(2007年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第73号より)
北京の地下水が枯渇する?中国の水問題
中国内陸部の砂漠化した農村で、長きにわたって緑化協力を続けている高見邦雄さん(緑の地球ネットワーク事務局長)。
現地での生活経験を踏まえ、経済発展で躍進する中国の背後にある深刻な水危機の現状に警鐘を鳴らす。
(高見邦雄さん)
水のない村。一日の水使用量は日本のトイレ「大」の2回分
広霊県苑西庄村の新しい井戸の通水式のもよう。
地下176mの深井戸から汲み上げたばかりの水を、村人たちがコップで回し飲みした。(1998年6月)
農村に泊まると、朝、洗面器の底にうすく張った水が渡される。そのわずかな水で洗面を済ませ、その後は羊や鶏などの家畜用の飲み水に回す。
北京から西に約300km入った内陸にある山西省大同市。
ここの住民はほんのわずかな水を家畜と分け合い、あらゆる面で水を使い回さなければ日常生活が成り立たない。1年の3分の1をこの大同市で過ごす高見さんは、「この地では水不足は井戸を掘って解決できるレベルをこえ、すでに節水の余地もない」と話す。
なかでも深刻なのは、黄土丘陵にある農村。もともと水が乏しく、物理的限界ぎりぎりで生活している。そういう貧しい高所の村で井戸や湧き水が最初に涸れる。
「21の村にアンケート調査すると、1人当たりの1日の水使用量は23.8リットルでした。これは日本の水洗便所で大便を2回流すだけの量です。少ない村ではわずか15.6リットルでした」と高見さん。極端な水不足のため、ほとんどの農村では風呂もなければ、シャワーもなく、洗濯をすることも少ない。ドラム缶を積んだ馬車をロバに引かせて片道10kmをかけて地下水を買いに行かなければならない村もある。
事情は市街地も同じだ。住民は1日1時間弱の時間給水のところもあり、バスタブに水をため、食器などの洗い物に使った水でトイレの「大」を流す。まるで阪神大震災の被災者と同じような生活が1年中続いているのだ。
「彼らは、すでに親子代々にわたって水不足の生活を続けているので、水に困っているという意識もあまりないようです」
「厳重欠水」の上に成り立つ北京の経済発展
湖底が干上がった北京の水がめ=官庁ダム。現在の水際は1950年代のそれから1km以上も後退している。(河北省懐来県、2004年3月)
中国の一地域である大同市の水不足を高見さんが声高に指摘するのには、実は理由がある。大同市は首都・北京の重要な水源に当たっているからだ。大同市の中央部を流れる桑干河には、現在、ほとんど水がない。
桑干河は河北省に入って官庁ダムに流れ込むが、この官庁ダムは密雲ダムと並ぶ二つしかない北京の水ガメだった。ところが水量の減少と水質悪化で上水道には使えなくなっている。北京とその周辺の水資源量は、国際人口行動基準で「厳重欠水」といわれる基準をも大きく下回る。
「大きな節目は1990年代後半です。それから10年ほどの間に河という河が死に絶え、ダムはほとんど使えなくなり、井戸もどんどん涸れています。今では雨が降っても水が河まで出てこない状況で、北京は使用する水の7割以上を地下水に頼っているんです」と高見さんは指摘する。
しかし、この地下水も一部には1965年以来、地下水位が59mも低下したとの報告もある。また、大同市では、2008年には地下水が完全に枯渇するという報道さえある。
なぜ、この10年で水不足が深刻化したのか? すぐに思い浮かべるのは急速に発展する北京の都市化と工業化だが、高見さんはさまざまな複合的要因を指摘する。
「ちょうど北京オリンピックの開催が決まった頃から大旱魃が起きるようになり、北京の水利局では99年から03年までの旱魃で降水量が30%も減ったと発表しています。その辺りから井戸の地下水をどんどん汲み上げて農業の灌漑に使ったりして、経済発展による都市部での水使用量の増加が激しくなったのではないか」と高見さんは話す。
<後編に続く>