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タグ:原発ウォッチ!




Genpatsu

(2013年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 206号より)




事故続きで17年間動かない「もんじゅ」廃炉を申し入れ



「もんじゅ」を廃炉へ!全国集会が昨年12月8日に、地元敦賀市で開催された。この日は95年に「もんじゅ」でナトリウム漏れ火災事故のあった日。以来毎年、全国集会を開催してきた。




「もんじゅ」が間近に見える白木浜で集会を行ったあと、原子力研究開発機構へ「もんじゅ」の廃炉を訴えて申し入れを行った。その後市街地へ移動して、きらめき港館にて屋内集会を開催した。一連の行動には約800人が参加した。選挙運動に走り回っている人も多い中で、よく集まってくれた。

筆者も主催団体の一員として、折からの強風で到着できなかった発言予定者の活断層問題にも触れながら、研究炉として存続させる計画の愚策と、危険性と無駄遣いを避けるためには廃炉しかないと訴えた。




「もんじゅ」は新しいタイプの原子炉で、プルトニウムを燃料に使い、消費した以上のプルトニウムを作り出すことを目指したもので、高速増殖炉と呼ばれる。「夢の原子炉」といわれることもある。「もんじゅ」は実用2段階前のもので、発電が可能かを探るための原型炉だ。高速増殖炉を実用化できた国は世界を見渡してもどこにもなく、技術的に開発の困難なもので、開発は「夢」でしかない。どの国もナトリウム漏れ事故を一度ならず起こしている。




「もんじゅ」は8年の歳月と約6000億円の巨費を投じて91年に完成、電気出力は28万キロワットである。機能試験を経て95年8月に発電に成功したが、その4ヵ月後、40パーセントの出力で試験運転中に上記の事故を起こしたのだった。

以来、17年間原子炉はまともに動いたことがない。2010年5月に0パーセントの出力で試験運転を再開したものの、8月にトラブルを起こして、試験が中断したままだ。止まっていてもナトリウムを液体状に保つため、毎日5500万円の維持費がかかっている。

事業仕分けで3度も見直しを求められた。試験の継続に合意が得られていないのだ。




集会の前日には福井県、越前町、敦賀市へ地元自治体として安易に運転再開に同意しないよう申し入れた。新しい安全基準が13年7月に決まり、これに基づいて安全審査されるが、それだけでは十分でない。施設直下に2本も活断層が走っている。また、破砕帯が施設を直撃している 。これらが連動して動けば、施設は破壊され、最悪の場合には関西圏が壊滅する恐れがある。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 205号より)




大間原発の建設続行、対岸市町はじめ大きな反対の声



福島原発事故によって中断していた大間原発の建設が10月から再開されている。政府が建設を止める法律はないとの認識を示したため、再開となった。ただ、今後つくられる新しい安全基準に合格する必要はある。




11月14日に超党派の国会議員でつくる国会エネルギー調査会で、同原発の事業者であるJパワー(電源開発株式会社)から同原発に関する説明を聞き、経産省からも考えを聞いた。

新基準に適合するために追加的な工事が必要になるだろうことを承知で建設を再開したとJパワーはいう。なぜ新基準を待てないのかの明瞭な答えはなかった。

同社によれば、現在の工事進捗率は36・7パーセント。参加者からは他電源への転換を考えるべきとの意見が出ていた。筆者もまったく同感だ。というのは、同社は高効率の火力発電技術をもっているからだ。これから原発を作ることに何らメリットはなく、むしろ放射能のごみという厄介な問題を抱え込むだけと考えるからだ。

Jパワーによれば、大間原発の建設を進める理由は電力需要の拡大が予想されるからだという。計画停電や原発停止によって、消費者の節電意識が高まり、大きな成果をあげていることを私たちは実感している。需要の拡大には極めて大きな疑問をもつ。




この日の会合には、大間原発の対岸に位置する北海道から参加があった。説明に使われた写真では、大間原発の立地点から函館市の夜景が間近に鮮明だった。工藤壽樹函館市長、高谷寿峰北斗市長、中宮安一七飯町長らが非常に強い口調で原発建設に反対の意見を述べた。

Jパワーにとっての顧客は電力会社なので、消費者への対応は不慣れで横柄に感じられた。市町村への事前説明と話し合いはなかったそうだ。防災対策の範囲が30キロに拡大されるが、工藤函館市長は避難計画をつくるより建設をやめるべきと、まっとうな主張だ。




他方、経済産業省の核燃料サイクル産業課は、大間原発に期待しているようだ。この原発は大規模なプルサーマルが可能だから、六ヶ所再処理工場の運転とつなげているのだ。2030年代に原発ゼロを目指す方向で再処理をやめるべきところ、原発の建設で解決しようとしているわけだ。向いている方向が真逆だと言わざるを得なかった。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年12月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 204号より)




大飯原発に活断層? 問われる規制委員会



原子力規制委員会が発足してから2ヵ月が過ぎた。福島原発事故という大きな犠牲を払ってようやく発足した組織だ。

事故以前にあった、原子力安全・保安院は原発を強力に推進していた経済産業省の中にあり、規制組織が推進組織から独立していないと、国際原子力機関も長年にわたって問題にしてきたが、日本政府は規制は十分に機能しているとして、対応してこなかった。




ところが、ふたを開けてみると、原子力安全・保安院も原子力安全委員会も電力会社の言いなりだったことが、国会の中に設置された福島原発事故調査委員会によって明らかになった。

こうして9月に原子力安全委員会が原子力規制委員会に、原子力安全・保安院が原子力規制庁に改組され、強力な権限をもった行政委員会が誕生した。新しい原子力規制委員会だから、私たち住民の安全のためにきちんと規制活動を行ってくれないと困る。





ところが時間がたつにつれて、こうした期待が少しずつしぼんでいくことを感じている。大飯原発の断層をめぐる議論には落胆した。

2基が運転中の大飯原発の敷地内に、破砕帯が見つかっている。地面が割れてずれると、その接触面がこすれて粘土状になる。この部分を破砕帯という。これが今後も動く可能性があるのかどうかが問題だ。重要な機器や設備が破砕帯の真上に設置されているからいっそう深刻だ。

4人の専門委員のうち1人はまぎれもない活断層と主張、2人が活断層を疑い、1人が地滑りの可能性を示唆、そして関西電力だけが強く地滑りだと主張している。




島崎邦彦委員長代理は「12万〜13万年以降にズレが生じたことが確認された。活断層によるものだと考えても矛盾はない」としていたが、結局、継続して調査することになった。4人の専門委員がみな地滑りだと認めるのならともかく、活断層の疑いがある場合には、活断層と安全サイドに立った判断をするべき、と旧安全委員会の手引書に書いてある。判断の先送りといえる。

まず原発を建てる土地を手に入れた後に敷地の詳細な調査をしてきた経緯から、その段階で活断層が疑われても、ないことにして建設してきたのが実情だ。今、あちこちの原発敷地内に破砕帯が見つかっている。原発を止めるという判断ができるか、原子力規制委員会の真価が問われている。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 203号より)




六ヶ所再処理工場、2013年4月本格運転予定



10月27日、東京の日比谷で屋内集会とデモがあった。前日の金曜には恒例の官邸前抗議行動があり、連日のためか、日比谷の集会はこじんまりとしたものとなった。

屋内集会では、原発ゼロ政策や核燃料サイクル、そして原子力規制がテーマだった。スピーカーの一人に青森から佐原若子さんが加わってくれた。




青森には、原発、核燃料再処理、放射性廃棄物の埋設や一時貯蔵などの核関連施設がある。この中で原発ゼロ政策と強く関連するのは、再処理工場と大間原発の建設再開だ。

再処理工場は、原発で使い終わった燃料を化学処理してプルトニウムを取り出す工場だ。プルトニウムは原発の燃料に利用する。原理としては成立するのだが、経済性がない。事故の危険性もいっそう高くなる。世界的に見てもフランス以外は撤退している。そのフランスも再処理工場を造ったから続けているので、規模を増やす計画はない。




青森の工場は地名から、六ヶ所再処理工場と呼ばれている。佐原さんによれば、工場は1993年から8年の歳月をかけて完成し、試験運転に入ったが、その後トラブル続きで、現在も試験中だ。本格運転の時期は2013年10月とされている。

建設費は当初の3倍以上の2兆2000億円に達している。沖縄を除く各電力会社が再処理契約をしているから、建設費を負担させられているのは私たち消費者だ。さらに、この工場が本格的に動き出せば、原発が1年の間に大気や海に放出する放射能を1日で出すと言われるほど、環境への影響の大きい施設だ。




また、大間原発は本州最北端の大間崎のすぐ近くで建設中だ。40%程度進んだところに福島原発事故がおきて、工事は止まった。しかし、政府が認めない新増設には当たらないとの枝野大臣の発言を受けて、10月に工事を再開してしまった。再処理との関連が強く、プルトニウムの多くをこの原発で使用することが可能だ。

津軽海峡をはさんで対岸の函館は市をあげてこの建設計画に反対している。地震や近くの海底火山の影響などが事故につながるのではないかと、懸念されている。

これらを止めるのは私たちみんなの問題なのだと佐原さんは参加者の心に切に訴えた。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 202号より)




福島県健康調査委員会、事前に秘密会合



報道によれば、福島県の県民健康管理調査の検討委員会(山下俊一座長)は公開で開催される委員会の前に事前に秘密会合を開催して、会合での発言内容をチェックすると同時に、会の進行を打ち合わせていた。この秘密会合について、委員たちは口外しないことが求められていたという。

 県民健康管理調査は福島原発事故によって「健康に不安を抱えている状況を踏まえて」、「長期にわたり県民の健康を見守り、将来にわたる健康の増進につなぐことを目的」として実施されている。

健康管理調査の中には甲状腺検査が含まれており、18歳以下の約36万人の子どもたちに順次、検査を進めている。この2年間に約8万人が受診した。その結果では、甲状腺に結節や嚢胞が発見された子どもたちは40パーセントに達している。明らかに多いと指摘されている。

そんな中で、昨年9月に甲状腺がんの事例が1例見つかった。これだけでは事故の影響と断言できないが、同時に確実に否定することもできない。にもかかわらず、秘密会合において、がんと福島原発事故の因果関係はないと19人の委員たちは口裏を合わせて公開の会合に臨んでいた。

原子力委員会が事業者を交えて秘密会合を重ねて審議会の議論の方向性を決めていたことが4〜6月に大きな話題となった。これは、福島原発事故によって生じた原子力政策への大きな不信をさらに増大させる結果となり、社会的に強く糾弾された事件だった。結果として原子力委員会は原子力政策をまとめることができず、委員会の存続を含めて議論されることとなった。

この大事件の後も、福島県では内容は異なるものの、秘密会合を続けていたことになる。そして、秘密会合が明らかになると、福島県の鈴木正晃総務部長を委員長とする調査委員会を設置して事態を究明、わずか4日間の調査結果として「事前の意見調整や口止め、(県による)振り付け等の事実は認められなかった」とした。

秘密会議の存在自体が、委員会の信頼性を大きく損なうことになったことが反省されていないようだ。県民の不安と正面から向き合うことが求められている。




伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)










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(2012年10月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 201号より)




自然エネルギーへ、未来のCO2削減策を



連続する猛暑日と記録的な残暑、そしていきなり仲秋がやってきた。天候の変化の激しさは地球があったまっている証拠だろう。地球温暖化は温室効果ガスの人為的な排出増が原因とする説が有力だ。人口が少ない大昔なら、新天地に大移動できたろうが、現在では不可能と言える。私たちにできることは排出量を減らすことくらいだ。

温室効果ガスの中で影響が大きいのは二酸化炭素(CO2)だ。中でも発電部門からの排出量が、大きな割合を占めている。電気事業連合会の発表によれば、電力10社の2011年度のCO2排出量は昨年度より29パーセントも増加した。その量は4億3900万トンで過去最高の排出量となった。公表されている日本全体のCO2排出量は10年度の値が最新で、およそ12億5800万トンとなっている。

大幅な増加の原因は福島原発事故だ。原発が順次止まっていき、その分火力発電所を使ってきたからだ。新しい原子力規制委員会が設置されて、福島原発事故を踏まえた新しい基準作りが始まろうとしている。これを踏まえた安全確認になお時間がかかり、全国の原発の停止状態がまだまだ続くことは確実だ。大飯原発2基が政治判断で運転されているが、新基準による検査が整わないうちに再び定期検査に入るかもしれない。

政府はこれまでCO2排出量を削減するために原発を活用する政策をとってきた。電力会社はもうかるので消費量を増やそうとする。増える電力消費に対応するために、さらに14基も原発を作ろうとしていた。この電力消費増を前提とする現実的とはいえない計画では、排出量は増えこそすれ、減らすことはできない。福島原発事故は原発によるCO2削減策の危険をいっそう明らかにした。

電力の消費を賢く減らして、自然エネルギーによる発電をいっそう増やしていくことで、本来の意味でのCO2削減が可能となる。温暖化問題に取り組む多くのNGOがこれまで繰り返し主張してきたことだ。しかし電力会社がことごとく反対してきたのだった。自然エネルギーが増えると原発が立ち行かなくなるという理由だ。

今ようやく、こうした歪んだ構造が改められようとしている。ここ数年は排出量が増えるかもしれないが、省エネと再エネを着実に増やしていけば、25パーセント削減という国際公約も可能となる。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 199号より)




「脱原発法制定全国ネットワーク」発足




法律で原発を止めていこうと弁護士たちが立ち上がった。8月22日に発足した「脱原発法制定全国ネットワーク」の記者会見には、宇都宮健児前日本弁護士連合会会長もはせ参じてくださった。集まったのは弁護士だけではない。さようなら原発1000万人アクションの呼びかけ人たちが名を連ねてくれている。村上達也東海村村長など自治体の長にも加わってもらった。代表世話人は現時点で24人。筆者も末席にいれてもらっている。さらに多くの方々に参加を呼びかけていきたい。

法案は、2025年までのできる限り早い時期にすべての原発を止めることを明記し、具体的な各原発の廃止計画をつくることを求めている。法案を提出できるのは内閣もしくは国会議員だから、私たちは超党派による議員立法を目指している。政局が不安定なので、できれば早く提案できればよいと願っている。成立には議員の過半数の賛成が必要になる。今は難しいが、脱原発議員が増えれば成立の展望が開ける。次の選挙に期待したい。

毎週金曜には、原発の即時廃止を求めて国会前に人々が集い、再稼働に反対して声をあげている。野田首相とも会談することができた。政府の主張を述べただけで、会談は物別れに終わった。その後も、金曜日行動は続いている。この即時廃止への思いと、法律で年限を決めて原発を止めていくこととは対立しない。

大飯原発2基を除いてすべての原発がいま止まっているが、これは各自治体が安全強化を求めて、運転再開を認めていないからだ。市民の声が自治体の首長にそうさせている。脱原発法が成立して、法的に原発が廃止になるまで、私たちは運転再開を認めないように働きかけ続けたい。いや、むしろ同法が通ればいっそうの安全強化が可能となる。首長たちは無理して原発を動かすこともなくなり、廃炉が早まる可能性もある。

朝日新聞が国会議員にアンケートしたところ、原発ゼロを選択した議員は42パーセントだった。福島原発事故の前と比べると、隔世の感がある。そしてどの党も直ちにすべての原発を廃止することは難しいと考えている。私たちはこの現実から出発し、脱原発法制定を求めている。

政府は脱原発依存を掲げてエネルギー基本計画の見直しを進めているが、さらに法律で原発ゼロを確実なものにしたい。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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Genpatsu

(2012年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 200号より)




9月12日、43団体が「原発ゼロ」確約を求める申し入れ




福島原発事故から1年半が過ぎた。報道によれば、浪江町は、放射能汚染の比較的少ない地域の避難指示区域の解除を5年間遅らせることを決めたという。損害賠償に関連する問題でもあるが、ライフラインや居住環境の整備に時間がかかることも大きい。たとえば、中間貯蔵場所が決まらないので除染が進まない。道路やいたるところで寸断されている下水道の復旧などに時間がかかる、などの問題がある。

高い放射線量に子どもの将来を心配して移住を願う若い世代、住み慣れたふるさとに一日も早く戻りたい年配者たち、人々の苦悩は続いている。

エネルギー政策の転換も苦悩のただ中にある。原子力に関する選択肢の国民的議論の検証結果は、「国民の過半が原発に依存しない社会にしたいという方向性を共有している」だった。民主党内のエネルギー環境調査会は、これを受けて、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」とまとめた。最長10年延びたことは非常に残念だった。

ピースボートが急きょ呼びかけて、9月12日に43団体が集まって「原発ゼロ」の確約を求める申し入れを行い、うち、14団体の代表が記者会見を行った。民主主義国家なら国民的議論の結果を受け入れるべきだ。

14日午後に公表された新たなエネルギー政策には、「2030年代に原発ゼロ」のメッセージは入った。しかし、原発ゼロを撤回するべきと、経済界がこぞって反対の意見を表明したからか、政府の方針として閣議決定することができなかった。

さらに、核燃料サイクルは続行となってしまった。電力会社や三村申吾青森県知事を説得できなかったのだろう。原発ゼロなら六ヶ所再処理工場も止まるからだ。また、米国政府が原発の維持を求めているとも伝えられている。米国では79年の事故を契機に原発建設が衰退し、今では製造能力がなくなっている。日本の技術に期待するのはお門違いではないか。福島原発事故の悲劇は彼らには伝わっていないようだ。

よいニュースもある。前回報告した脱原発基本法案が103人の議員の賛成・賛同を得て衆議院へ提出され、継続審議となった。議員の過半数にはまだまだだが、脱原発法制定運動が産声をあげて歩み始めた。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 198号より)




原発パブリックコメント、8万9000件




福島原発事故後のエネルギーのあり方を問うパブリックコメントが8月12日に締め切られた。2030年までに原子力発電の割合をどの程度にするのが望ましいか、選択肢が提示されていた。具体的には、原発ゼロシナリオ、15パーセント程度まで減らす15シナリオ、そして20〜25パーセント程度に維持するシナリオの3択だ。これらはいずれも達成可能なものである。

原子力資料情報室も積極的に応募しようと、ホームページをはじめ機会を見つけては呼びかけた。7月末に苗場で開催されたフジロックフェスティバルのNGOビレッジでも、よい反応が得られていた。どれくらいの応募があったのだろうかと公表を心待ちにしていたところ、17日の報道で8万9000件を超えたことがわかった。原子力関連の分野では過去最高の件数だ。

応募意見は、エネルギー・環境会議のホームページで順次公開されるが、23日の時点ではうち2万件分が公開されている。中には選択肢への回答と言えないものもわずかにあるが、大部分はきちんと意見が出されているようだ。そして、原発ゼロを選択する意見が9割を超えているようだ。

パブリックコメント以外にも全国11ヵ所で意見聴取会が開催された。政府の担当者を招いて自主的な会合を主催した市民グループもあった。傍聴や発言希望者は約7割がゼロシナリオを支持していた。また、討論型世論調査も東京で開催されたが、結果はゼロシナリオが多数を占めた。

エネルギー・環境会議はこれらに加えてマスコミなどの世論調査も参考にするという。これらも、やはりゼロシナリオが過半数を占めているようだ。

しかし、日本経済団体連合会(経団連)はゼロシナリオに強く反対している。経済成長をいっそう促し、国民総生産を増やすためには、原発が不可欠だというものだ。原発の安全対策を強化すれば事故など起きないと考えているようだ。

とはいえ、国の将来に脱原発を考える経営者たちが福島事故後にネットワークを立ち上げた。経済界も一枚岩ではなくなっている。

8月6日に野田首相は広島で行った記者会見の席上、原発依存度をゼロにする場合の課題の整理を関係閣僚に指示すると発言した。政府の結論は9月にずれ込むとのことだ。国会は解散風が強くなってきているが、せっかくの流れが水泡に帰すことは避けたいものだ。








伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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