事故直後に簡素化された“初期被曝スクリーニング検査”。甲状腺がんと「因果関係なし」の結論に異議、福島県に経緯検証を要望 2019/09/07 福島第一原発事故の直後、住民や避難者の放射能汚染を測定する福島県のスクリーニング検査の手続きが大幅に簡素化されていた。そのため、検査を受けた人やのちに甲状腺がんを発症した人が、自身の初期の甲状腺被曝量を把握できない状態になっている。続きを読む
数十倍高い子どもの甲状腺がん罹患率。それでも「放射能被曝と関連なし」の報告書案/内部委員からも「60点」「五合目」の厳しい評価 2019/08/03 原発事故後の子どもの甲状腺がんと放射能被曝の関連は、問題含みであいまいなままに終わっていってしまうのか。福島市内で6月3日、福島県県民健康調査の「甲状腺検査評価部会(※)」(部会長・鈴木元・国際医療福祉大学教授)が開かれ、委員らが子どもの甲状腺がんと放射線との関係性をまとめた報告書案を議論した。続きを読む
原発避難の高校生、ローマ法王と謁見「多くの福島の人々が傷つき、分断されています」現在も続く事故の被害を訴える 2019/07/07 「日本政府と東京電力は事故の責任を認めず、そのことで多くの福島の人々が傷つき、分断されています。どうか福島に来て、人々のために祈り、励ましてください」。福島県いわき市から東京都に避難している高校生が実名で立ち上がった。高校2年生の鴨下全生(まつき)さんだ。続きを読む
国家公務員宿舎からの退去を迫る、福島県の文書。障害や病気、高齢の一人暮らし…追い込まれる生活困窮者 2019/06/09 「あえて申し上げます。知事は福島県政の歴史に『棄民強行』の4文字を刻むのでしょうか」 4月4日、福島県内から首都圏などへの避難者や、福島県内外で避難者を支援している人25人が福島県庁を訪れ、この一文が掲載された内堀雅雄県知事宛の抗議声明を提出した。「避難の権利」を求める全国避難者の会と原発事故被害者団体連絡会(略称ひだんれん)が提出団体で、避難者の会の熊本美也子さん(福島県田村市から都内に避難)、同・事務局長の瀬戸大作さん、ひだんれんの村田弘さん(福島県南相馬市小高区から神奈川県に避難)、武藤類子さんらが、県の対応の問題を指摘し、避難者への住宅支援の継続を求めた。続きを読む
福島県から首都圏への避難者は約1万8070人。迫られる、国家公務員宿舎からの退去 2019/05/07 「ひなん生活をまもる会」(鴨下祐也代表、会員約100世帯)は、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で、首都圏などに避難している区域外避難者(避難指示区域以外から避難している人)を中心とした団体だ。同会は3月14日、東京都に対して、かつて「みなし応急仮設住宅」として都が避難者に提供してきた避難用住宅と駐車場を、2019年も無償使用を認めるよう、集団申請書を担当課に提出した。続きを読む
フランス大使館からメール「西日本に避難を」「関西空港から帰国便が出る」/原発事故後すぐ、夫の母国へ緊急避難 2019/04/07 福島県三春町からフランスに避難したボアグリオ治子(はるこ)さんと、偶然パリで出会ったのは、震災後1年の2012年3月11日だった。続きを読む
福島市内で、生後5ヵ月の子どもと被災。別居中の夫が暮らす米国へ避難、DV、子宮がんを経て、米国でステップアップを目指す 2019/03/03 福島市から米国に避難し、DV(ドメスティック・バイオレンス)被害者保護シェルターで暮らした母子がいる。福島市から避難した加藤美智子さん(48歳)と息子の正義くん(9歳)親子に、2018年3月、カリフォルニア州ロサンゼルスで会った。続きを読む
人間関係も壊した放射能汚染。友人の言葉で、ニュージーランドへ家族で移住、現地で福島への募金活動、被曝体験を語る 2019/02/10 成田空港から飛行機を乗り継いで2日。2018年12月上旬、ニュージーランド北島の北部にある人口約5万2千人の町・ファンガレイを訪ねた。11年5月末に一家で移り住んだ福島市出身のチェイヴ理美さんが町の小さな空港まで出迎えてくれた。「山があって、町があって、福島に風景が似ているでしょう?」と理美さん。緑の山並みや、のんびりとした雰囲気が、確かに福島にとても似ている。続きを読む
原発事故、真っ先に被害を受ける障害者ー車いすを持って、核・原発のないニュージーランドへ。14年に帰国後、講演会や執筆活動で問題を訴える 2019/01/06 身体の骨が折れやすい特質のある身体を抱えながら、子どもを連れ、電動、手動の車いすを持ってニュージーランドに避難した福島市生まれの女性がいる。安積遊歩さんがその人だ。「震災が起きて原発が爆発した時、『私たちのような障害のある人が真っ先に被害を受ける』と思いましたね。だからニュージーランドへの避難は当然のことでした」。その後、2014年2月に帰国し、現在は札幌市に避難している。続きを読む