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タグ:自然エネルギー




Genpatsu

(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より)




元旦に飛び込んできたニュースは、原子力安全委員会の委員24人に2010年までの5年間に8500万円の寄付金が原子力業界から送られていたというものだった。自分たちが受ける審査に手心を加えてほしいと言わんばかりの行いだ。「原発審査、曇る中立性」と見出しが突っ込んでいた。

そして当事者たちは、判断に「寄付の影響はない」と紋切型の返答を繰り返しているが、これを真に受ける者はいないだろう。実際の審査は、委員が意見を言い安全委員会の事務局が内容をまとめる。爆発事故が起こっても、原発の安全審査を行った学者・役人の誰もが責任をとっていない。

続いて、東京電力とこの関連企業が国会議員のパーティ券を多額に購入していたことも報道された。自民党議員が多いが現在の政権党である民主党議員も含まれている。議員の歳費はNGOスタッフとはけた違いだ。加えて政党への選挙費用などが私たちの税金から出ている。なのに、パーティを開催して資金を集めるという。券の購入を求める方も買う方も、どこか狂っている。

役人は役人で「核燃直接処分コスト隠ぺい--エネ庁課長が04年指示」という報道も流れた。日本の原子力政策は原発の使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出している世界でも数少ない国の一つだ。これに対して大多数の国は使い終わった燃料はそのまま貯蔵・処分する直接処分政策をとっている。国は試算の結果、直接処分政策の方がはるかにコストが安いとわかっていたが、知られると都合が悪いので「世の中の目に触れさせないように」と厳命したという。国会で質問された時には、直接処分のコストを試算したことがないと答弁していた。この張本人の安井正也課長(当時)はいま経産省の官房審議官をしている。この国はどうなっていくのだろう。

明るい将来を予想させる報道もあった。東京新聞(1月2日)の特集「暮らし再耕--脱原発へできること」だ。春に原発が全機停止するので、そのまま夏を乗り切ろうという話だ。一人ひとりの節電は小さいが、数が集まれば効果は高い。自然エネルギーを積極的に増やしていくための課題も解決できそうで希望がもてた。辰年の今年、自然エネルギー元年、脱原発元年にしたい。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)





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Genpatsu

(2012年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第187号より)




2月19日、南相馬市で行われたシンポジウムに参加してきた。題して「ふくしまから考える原子力に依存しないエネルギー政策」。エネルギー政策の見直しを進めている経済産業省の基本問題委員会で、「地元の意見を聞いて議論を深めるべき」との提案を出した委員有志が開催した自主分科会だった。自主的とはいえ、桜井勝延市長も参加してくださり、充実した分科会となった。

会場は常磐線原ノ町駅前の市民情報交流センター、曲線を多用し、木のぬくもりを生かした公共施設だった。普段なら上野から電車1本で行けるところだが、線路が福島原発近くを通るため、復旧できないでいる。福島駅から東へ車で1時間半ほどかかった。会場周辺の環境の放射線量は屋外で事故前の10倍程度、屋内で3倍程度。比較的高い線量のところに人々は暮らさざるを得ない状況だ。心配ごとも多かろう。

南相馬市は福島第一原発から北側にあり、太平洋に面している。市内は、20キロメートル内の警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、さらにそれ以外と、複雑に区分されている。爆発による放射能の影響を最も大きく受けたまちの一つだ。今年2月の人口6万6千人。事故前に比べると6千人ほど転居していった。津波の影響もあるが原発事故による影響の方がはるかに大きい。

桜井市長は、「原発が爆発したことを知ったのは警察無線だった。この事故で、7人中6人以上が避難した南相馬市にとっていちばん大事なことは『心を再生すること』」と人々の胸を打った。また、「原発事故で180度変えられた運命を原発に頼っては取り戻せない」と原発の交付金を断ることにした心情を語り、「南相馬市民は自然エネルギーに依存した生活スタイルで生きていきたい」と力強い口調だった。東京電力に対しては、「西沢社長が来て、東電の責任でこの事故に対応していくと約束していったが、いまだ責任ある対応は感じられず、信頼に値する会社ではない」と厳しい口調だった。

この日は並行して、「ふくしまから始めるエネルギー革命 南相馬ダイアログフェスティバル--みんなで未来への対話をしよう」も開催された。南相馬は確実に活動を取り戻しつつあった。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






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