紀元前399年、アテネではソクラテスを死刑に処することが公開裁判で確定した。でっち上げともいえる政治的嫌疑をかけられたソクラテスだったが、市民の大多数によって民主的に決められたことだからと、その死刑判決を受け入れた。

このような「過ち」を回避すべく設計されたのが、現代の民主主義である。アテネで起きたような「多数決による死刑判決」を防ぐため、刑事被告人に対する司法上の特別保護が憲法に盛り込まれてきた。いまだに死刑を認めている国もある一方で、2020年代となった今は、死刑廃止論が広く優勢となっている。米国では、約半数の州が死刑を廃止しており、残りの州でも長く死刑が執行されていないところが多い。死刑支持者の割合も減少傾向にある。
 

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Photo courtesy of Jonathan Cooper on Unsplash

米国では2024年に初の窒素ガス処刑

2024年になって、米国ではケネス・ユージン・スミスへの死刑執行をめぐり議論が巻き起こった。30年以上前に殺人罪で死刑判決を受けたこの被告は、1月25日、米アラバマ州の刑務所にて、窒素ガスを用いた処刑にかけられた。獣医師がペットの安楽死に用いることすら躊躇するこの処刑方法を、「苦痛に満ち、人としての尊厳を傷つける」と多くの専門家が批判した。しかも、スミスが死刑執行室に送り込まれたのは今回が2度目だった。2022年11月にも薬物注射によって死刑を執行されたが、数時間苦しんだ末に失敗に終わっていたのだ。

妻を殺害したいと考えた卑劣な牧師からの依頼で人殺しの仕事を千ドルで引き受けたスミスと高名な哲学者ソクラテスでは事情が異なる。ソクラテスの死刑における問題は、民主的な(はずの)アテネの人々が同胞市民に死刑宣告を与えたことにある。

擁護派・反対派の意見

まさにソクラテスのような人たちの運命が現代の憲法立案者を駆り立て、孤立無縁の個人を多数派が抑圧しうる法律や手続きを、民主的プロセスから取り除いてきた。現代の民主主義を特徴づけるのは、多数派だけでなく少数派ーーたった1人であってもーーの権利も尊重されなければならない、という考え方だ。ただ、そのあるべき姿は必ずしも明確になっておらず、多くの民主国家で死刑制度が廃止されているのは、「野蛮であり残酷である」という理由からである(死刑擁護派はこれを“過剰にウェットなリベラリズム(bleeding-heart liberalism)”と批判するが)。

哲学者カントをはじめとする死刑擁護派は、「人を殺害したのであれば、死ななくてはならない」と主張するが、「その刑罰を受ける人の人間性を踏みにじりかねない不当な扱いであってはならない」ともカントは付け加えている。これに対して死刑反対派は、たとえその罪が疑う余地のないものであっても、人間社会は誤りを犯しやすいものなので、国家(あるいは州当局)が人の命を奪う権利はないと主張する。

このような倫理的な議論は、中国やイラン、サウジアラビアなど、今でも数多くの死刑が執行されている国では有効だろうが、成熟した民主主義国家では、それを超えた議論が必要であろう。

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死刑が民主主義に反する理由

死刑制度をめぐる議論でよくあるのが「多数決の原理」で、その善悪にかかわらず、大多数の市民が賛成しているなら死刑に処されるべきとの理屈だ。しかし、公民権とは民主主義の“前提”となるものであって、出生証明書やパスポートのように目に見える形としての“成果物”ではない。

民主主義社会では市民自らが統治を行う必要があり、すべての市民に世論形成に参加する機会がないなら、その法律は効力を持たない。あるべき民主主義においては、たとえ多数派の決断であっても、他の市民からその機会を完全に奪うことなどできないはずだ。同胞市民を死刑に処するというのは、その人物がどんなに忌まわしい者であったとしても、これに違反することになる。

多数決によって可能となることもいろいろとあるが、他の市民の権利を奪うことはあってはならない。その顕著な例が死刑制度である。死刑というのは、その人の権利を侵害するだけでなく、民主主義に反することなのだ。

これは文明人として慈悲深くあれ、といった話ではない。それらに値しない人もいるではないか、と反論する人もいるだろう。死刑制度の廃止は、そのようなあいまいな感情に訴えるものではない。アラバマ州の監房から聞こえてくる小さなささやきでさえも、民主主義社会を構成する市民の声であることに変わりはない。刑罰として“自由の剥奪”は認められても、命の剥奪までは許されないはずだ。民主主義社会で生きていくのであれば、その存在条件を損なう規範や慣行を受け入れるべきではない。

By Eric Heinze
Courtesy of The Conversation / INSP.ngo

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