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(2007年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第64号 [特集 100年かけ「霞ヶ浦再生」を実現するアサザプロジェクト]より)





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(NPO法人アサザ基金理事長・飯島博さん)




壊すんじゃない、世の中を溶かす勇気を持つ



このようなアサザプロジェクトを動かしてきた、アサザ基金を、飯島さんは、中心のないネットワークだと言いきる。

「組織がない、中心がないっていうのは、無力だということです。強力なリーダーがいなくてしっかりした組織もない。中心のないネットワークで進んでいくのは、勇気が必要なんですよ。誰もが、何らかの中心とつながっていた方がいいと思っています。最初から、本気でそういうところに自分を放り出すなんてできない…。だから管理されてしまうんですけれどね」




だが、中心のないネットワークには強みがある。「それは、無制限に広がっていくネットワークなんです。動き出していくと、社会のいたるところから予想外の、いろいろな価値や意味が浮上してきます。中心のないネットワークに、違いが溶け込んで総合化が起こって、また違いが起こって溶ける。それを繰り返していくんです。遺伝子もそうですよね。ほとんど役に立たない遺伝子もあるけれど、役に立たないことで役に立っているかもしれません。役立つ、役に立たないという二分法でしか考えないから何も見えてこない。白紙の状態で見たらまったく違うものが見えてくることもある。そうしないと、自然のダイナミズムだとか、生命力とかは出てこない。私たちはそれをまだやってきてないんですよ」

中心のないネットワークの中で、飯島さんは自然に対して、人に対して、開いている。自然の中を歩くことでアサザから、プロジェクトのインスピレーションを得たが、子供たちと作業をともにすることで、飯島さん自身、自分の感性が絶えず試されていると感じる。そして、科学と生命のバランスの危うさについて思いをめぐらせる。

「科学は、よくも悪くもある種の決定打を出してしまいます。過去から未来を想定して決定論的に進めていくような。人間にはそういう特性もありますよ。しかし、もう一方で人間の創造活動、アートのような領域で、まったく未決定なこともしますよね」

「生命っていうのは、まったく予想外なこともするアートなんだと思います。バランスを取らないといけないと思います。何でも科学じゃない。地域の中でいろんな問題が起きたときも科学者を呼んで委員会つくって、その人たちに判断を求めるというのは異常ですね。なぜ、そこまで生活知、経験知というものがさげすまれなければならないのでしょうか? 科学知と経験知はもっと対等な立場でいい。子供の感性を丸ごと受け入れるという度量のない科学知に固まった社会になっているから、社会で子供がばかにされている。そこを打破していくべきです。科学者がえらくなりすぎている。科学者は他のことは無視して特定の分野だけ研究している。そういう認識のしかたは社会にとって障害なんですよ」




以前、あるインタビューで、「じゃあ、行政の枠組みを壊すんですか?」と聞かれて、飯島さんの口からとっさに出た言葉は、「いえ、溶かすんです」だった。

「自分の中で総合化が起きたときに、その状況にふさわしい言葉が出るんです。もちろん、新しい領域に入っていくわけですから、常に危険はありますよ。虫がさなぎを脱ぎ捨てて成虫になるときは、一番危険なときなんです。でも、それによって世界が開けるわけです。蝶だと、完全変態を遂げて、イモ虫からさなぎになる。そのときイモ虫の身体は溶けてドロドロになっているんですよ。だから、人間の世の中も壊すんじゃなくて、溶かす勇気が必要だと思います」

飯島さんの眼差しの先に、100年後にトキの舞う霞ヶ浦が見えた気がした。





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(水越洋子)
Photos:高松英昭




飯島博(いいじま・ひろし)
1956年生まれ。NPO法人アサザ基金理事長、霞ヶ浦・北浦をよくする市民連絡会議事務局長。日本の里山に生息した「ガキ大将組」に属するおそらく最後の世代。アサザプロジェクトの企画運営、ビオトープの企画設計、霞ヶ浦粗朶組合の設立、環境教育プログラムの企画運営をはじめ、多彩な活動を行っている。
共著者に、『よみがえれアサザ咲く水辺—霞ヶ浦からの挑戦』文一総合出版、『水をめぐる人と自然』有斐閣選書、などがある。








特定非営利活動法人 アサザ基金
 〒300・1233
 茨城県牛久市栄町6・387
 電話029・871・7166
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(2007年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第64号 [特集 100年かけ「霞ヶ浦再生」を実現するアサザプロジェクト]より)





非力なものが知恵を出して遊ぶ。霞ヶ浦は遊び相手



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なぜ、子供たちがアサザプロジェクトの主役になれるのだろうか? と問うと、「それは、子供たちが自然と同じ時間を持っているから」と即座に返事が返ってきた。

自然はすべて潜在性のかたまり、コントロールできるものではない。それと向き合う子供たちが持っているのは、効率に対する非効率、合理性に対する非合理性だ。アサザプロジェクトに行き着くまでは、それとまったく逆の発想の効率や合理性を基準に活動していたと、飯島さんはふり返る。




「霞ヶ浦を再生するといっても、自然が相手なんです。こちらが自然の時間に合わせないと知恵も生まれないし発見もない。湖を歩いたのはよかった。時間の中に浸りこんで溶け込んで、丸々1日湖の空間を身体に感じて。だからこそ、アサザからひらめきをもらえたんだと思います。自然の時間と同じ時間を持っている子供たちとじっくり歩いて、じっくり見て。子供たちが一緒にやってくれたからここまできたと思います」

飯島さんによると、小学生の日常的な行動範囲はだいたい2㎞くらい。かつて近隣の池や川は、子供にとって身体の延長、身体の一部だった。アサザプロジェクトはそういう子供たちの感性の息づく空間をもう一回取り戻すための大きなムーブメントであるとも言う。

「僕らは子供の感性を丸ごと本気で受け入れます。遊びなんですよ。大きなものに、できるだけ小さなもの、当たり前なもの、どうでもいいようなものを向かい合わせるという遊びをしているんですよ。大きな霞ヶ浦は、僕らの遊び相手なんですよ。力対力じゃなくて、非力なものが知恵を出して湖に遊んでもらうんです」




子供たちが総合学習で取り組む




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”アサザの里親“も単純に水草を増やすということではない。「里親になるということは、相手を知るということなんです。湖のこと、植物の育つ環境、季節の変化などを知らないと、アサザを育てられない。生き物の視点で、上流から下流まで、どんな生物にどのような問題があるのかを調べ把握して、子供たち自身が新しい試みを提案していきます。ただ『環境を守らないといけない』なんて、独りよがりのことを言っててもだめで、人間はどういう生き方をしたらいいのかということを、野生の生物とつき合いながら気づいていくんです」

03年からは、NECと連携して子供たちが地域の環境情報を集めている。温度、湿度、水温、日照時間をセンサーが自動的に感知して10分おきにデータが教室のコンピュータに送られる。それを通して、蛙が冬眠に入るのは何度くらいか? 春になって地中の温度が何度くらいになるとヒキガエルが卵を産むのか? 水温が何度くらいになるとメダカが泳ぎだすのか? などを調べる。ほとんど研究者レベルといっておかしくない。




05年からは、宇宙開発関連の研究機関と連携して、大型衛星『大地』を使った「宇宙から蛙を見つけよう」という衛星画像を利用した霞ヶ浦の水循環再生のための現状把握活動も始まった。


「この計画には、子供の力が必要なのです。宇宙から見ると、蛙が生息している湿った土の波長が違うので、それをフィルターにかけて色をつけます。その色のついたところに子供たちは出かけていく。どのくらい衛星が読み取ったデータと現場の状況が当たっているのか? アカガエルが卵を産んでいるかな? ニヤンマやサワガニはどうしているかな? どのくらい湧き水があってどんな生物がいるのか? 2200㎢という広大な地域でそれを調べています。

こんなことは、子供が参加してくれないとできないことですよ。しかも子供たちは地元をよく知っているので、研究者以上にきちんとやれる。宇宙開発というと、国家威信をかけた巨大なプロジェクト。それと子供や蛙などという小さなもの。とんでもない大きさの違いがおもしろいんですね」




いよいよ、子供たちにとっても、アサザプロジェクトは総合学習の域をこえてきた。06年11月には、牛久市の神谷小学校の5年生が、市長や部課長の前で、霞ヶ浦水源地の再生計画のプレゼンテーションを行った。市民に向けた地元説明会も終えて、小学生の提案する公共事業がついに実施される見込みである。




海外からも視察、地域コミュニティの積み上げという普遍性



国交省のすすめてきた河川管理、利水の既存の枠組みの中で可能性を追求する時代は終わった。縦割りの社会システムで、地域コミュニティや自然の空間が分断され、水の循環が分断され、生物の移動、生息地も分断され、人間としての当たり前の生活さえ分断される。飯島さんは、国や行政や専門分化した研究者がつくりあげてきた近代化とは異なる、まったく新しい自然と共存する社会システムの展開を考える。

従来、地域がらみの公共事業の問題が出てきたときは、公共事業以外の選択肢がなく、その事業をやるやらないの議論のレベルにとどまっていた。民間活力の導入も声高にいわれるが、企業は投資したお金を最大限回収しなければならず、ビジネスに最適なループをつくることが使命。そこで、3番目の選択肢をつくるNPOの出番である。資金の回収の必要がない非営利団体が、新しい発想で、新しいもの、金、人の動きをつくりあげていくのだ。

「94年頃に戦略をつくりました。既存の霞ヶ浦流域システムを質的に転換しようと考えたときの最大の課題は、流域という広大な地域をおおう面的な展開を実現させることでした。その土台になる鍵が小学校だった。小学校の流域全体のネットワークができあがれば、一気に質的転換が可能だという周到な読みと戦略があったんです」




確かにアサザプロジェクトの事業はどれも有機的につながっているように見える。しかし、総合学習の一環とはいえ、子供が公共事業を担うような事例は全国どこにもない。

「日本の田舎の小学校は、地域で子供を育てるという文化伝統が、今でもなくなっていない。学校教育をどうこうしようというのではなく、地域ぐるみで子供たちを育てる、当たり前のことが地域で始まればいい。その拠点として学校があればいい。お年寄りへのヒアリングも、相手から何かを引き出していこうという子供たちの強い意志があって、それによって相手も生かされる。アサザで育った子供たちは、見えないものを見たり、いろんな働きかけのできる大人になっていくのかなと思います」

11年の間、粗朶組合を筆頭に、具体的なビジネスモデルの提案をし続けてきたことも、アサザプロジェクトが動いてきた大きな理由だと、飯島さんは言う。しかも、そのビジネスモデルは、地域の生業や日常生活に深く結びついていることがポイントだ。しかも、アサザプロジェクトでは、粗朶消波堤のような伝統的な技術から、宇宙開発のような先端的な技術まで、さまざまな試みが地域コミュニティで機能していく。

地域の当たり前のものを読み直し潜在性を引き出しているアサザプロジェクト。その基本の方法論は地域コミュニティの積み上げ。だから、普遍性がある。秋田、八郎湖でも霞ヶ浦のノウハウは生きた。すでにアジア、アフリカなど30数ヶ所の国々からの視察も相次いでいる。




第四回へ





Photos:高松英昭



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(2007年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第64号 [特集 100年かけ「霞ヶ浦再生」を実現するアサザプロジェクト]より)






霞ヶ浦の環境問題



霞ヶ浦は流域の人々の生活を支え、首都圏の水がめとしての役割を果している日本で2番目に大きい湖。40年前まではワカサギ漁で栄えた。晩秋から冬にかけてのワカサギ漁の季節になると、白い帆に風をはらませた「帆曳き船」が青き湖面を滑るように走る姿が見られ、年間10億円の水揚げ量を誇ったという。

だが、高度経済成長期を経た1970年以降に、水質汚濁や生物多様性の低下などの問題が深刻となる。ワカサギ漁も60年代をピークに、70年代のアオコの大発生などによる流域全体の水質悪化によって激減した。それに対して、行政による富栄養化防止条例の施行(工場廃水規制)などの対策が効果をもたらした時期もあったが、その後再び汚濁がすすむなか、抜本的な解決はない。

また首都圏の水資源開発と治水を目的に、1970年に始まった霞ヶ浦開発事業(2900億円)により湖岸の全周252㎞はすべてコンクリート護岸化され、水質浄化力のあるヨシ原は半分以下になり、他の水草群落も壊滅的な打撃を受けた。

1995年からNPOアサザ基金は、霞ヶ浦流域全体の環境保全を視野に入れ、地域コミュニティを核にした市民型公共事業として「アサザプロジェクト」を展開してきた。






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春から夏にかけて、霞ヶ浦(茨城県)の湖岸に小さく可憐な黄色い花が咲く、アサザ。実はこの花はシンボルにすぎず、その背後には、死んだとさえいわれた日本第2の湖、霞ヶ浦の自然を再生させるという、アサザプロジェクトがある。
いったん絶滅しかけたアサザの苗を育て、それを湖に移植したのは、霞ヶ浦流域の170をこえる小学校の小学生。100年後にトキが舞う湖にしたいという、子供が主役の公共事業でもある。プロジェクトが始まって11年、かかわった人は延べ13万人以上になる。
素手の市民の発見、智恵、遊びのような楽しい活動が切り拓いた壮大な霞ヶ浦再生の物語を紡ぎだす飯島博さん(アサザ基金代表)に、話を聞く。




アサザ。湖自身の自然治癒力の発見





1993年から2年をかけて、飯島博さんは霞ヶ浦の湖畔を小学生や中学生たちと一緒に4周した。この時すでに、コンクリート護岸工事によって、湖の全周は水質浄化力のある自然の渚が失われていた。また、護岸壁に打ち寄せる波によって湖底の砂地は深くえぐられて、ヨシや水草の大部分が消滅していた(図1)。

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しかし、ある日アサザの群生が残っている湖面を眺めていた飯島さんは、そこだけ打ち寄せる波が和らいでいることに、ふと気づく。

「他の水草だってよかったし、アサザには何回も出会っていたんだけれど、その時初めて、アサザからひらめきをもらいました。それまでは、僕自身もみんなも人間の力による工学的な方法で自然を再生できないかと思っていた。けれど、アサザが持つ湖自身の自然治癒力のような働きを見て、こういう自然の働きを生かしていけば、湖を”よみがえらせる“んじゃなくて、湖が”よみがえる“んじゃないかな、と思ったんです」




1981年から霞ヶ浦・北浦をよくする市民連絡会議で霞ヶ浦の水質調査などを行っていた飯島さんは、アサザを湖に植えて霞ヶ浦の自然を取り戻そうと考え、すぐに行動を起こした。しかし、初めてのアサザの植え付けには失敗してしまう。コンクリート護岸に打ち寄せる強い波に流されて、1週間足らずの間にアサザはすべて流失してしまったのだ。

そこで、考えついたのが伝統河川工法である粗朶消波堤をつくることだった。沖合いに設置した粗朶消波堤によって波が弱められた湖底に、アサザを植えていくという方法だ。粗朶消波堤は昔の人が考えた伝統技術だが、石積みの消波堤(図2参照)とは違って、波を抑えつつ水を通すので漁礁にもなり、将来アサザ群落が地下茎を延ばし沖に向かって広がっていくときにもじゃまにならないという長所がある。(図3参照)


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飯島さんは、一つの仮説を考えた。まずアサザを植え、アサザの群落ができると、沖合いから湖岸に打ち寄せる波の力がアサザ群落に吸収され、波が抑えられる。同時に波に弱められたアサザ群落付近には徐々に砂が堆積し浅瀬ができ、ヨシをはじめとする多様な植物群生が生まれる。このような自然湖岸が再生すると、湖の水質の浄化が促進され、霞ヶ浦の再生がはかれるというものだ。




1995年、NPO法人アサザ基金を設立。その後、この仮説がみごとに証明されていく。バケツに蒔かれたアサザの種は霞ヶ浦に移植され、11年後の今、湖面に清楚で美しい花を咲かせるだけではなく、流域全体に広がるさまざまなプロジェクトとなって根づいた。霞ヶ浦のシンボルも、かつての汚染のアオコから、再生の象徴であるアサザへと転換、9月のアサザ満開の時期には、花見に訪れる人が増えている。


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第二回へ




Photos:アサザ基金提供
Photos:高松英昭


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