(2011年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第176号より)
東京電力が設置した「ふくいちライブカメラ」は24時間稼働していて、4基の原発に大事があれば見られるようにはなっている。事故現場で中では何が起きているのかわからない中で、少しでも一般に見えるようにする目的で設置されたのだろう。しかし、1台のカメラが決まったアングルで映しているだけだから、見える範囲は限られている。見せたくない姿勢がよく出ている。
作業員や作業の様子はまったく映らない。「福島原発敷地内作業、寮・3食付、実働3hの業務、日給14000円、中高年の方も大歓迎」という募集広告がある。被曝作業が前提のはずなのに一切触れられていない。放射線管理手帳が交付されるのかも怪しいかぎりだ。この場合は、原発での作業を明示しているが、がれき撤去作業の募集に応じて出かけてみたら、原発内での作業だった、被曝線量の記録や告知などはなかった、という話も聞いた。日給もそれなりにいいようだが、途中段階のピンハネも相当なようだ。事故処理にあたる原発労働者のほんの一端が垣間見えるが、実態は闇の中といえる。
政府がIAEAに提出した資料によれば、3月〜7月までに1万6179人が作業に従事した。しかし、これは被曝線量が確定した人だけである。報道によれば、追跡できない作業員がなお65名いるという。個個人の被曝線量を記録することが義務づけられているのに、どうしてこのような事態が発生するのか。日雇い労働者を釜ヶ崎や寿町などから集め使い捨てしている疑いがある。
記録が取られていても労働者個人にとってこれが正しい記録であるとは限らない。記録を取るための線量計を持たずに作業するケースが多くあったと聞く。後で病気になっても知らん顔ができるから、会社にとっては好都合だ。あるいはまた、他人の手帳を借りて作業をするケースもあると聞く。労働者側にもこうしたことを容認してしまう理由がある。被曝線量が年限度を超えると仕事をもらえなくなるからだ。たとえば250ミリシーベルトを超える被曝をしたとすれば10年間は仕事ができない。
原発での労働は、被曝によるリスクを売る危険な仕事だ。それゆえか、実態は複雑極まるようだ。
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)