄付した人は商品券を使った人より、選んだ団体により強いつながりを感じることがわかった。
金銭コストが同じでも、支払い方法が消費者が感じる市場価値に影響することは明らかです。現金での支払いは、その行為の心理的な痛みや犠牲感を強め、対象とのより密接なつながりを生むのです。実際に、「痛み」が少ないデビットカードだと現金より多額を使いがちと指摘するのはニューヨーク大学心理学教授プリヤ・ラグビール。2008年に行った実験で、彼は47名のマーケティング学部生を、デビットカード組と現金組に分け、ゲスト6名分のパーティーメニューの買い物をさせた。 購入すべき食料は同じ(七面鳥、詰め物、ソース、パイ、サラダなど)だが、金額は自由に決めることができた。結果は見事なまでに、デビットカード組が約175ドルに対し、現金組は145ドルだった。
現金は手で触ることができ透明性も高いため、引き離されると強い痛みを感じ、嫌悪感も生じ、結果、使う金額が抑えられます。一方、カード支払いだとモノポリーゲーム感覚になり、さらなる消費が促されます。とラグビールは説明する。
ギリシャのキャッシュレス化は長い道のり
近年、ギリシャでも現金廃止に向けた提案がされているが、その財政的影響について十分に検討されているとは言えない。ギリシャで現金が消滅することはまだ当分なさそうだが、日常生活で現金が使えないシーンが増えているのは事実。2016年に制定された法律第4456号では、クレジットカードの普及を目的として、現金取引の限度額が1,500ユーロから500ユーロに引き下げられた。
2017年4月、ギリシャにおけるクレジットカード取引数は3倍に増えた(1人あたり13.3回→37回)。 と述べるのは「経済産業研究財団(IOBE)」の最高責任者ニコス・ヴェタス教授。
同組織のミクロ経済分析政策部門長のスヴェトスラフ・ダンチェフが続ける。
ただし、EU平均レベルに近づくには、クレジットカードの取引数をさらに5倍増やす必要があります。2016年度の法律は方向としては正しいものの、まだまだ消極的です。全店舗への端末の導入ならびに、脱税リスクが中〜高レベルの分野で年間売上高が15万ユーロ未満の事業に電子決済の受け入れ義務化も提案しています。これらを実施した場合、初年度の純便益は7億ユーロ程度と見積もっています。
私たちは的を絞ったインセンティブの導入を提案しています。例えば、商品やサービスを購入する際に、POS端末での価格を1%割り引くのです。脱税リスクが低い分野で1%、中程度で最大5%、高い分野で最大10%といった具合に。
By Spyros Zonakis
Translated from Greek by Theofani / Translators Without Borders
Courtesy of Shedia / INSP.ngo
お金・格差関連記事
・多重債務、カード社会の落とし穴—女性自立の会、有田宏美さんに聞く・アルゴリズムが格差を広げていく?就職活動、裁判やローン審査にも影響する可能性
・ストリートペーパーはデジタル時代をどう生き残るか?/2013年INSP 総会レポート
・水上宏明さんに聞く:貨幣の始まりと歴史、お金のリテラシー(2/2)
・「社会的企業やNPOが知っておくべき、ブロックチェーン技術の基礎」
・「ブロックチェーンを使えば自分たちの経済圏をつくることもできる」
ビッグイシュー・オンラインのサポーターになってくださいませんか?
ビッグイシューの活動の認知・理解を広めるためのWebメディア「ビッグイシュー・オンライン」。
上記の記事は提携している国際ストリートペーパーの記事です。もっとたくさん翻訳して皆さんにお伝えしたく、月々1000円からの「オンラインサポーター」を募集しています。
ビッグイシュー・オンラインサポーターについて
過去記事を検索して読む
ビッグイシューについて
ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。
ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊350円の雑誌を売ると半分以上の180円が彼らの収入となります。