ピアニストのフジコ・ヘミングさんが亡くなった。2023年11月に自宅で転んで入院。その療養中に膵臓がんが見つかり、2024年4月21日に容体が急変したとのこと。フジコさんの友人であり、2023年『ビッグイシュー日本版』461号の巻頭インタビューを執筆したライターの森山文央さんから、追悼記事が届いた。クリスチャンだった奇蹟のピアニストは、ついに「念願の」天国に旅立ったのだという。
『ビッグイシュー日本版』461号スペシャルインタビュー誌面
2023年夏、『ビッグイシュー日本版』461号のロングインタビューの冒頭で、フジコさんはまずこう言った。
「私(わたくし)はね、早く天国に行きたいの。大好きな人たちや、猫たちがみんな待ってるから」。
そう言って、片頬をきゅっと上げてチャーミングに笑ったのだ。
フジコさんは、国内外で年間50以上のコンサートをこなし、どの会場も満員にするたいへん人気のピアニストだ。そんな大スターが、なぜ……?
彼女は、こう続けた。
「でもね、神様から与えられた命だから、この命をきちんと生き切らなければならないの」
90歳を越え、腰の痛みや腕のしびれに悩まされていたが、その演奏には多くのファンの心を奪う「パワー」があった。
会場が魔法に包まれる瞬間のために
2023年6月、大阪・フェスティバルホール。豪奢なドレスをまとい、歩行器を押して舞台袖から登場すると、会場に大きな拍手が響く。演者を励ますような温かい拍手に包まれてピアノの前に座ると、目を閉じて息を落ち着け、ふうっとひとつ息をついてから鍵盤に指を走らせる。
1時間を越えるコンサートの終演前には、必ずリストの難曲『ラ・カンパネラ』を弾く。ミスタッチもある。けれども、その音楽はフジコさんにとって「私にしか出せない音」で、「神様からもらったのよ」という手が紡ぐ魔法なのだという。
「コンサートでね、泣いてるファンがいるのよ。私のピアノを聴いて、涙を流すの。」
そう語るフジコさんは、ほんとうにうれしそうだった。
会場いっぱいに溢れる賞賛と感動の拍手を受けて、歩行器を押して舞台袖にはける。そして、「もうくたくたよ」と言いながら、誇らしげな表情で楽屋に戻った。
コンサートの前は、とても緊張するの」と話していたフジコさん。演奏が終わるとようやく笑顔をみせた
撮影:福岡耕造
弱いものたちを助けたい
フジコさんがいつも気にかけていたのは「弱いものたち」のこと。インタビュー取材で伺った東京・下北沢の自宅には9匹の猫が暮らしていた。「この子は威張ってるから『ヒトラー』っていう名前。他の猫にいじわるもするのよ。こっちの子はね、臆病なの。みんな捨てられてひどいめにあってるから懐かないのよ。でも、猫はかわいいわよ。動物をいじめる人はほんと、許せない」
たくさんの猫と一緒に暮らしていた東京・下北沢の自宅には「大好きな母のピアノ」が置いてあった
撮影:森山文央
猫や犬のために、尽力してきた。あるとき、ビッグイシューの取り組みを知って、
「犬や猫を飼っているから部屋を借りられない人がいるって聞いたの。私の家をそういう人たちのために使えないかしら」と、自身の家を活用したいと話してもいた。
「前にね、紛争地の国境の街に行ったことがあるの。ペットの犬や猫が置き去りにされていて、本当にかわいそうだった。人間って、ほんとに残酷なことをするのよ」
かつて、演奏の機会に恵まれず、ヨーロッパで不運の日々を送っていた時期があった。
「ドイツでもどこでも、いつも動物が一緒だったの。一人で寂しかったけど、動物たちがいつもそばにいてくれた。おんぼろの車の助手席に犬を乗せて高速道路を走ったりもしたわ。私の車があんまりゆっくり走るから、お巡りさんに捕まったこともあるのよ。大声でやりあったわ」
と、おもしろそうに笑った。「不遇だった」といわれる欧州時代だが「苦労をした」といわれることを好まなかった。
戦争はムダ。ぜったいにしちゃいけない
幼いころに戦争を経験したフジコさんはいつも「戦争はムダ」と語っていた。2021年2月24日、筆者は、滞在していた彼女のベルリンの自宅で朝を迎えた。フジコさんは先に起きて、テレビのニュースを見ていた。「ねえ、あなた。ロシアがウクライナを攻撃したわよ。戦争が始まる。人間はなんて愚かなことを繰り返すのかしら」
テレビから流れるドイツ語のニュースを聞いて、そう嘆いた。耳が遠いフジコさんは、テレビの音を大きくしている。アナウンサーが、緊迫した面持ちで戦争を伝えている。
「ウクライナには友だちの音楽家がたくさんいるの。キーウは、とても美しい街。プーチンはなんてことをするのかしら。戦争なんて、ぜったいしちゃいけないのに」
そう言って、じっと画面を見つめた。
フジコさんは、東京と欧州を行き来して演奏活動をしていた。ベルリンの自宅で(2022年2月撮影)
撮影:森山文央
第二次大戦のころ小学生だった彼女は、
「空襲がきて、防空壕に隠れたの。暗いところで、体がガタガタ震えた。その時『ああ、私はここで、まだ世界の美しいものも知らずに死んでいくのか』って思ったのを覚えているわ」
と、自分の体を抱きしめるように両腕を組んだ。そして、ピアノを弾き始めた。
90歳を過ぎても現役のピアニストだったから、毎日数時間、多い日には5時間ほどもピアノに向かっていた。この日は、ショパンの『ノクターン』も『ラ・カンパネラ』も、哀しく聴こえた。
コロナ禍でコンサートができなくなった2020年に、フジコさんはこんな動画コメントを出した。 「みなさまお元気ですか。コロナでたいへんですね。私は戦争中にたいへんな目に遭ってますから、それから比べれば、まだ、なんか、大丈夫です。がんばってください。みなさん、挫けないで」
今も世界のあちこちで戦いが起きている。弱いものたちが虐げられ、痛めつけられる。フジコさんの「がんばってください。挫けないで」という気持ちが込められた演奏を、ホールで聴くことはもうできない。
「この命を生き切る」と言って、92歳の生涯を見事に生き切ったフジコ・ヘミングさん。美しいものに囲まれ、美しい音楽を伝えた。弱いものたちに心を寄せ、神と天国のことをいつも話していた。 音楽に恋をして、気高く生きたフジコさんの魂は、もう天国に到着したはずだ。
取材・文:森山文央
『ビッグイシュー日本版』461号
スペシャルインタビュー:フジコ・ヘミング
https://www.bigissue.jp/backnumber/461/
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https://www.bigissue.jp/2022/09/24354/
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