英国では、一時シェルターから定住用住宅に移り住むことができても“空っぽ”の家に投げ出され、ベッドなど最低限の家具を買えずに暮らす人たちが約200万世帯、480万人いる。コロナ禍で一時的に増額されていた低所得者向け生活手当(※)も、2021年10月から元の金額に戻ることが決まり、“家具の貧困”に拍車がかかると懸念されている。
※ 「ユニバーサル・クレジット」と呼ばれ、約550万世帯が受給。一時増額の施策が終了することで、一世帯あたり年間1040ポンド(約15万円)の給付減額となる。
この記事は 2021-09-15 発売の『ビッグイシュー日本版』415号(SOLDOUT)からの転載です。
低家賃の公営住宅、家具付き2%
何もないがらんどうの“箱”
英国、ロンドン北西に位置するバッキンガムシャー州。2児の母アニータ・ダンス(40歳)は、道端に捨てられ、濡れて水を吸ったマットレスをほしいと思う日が来ようとは夢にも思わなかった。「あのベッド・マットレスを見て『ああ、お日さまが照ってマットレスが乾いていたら、家に持って帰ってあの上で眠れるのになあ』って思ったんです」
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ダンスは一時的なシェルターでしばらく過ごした後、自治体から紹介された住宅に子どもたちと移り住んだ。しかしそれは、家具も家電製品もカーペットもカーテンも何もない、がらんどうの箱みたいな住宅だった。
途方に暮れていたダンスだったが、低所得世帯にリサイクル家具を格安で提供してくれるところがあると聞き、地域の支援団体「ハイ・ウィコム・セントラル・エイド」を訪ねた。同団体を通じて、最低限の家具と双子の子どもたちのベッドはなんとか入手できたが、自分のベッドフレームやマットレス、ソファはあきらめざるをえなかった。「私が犠牲になって床で寝るしかありませんでした」。彼女はそう言いながら掛け布団を二つ折りにして、冷たい床の上にクッション代わりに敷いた。
「お金が工面できなかったのです。まずは台所用品を買わなくてはならなかったので、私のベッドまで買う余裕はありませんでした。洗濯機もなかったし、生活必需品すらない、ないないづくしの生活でした」
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生活困窮者の支援を行うチャリティ団体「Turn2us」によれば、ダンスのように最低限の家具や家電製品すら買えずに暮らす人たちは英国でおよそ480万人、200万世帯にものぼる。さらに、「家具の貧困に終止符を(End Furniture Poverty)」キャンペーンの推計では、民間アパートの29%は程度の差こそあれ何らかの家具付きで賃貸されているのに対して、比較的低家賃の公営住宅で家具付きの部屋はわずか2%にすぎないという。“家具の貧困”は家庭生活や人づきあい、心の健康に長期的な悪影響を及ぼす、とキャンペーン関係者は懸念する。
冬の夜、身体を寄せ合って眠る
1年以上、マットレスなしの母
“家具の貧困”は、食料や電力の貧困と同様、今に始まった現象ではない。原因は日々の食費や生活用品の購入、家賃の支払いなどで手いっぱいとなり、家具に回せるほどの収入がないことだ。英国で相対的貧困状態にある人は、コロナ前で約1450万人。一方、2021年末の失業率は約4・75 %になるとの試算もあり、今後ますます多くの世帯が困難な状況に置かれると予想される。ダンス一家が一時シェルターから定住用住宅へ転居したのは18年初頭、冬のこと。新天地で生活を再建するはずだったが、現実は違った。新居は、もともと市営住宅だったところを非営利の住宅協会が運営するようになった物件だ。「唯一あったのは、天井の照明だけでした」とダンスは言う。「電気と水道は通っているから、あとは勝手にどうぞ、という感じでした」
「あの晩は本当につらかったです」と、ダンスは引っ越し当日の夜を振り返る。親子3人で、リビングの床の上に身を寄せ合って寝た。「人生で最悪の夜でした。少しでも暖をとるために、3人の身体を絡ませて眠りました」
冷蔵庫もなければ、台所用品も家具もなかった。「お願いだからカーテンだけでもつけてください。でなければ、私たちが空っぽの家に住んでいることが外から丸見えです」とダンスは担当者に懇願した。しかし、ないものはない、とにべもなく断られたという。
この頃一家は、地元の教会から食料支援も何度か受けていた。彼女は当時の心境をこう語る。「外出する時には、(悲壮感が表に出ないよう)必死に笑顔をとりつくろっていました」
「セントラル・エイド」から2度目に家具を提供してもらったのはそれから1年後だ。育ち盛りの息子たちの身体が大きくなり、今までのベッドでははみ出すようになったからだった。しかし、同団体の責任者スチュアート・アレンが一家を訪ねて気づいたのは、ダンスがそれまで1年以上も床で寝ていたことだった。
アレンにSOSを伝えたのは双子の子どもたちだった。「息子たちがアレンに『見て。うちのお母さんは床に寝ているんだ』と言ってくれたのです」とダンスは語る。
家具再生で“家具の貧困”撲滅
家具付き公営住宅と福祉手当を
アレンは当時を振り返る。「あの日のことはよく覚えています。家具を届けに行って、母親のベッドがどこにもないと気づいたのです。現状を何とかしようと奮闘する彼女を見て、この人は本当に何も持っていないんだ、と呆然としました」アレンのところにはあいにく提供できるベッドフレームはなかったが、ひとまずマットレスをダンスの家に届けた。そして約2年後、今年の4月になって、ようやく同団体から中古のベッドフレームが届いた。「アレンには本当に助けられました」とダンスは言う。
低価格でリサイクル家具を提供する「セントラル・エイド」は、電動工具ブランドのリョービUK(日本のリョービ株式会社が始まり)をはじめとして、イングランドのサッカー選手アデバヨ・ アキンフェンワ、同州を本拠地とするサッカーチームのウィコム・ワンダラーズと協力し、“家具の貧困”の撲滅に向けた「家具再生キャンペーン」を立ち上げた。
セントラル・エイドの店舗。1906年から1世紀以上、チャリティ型家具店を営む
Photo: IMAGO / PRiME Media Images
このキャンペーンは、リョービUKが「家具再利用ネットワーク」に加盟するチャリティ団体に工具とノウハウを提供し、各団体が古い家具を修理できるようにする仕組み。不要となった家具や家庭用品を捨てないよう呼びかけ、集めて修理した後、家具を購入できない家庭に届ける取り組みを行っている。
一方、「家具の貧困に終止符を」キャンペーンの政策部長クレア・ドノヴァンは言う。「家具の再利用は解決策のひとつではありますが、本当に必要なのは、家具が備え付けられた公営住宅を増やすこと、自治体からの適切な福祉手当が支給されること、必要な予算措置を政府が行うことです」
ダンスは今、清掃の職を得て働いている。決して高い給料ではないが、つつましく暮らしてはいけるという。セントラル・エイドから提供された中古家具のおかげで、今やダンスの住まいは、すっかり家らしくなった。
「夢の家、とまではいきませんが」とダンスは言う。「この先もずっと暮らせて、家具もある。ようやく『我が家』と呼べるような場所になりました」
(Jem Bartholomew, The Big Issue UK/INSP/編集部)
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