世界各国の怒り、男女の怒り——怒りの地域・性別比較
怒りを言葉にする前に、人は身振りや態度でそれを表す。
その国で使われる怒りのジェスチャーを知らないと大変なことに…。
国によって違う怒りのジェスチャーと表現
日本では、人差し指を立てた両手をこめかみの横につけて、角のような形を作るのは、怒っていることを表すジェスチャーだが、アメリカでは「悪魔」、フランスでは「寝とられ男」の意があるという。
同様に、誰々が怒っているというニュアンスを表す、目をつり上げる仕草も、欧米では、侮蔑の意味を含んだり含まなかったりする「東洋人」を意味するジェスチャー。
逆に、シリアで、「私」というつもりで、人差し指で自分の鼻を指すと、「怒りが鼻に達している」、つまり我慢の限界、怒りで爆発寸前ということになってしまう。知らずに使うと、会話がちぐはぐになる、いや、けんかを売っていることになってしまいそうだ。
ちなみに、イタリアでは、親指と人差し指で輪を作り、上下に強く動かすジェスチャーは、「激怒」。手を下から上へと、ものを宙に放り投げるように振り上げるのは「地獄へ行け」「消えうせろ」の意味になる。しぐさが大きければそれだけ怒りも大きいということに。
ロシアの「頭にきた」は、頭の上に手の平をかざして、額から後頭部へと向かって通過させること。同じしぐさで「理解をこえている」を示す国もあるが、ロシアではより怒りの度合が高い。
怒りの表現が日本人と比べて強くてストレートな韓国では、怒りや悔しさの感情を拳で胸をたたいて表現する。
民族が多種多様なインドネシアでは、同じ国内でも人種や宗教ごとに典型的な性格があるという。ただし、ある程度共通しているのは、大声で人をののしったり、しかったりするのはタブーだということ。会話の際に腰に手をあてるのも怒りのしぐさとされているので注意が必要だ。
万国共通、とまではいかないが、国際的に認知されている怒りの表現といえば、中指を立てて相手に手の甲を見せる、あのジェスチャーだ。強烈な怒りや不快感だけでなく、性的侮辱を表す国も多い。左手を右腕の内側の関節に勢いよくぶつけて、右腕を折り曲げ、力こぶを出すようなジェスチャーは、中指を立てるのと同様のさらに強い意味がある。つい「大丈夫」というような意味でやってしまうと、大変なことになりそうだ。
映画にみる女性の怒り
男性は自分を侮辱した相手を攻撃した後、血圧が下がるが、女性はそうはならない、という攻撃性と暴力についての研究結果がある。女性が攻撃性をあらわにすることは、自己コントロールの失敗で恥だと捉え、反対に男性の場合は他者にコントロールを課すことだと考えるというもの。
女性と男性の攻撃性の表現の違いは、社会的文脈に由来するということだ。その人が攻撃性をあらわにした場合、気分がおさまるか、それとも恥を感じるようになるかは、その国や地域で女として男としてどのように育てられたのかということが影響するという指摘である。
だから、映画のなかで怒る男は珍しくないが、女の怒りや攻撃性をストレートに爆発させる映画は数少ない。
その一つに『テルマ&ルイーズ』(リドリー・スコット監督・91年・アメリカ)がある。平凡な主婦テルマと友人で独身生活を楽しむウェイトレスのルイーズが、ドライブに出かける。途中、テルマをレイプしようとした男たちをルイーズが射殺。逃避行の途中、なりゆきで強盗をして、警察に追われる。アリゾナ州の大峡谷で、遂に二人は警官隊に取り囲まれてしまうが、後戻りはしない。フランスで上映禁止になった『ベーゼ・モア』(ヴィルジニー・デパント監督・00年・フランス)もストーリーは似ている。殺人を犯した女性二人が意気投合。逃避行の途中で現金や銃を強奪し、男を誘惑して殺しながら、お互いの絆を強めていく、というもの。
書店へ行けば、「怒りへの対処本」「心穏やかに生きるための本」が本棚一つを占めている。欧米系の翻訳ものも多い。それらは、怒りは悪ではない、感情に良い悪いはないと言い、その上で、怒りは物事を変えるエネルギーになり得るのだから、自分の感情から怒りを完全になくしてしまおうとするのではなく、正しいかどうかの判断をするのでもなく、適切か不適切かどうかに焦点を当てよとか、過去や未来にとらわれず今に生きよ、などと説いている。
不安や怒りとのつきあい方に関心が集まるのは各国共通のようだ。
(清水直子)
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独立行政法人国際協力機構
(2006年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第52号より)