母国の政治腐敗や経済的不平等により出稼ぎ労働者とならざるをえない人の中には、滞在許可証をもたずに働く人も多い。スイスでは労働人口の2%を占めるといわれ、家事労働や建設業、外食産業などで社会を支えているが、日常生活は摘発の恐怖に怯えながら身を潜めて暮らしているのが実態だ。

下記は2021-04-01発売『ビッグイシュー日本版』404号(SOLDOUT)からの転載です。 

友人を頼り、母国へ仕送り
コロナ禍で仕事失う家事労働者

 スイス・バーゼル中央郵便局の建物に入ると、トゥヤ(仮名)は左右を見渡し、大きなサングラスをかけた目でホールをじっくりと見極める。恐怖で背筋がぞっとするという。近年、こうした用心深さを欠かしたことはない。近くに警官がいたり、何かが起こりそうな気配を感じたりした時はすぐに姿を消すようにしている。

 この日の午後の郵便局は大丈夫のようだ。トゥヤは番号札を取り、列に並ぶ。バックパックには1000フラン(約12万円)入りの封筒が入っている。彼女はスイスで稼いだわずかなお金をこつこつ貯めて、年に2度モンゴルの両親に送る。隣にいるのは、代わりに送金してくれる友人だ。トゥヤ自身は滞在許可証を持たないため、送金も口座の開設もできない。

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真ん中にあるのはスイスの滞在許可証

 トゥヤは10年前に紆余曲折を経てスイスへやって来た。当初、モンゴルの会社がハンガリーでの仕事を紹介したが、到着するやいなや上司はパスポートを取り上げ、数ヵ月無給で働かされた。母国へ帰る手立てもなく、スイスに住んでいた友人に誘われ、他人のパスポートを使って国境を越えた。

 以来スイスに住み、アパートの清掃やベビーシッターの仕事で収入を得てきたが、コロナのせいで仕事の半分近くを失った。感染を恐れて家事労働者を自宅に入れない家庭が多いからだ。そのため「貯金をほとんど使い切ってしまいました」と言う。

 スイスで「サン・パピエ」と呼ばれる、滞在許可証のない非正規滞在者は推計10万人(※1)。これは総労働人口の約2%にあたるが、正確な数字は明らかになっていない。チューリッヒで支援所を開くビア・シュワガーは「家族に仕送りをするため、多くの人が仕事を求めて母国を出ます」と話す。自国の政治・経済状況では将来に希望が持てない人や、病気のきょうだいの治療費を賄うため、あるいは年金も貯金もまったくない両親のために出稼ぎに来るというのだ。じつはスイスでは中南米やEU以外のヨーロッパ諸国から出稼ぎに来る人が多く、家事労働のほか建設業や外食産業などで働いている。

※1 日本には約8万人存在する。(20年、法務省による超過滞在者=オーバーステイのみの統計。法務省は「不法残留者」と呼んでいる)

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「サン・パピエ」はフランス語で、直訳すれば「書類なし」の意
Illustrations by Isabel Albertos

警官の職務質問に怯える日常
自分のことは誰にも話さない

 しかし、不安定な雇用がほとんどだ。賃金は業界平均を下回り、雇用契約を交わしていないケースや職務中の事故・病気に備えた保険もないことが多い。アパートを借りることもできず、街を歩けば警官に職務質問されないかといつもびくびくしている。犯罪の被害者になったとしても、通報すれば自分の状況をさらすことになるだろう。彼・彼女らは国外追放となるリスクを負い、当局の追跡を逃れながら、世間から隠れて暮らしているのだ。

 トゥヤは、モンゴルの首都ウランバートルで生まれ育った。同国の人口の約3分の1は貧困状態にあり、都市部では貧困率がさらに高い。父はトラック運転手で母はバスの切符販売、トゥヤ自身は貿易会社の事務補助として家族の生計を立てていたが、暮らしは苦しく、月末には口座に一銭も残っていなかった。冬の気温は零下30度にもなったが、両親や妹と住んでいたのは窮屈で断熱効果のほとんどない2間のアパートだった。

 スイスに来た当初の生活も厳しかった。ルームシェアの家賃を払うためにいくつもの会社で清掃の仕事を掛け持ちしたが、時給は15フラン(約1750円 ※2)に満たない会社もあったという。それから10年、コロナ以前は9つの家庭で時給25フランで働き、月に2000フラン(約24万円)以上を得ていた。これは非正規滞在者としては多いほうだ。たいていの人は月1000フランを稼ぐのがやっとで、それ以下の人もいる。

※2 スイスは世界で最も生活費が高い国の一つであり、17年に同国初の最低賃金制度を導入したヌーシャテル州では最低時給を20フランに設定した。(参照:swissinfo.ch)

 トゥヤは求人広告を見て応募したことはない。「信頼のおける女性が、掃除、アイロン、子どもの世話をいたします」と書いた小さなメモを街中の掲示板に貼るだけだ。客や知り合いが仕事を紹介してくれることもあるという。

 仕事が終わればダンスレッスンとドイツ語の授業を受け、時には音楽会などでボランティアとして働くことも。「時間とお金がある時は、電車に乗って山へ行きます」と彼女は言う。だが、自分のことは誰にも話さないし、ダンスのパートナーや新しい知り合いから過去について尋ねられた時は、微笑みながらすばやく話題を変える。どうしても知りたがる人には「母がスイスに移民して自分もついて来た」と言うことに決めている。働く先の家庭でもそう話してきた。

正規化に転換したEU諸国 まず10年以上働く人に滞在許可を

 滞在許可証を手に入れるにはスイス国籍をもつ人と結婚するか、10年以上住んだ後に「困窮申請(Härtefallgesuch)」の制度を利用して特別な滞在許可を得るしかない。申請には安定した収入と堪能なドイツ語、そしてスイス社会に溶け込んでいる必要があり、トゥヤはこれらの条件を満たしているものの、雇用継続証明書が求められる。雇用主に、今後も彼女を雇用し続けることを書面で保証してもらわなければならないのだ。

 しかし、そうするには雇用主に本当のことを明かさなければならず、「正直に話せば仕事を失うのではないかと心配です」とトゥヤは言う。実際に依頼したこともあるが、少し考えさせてくれと言われたきりこの件は二度と話題に上らなかった。「もうどうすればよいかわかりません」とため息をつく。

 非正規滞在者たちは、高度な専門職をもつ人とは異なり合法的に働く機会がない。だが、彼・彼女らがスイスに存在するということは、この地にも雇用市場があることを示している。スイス社会は安価な労働力としての「サン・パピエ」から恩恵を受ける一方、本人たちが常に国外退去になる恐怖にさらされ暮らしていることには目を向けていない。

 フランス、ドイツ、ノルウェーなど他の国では1970~2000年に国を挙げての正規化が行われ、300万人以上の非正規滞在者に滞在許可証を発行。それ以降、他の国々もこれに従い、昨年のコロナ禍ではイタリアが22万人(国内の非正規滞在者の約3分の1)に一時的な滞在許可を与えた。スイスではこの20年、難民支援団体が一定数の正規化を要求してきたが実現していない。まずは第一歩として、10年以上暮らし働いているすべての人に滞在許可を与えるべきだ。

 トゥヤはスイスで暮らしたい。モンゴルでは将来がない。自分の人生を自分で決められるなら、保育士になる勉強をしたいという。スイスで10年以上暮らしているが、いつも電話で話しているだけの両親や妹にも会いたくなった。結婚をして家庭を持つのも悪くない。しかし、何をするにも滞在許可証が必要だ。

(Simon Jäggi, Surprise/INSP/編集部)








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