ここ数年で、「アセクシュアル(無性愛者)」への理解を求める社会運動が急速に広がっている。Netflixドラマ『ハートストッパー』や『セックス・エデュケーション』などにも、他者に性的欲求を抱かない登場人物が出てくるが、まだ世間一般には誤解されている部分も多い。アセクシュアルが意味するところについて、セクシュアリティの研究を専門とする豪ラ・トローブ大学の社会学者ジェニファー・パワーが『The Conversation』に寄稿した記事を紹介しよう。


一般的に「アセクシュアル」というと、他者に性的欲求を抱くことが少ないかまったくないことを指すが、自分はアセクシュアル(略して「エース(ace)」と呼ばれることも)と考える人すべてが、過去にまったく性的欲求を感じたことがない、または性行為を経験したことがないわけではない。他者に性的な魅力は感じなくとも、強い“ロマンチックな”魅力を感じることはある。性行為に楽しみを感じるけれど、特定の人に惹かれることはないという人もいる。

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アセクシュアルにもさまざまなタイプがいて、たとえば「半性愛(デミセクシュアル)」は感情的に強い結びつきを感じた相手にのみ性的な魅力を感じる人をいう。広くそういう人たちを含め、「アセクシュアル・アンブレラ(asexual umbrella)」という。ロマンチックな関係や性的な関係を持っている人もいれば、逆に、セックスにまったく興味のない人たちもいる。また、アセクシュアルは他の性的アイデンティティと重なる部分もあり、クィアやトランスジェンダーに分類される人たちもいる。

データが示すアセクシュアルの割合

アセクシュアルが性的アイデンティティや性的指向として調査対象になったのはごく最近のことなので、データ自体が限られているが、いくつか紹介しよう。英国の2004年度人口調査をもとにしたデータ分析では、「他人に性的に惹かれたことがない」は回答者の1%だった(ただし、“一度も他人に性的に惹かれたことがない”と認めたがらないアセクシュアルも多いため、これは正確な数字ではないおそれもある)。2019年、オーストラリアで行われたLGBTQIA+(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア、インターセックス、アセクシュアル)に関する大規模調査では、回答者の3.2%が“自らをアセクシュアルと認識”していた。また、国際的なオンラインコミュニティ「Asexual Visibility and Education Network(アセクシュアルの可視化と教育ネットワーク)」には、12万人超の会員がいる。

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アセクシュアルの認知拡大運動に発展

これまでもずっと人間の性的多様性のひとつとして存在してきた「アセクシュアル」を、性的アイデンティティとして確立し、コミュニティを築こうとする運動が立ち上がったのは2000年代初頭からだ。インターネットの進歩によって、当事者たちがつながり、組織化しやすくなり、レズビアン・ゲイ・同性愛・トランスジェンダーの権利向上とよく似た動きが生まれたのだ。

異性愛、同性愛、または両性愛と同じく、アセクシュアルというアイデンティティは、自身の欲望によって定義される。ただし、人生のある時点で、性欲が落ちる、またはまったくない状態を経験する人も多いため、アセクシュアルを“アイデンティティ”として定義することの意義は誤解や批判をまねきやすい。

性的アイデンティティと性欲の違い

セクシュアリティ研究で知られる社会学者ジェフリー・ウィークスは、同性に惹かれる男性についての精神分析における探求が、現代西洋におけるセクシュアリティの理解に大きく貢献したと指摘する。「同性愛」も、その人の精神にとっては核となるもの、とみなされるようになったのは、19世紀末のこと。それまで同性愛者は、罪深く、堕落したものとみなされ、セックスは人としてのアイデンティティではなく、単なる行為とみなされていた。「同性愛者」という分類がなかったどころか、「異性愛」という概念も、性的指向の分類が進んだことでうまれたのだ。

今日では、性的アイデンティティは自分を自分たらしめる重要な要素と考えられるようになっている。レズビアン、ゲイ、または両性愛者の人にとって“カミングアウト”することは、同性愛に対する慣習的・文化的な向かい風の中で、自意識を確立し、仲間との連帯感をあたえることになる。

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同性愛者ほどには法的・道徳的な問題にぶつかったことはないものの、アセクシュアルの多くは、セックス、恋愛、結婚に関して、従来の慣習にそぐわない行動を取るため、家族やまわりの人たちから理解されないことも多い。性的な関係性は“良い生活”の大切な要素だと考えられ、セックスや性欲(性的魅力)、結婚や子どもを生むことに大きな価値が置かれてきたため、アセクシュアルやセックスを望まない人々は、しばしば問題のある、人として不完全であるとみなされることがある。

さらにこの傾向は、無性欲は“治療すべき問題”であるという医学的・心理学的な考えによっても後押しされかねない。精神科医が精神疾患の診断に使用する『精神疾患の診断・統計マニュアル』でも、「性的欲求低下障害(HSDD)」はひとつの疾患として扱われている。このような診断上のカテゴリー分けは、性欲の減退で悩む人々の治療には重要かもしれないが、アセクシュアルを病的なものとしてとらえる風潮につながりうる。

「アセクシュアルはまっとうな性的アイデンティティである」との認識を確立するには、アセクシュアルが欠陥であるとの見方に抵抗していく必要がある。アセクシュアルの啓蒙活動とは、性的経験にまつわる一般的な前提を見直そうとするものであって、決して反セックス運動などではない。むしろ、アセクシュアルというアイデンティティの正当性を肯定し、認めることで、性の多様性への理解が広がる、まさにセックス・ポジティブな姿勢なのだ。

著者
Jennifer Power
Associate Professor and Principal Research Fellow at the Australian Research Centre in Sex, Health and Society, La Trobe University

※本記事は『The Conversation』掲載記事(2023年11月16日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。

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