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(2012年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第183号より「ともに生きよう!東日本 レポート19」)




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昨年12月12日、都内で
「2011 東日本大震災を受けて 福島原発事故後の人権を考える」が
国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」によって開催された。
福島県内の母親が置かれている厳しい状況と、
人権侵害の現状が伝えられた。





放射能の影響めぐり、夫婦間、親子間、地域、学校などで分断



11月26~27日「ヒューマンライツ・ナウ」は、福島県福島市、郡山市で、人権状況の観点から、母親たちに聞き取りを行った。現地調査の結果について、後藤弘子さん(千葉大学法科大学院教授/ヒューマンライツ・ナウ副理事長)が以下のように報告した。




原発事故に伴う放射性物質の健康への影響を考えて、「子どもを県外に避難させたい」という母親に対して、「気にしすぎでは」と言う夫。夫婦間、親子間で考えが違うことにより、家庭や地域、学校などで分断が起き、母親が孤立させられているという。

「夫と話ができない」「子どもによかれと思って避難させたのに、子どもにわかってもらえない」「『気にしすぎ。もう安全でしょう』と言われる」「学校ではモンスターペアレント扱いで、先生には何も言えない」「外遊びで子どもが土に触れようとした時、『絶対ダメ』と言っている自分が悲しい」。また、「自分たち親が、子どもの自由を制限してしまっている。自分たちこそが加害者ではないか」という自責の念。

また「これまでは考えなくてもいいことを考えなくてはいけない日常生活。何を買うのか、買ってはいけないのか。どこに行くのか、行かないのか。これを食べていいのか、いけないのか、などを毎日毎日考えないといけない。クラスメイトのお母さんたちに果物などのおすそ分けができない」というような、悲痛な訴えが次々に寄せられた。

特に、自閉症など障害のある子どものお母さんは極度に疲弊しているという。たとえば避難先を探す時も受け入れ先を見つけるのが困難で、「自分が死んだ後、子どもがどうなるかが心配。むしろ自分が子どもを看取る方が安心」とまで言う母親もあった。




除染効果への疑問。食の安全と避難の権利保障



後藤さんは、多くの人が除染効果に対して疑問をもっていたこともあげた。

「一部だけやってもムダ。放射線量が高い所に住む人が、何十万円もお金をかけて自宅を除染しても、結局、除染水は低い方に流れて下の方の家に溜まる。汚染が移動するだけでは意味がない。行政は『町内会やPTAで除染してください』としているが、防護の装備もなく、危ない除染をしているという状況がある」と、除染作業に伴う安全対策の課題を指摘した。また、高校では震災から8ヵ月が過ぎても校庭が除染されていなかったり、ほとんど対策が取られていなかったという。




学校給食など、子どもの食をめぐる課題も浮き彫りになった。

郡山市は11月から地元産米「あさか舞」を給食に出すことを決定した。ところが、「市の給食の放射線測定検査は不十分で、健康診断に放射能検査が付け加えられていないこと、児童・生徒らに配布された放射線計の測定結果に関する説明が十分に行われていないこと、学校でも放射線への安全について教育がなされていないこと」など、学校現場での食の安全や健康管理の問題は山積している。

後藤さんは「あくまでも個人的な見解」と前置きしながら、「少なくとも、放射線量を公開し続けることが必要。福島市渡利地区は放射線量が高いが、特定避難勧奨地点になっていません。『少なくとも、安全ではないことを言ってくれるだけでもずいぶん違う』と話す人もおられました。つまり、安全に対して疑問をもつ自由がまったくないんですね。たとえば、『安全だと言われていることを信じない人は非国民だ』とか、『福島から出て行け』とまで言われる。安全に関する疑問が個人の問題に矮小化されてしまっています。放射線量を安全に対する社会の問題として考える動きをするだけで、地域から排除される状況があります。そのような状況を前提として、私たちは福島の人たちの避難の権利を考えていかないといけない」と後藤さんは報告を締めくくった。




信頼なくした専門家。最大の問題は行政の無策や法令違反状態の正当化



会場では、押川正毅さん(東京大学物性研究所教授)が「科学者からみた原発事故とその後」について、影浦峡さん(東京大学大学院教育学研究科教授)が「放射能『安全』報道とその社会的影響」について講演をした。

押川さんは、「今回の原発事故による放射性降下物の濃度は、1960年代の大気圏核実験の頃よりも低い」と話すのは「勘違いと言うか、ほぼデマと言っていいと思う」とし、「今回の原発事故により、原子力工学、原子力関係の科学者や専門家への信頼低下というのが厳然としてある。その信頼が低下したことが一番問題なのではなく、信頼が低下した専門家の見解を根拠として行政が動いていることが問題。行政は専門家の見解に基づかないと動かないが、市民はその専門家を信頼できないという現象が起きている」。科学的調査でとらえきれていない健康被害があることや、調査自体の問題の可能性、「科学の名を借りた人権の抑圧」の可能性を指摘した。

影浦さんは「住民が被曝を強いられることが不当であるという議論がなされるべきなのに、どのぐらいの被曝ならば安全かという科学的議論だけが突出している。『直ちに健康に影響は出ない』などの報道の結果、行政の無策や法令違反状態が正当化され、東電や政府の責任が矮小化されている。住民の間でさまざまな分断が起きているのは、本来、責任を取らなければならないところが責任を取らないため。それが一つの大きな原因になって起きたこと」と語った。

この日は、南会津町で原木キノコの自然栽培に取り組んでいる新居崎邦明さんも参加。「報告された内容よりも、現状はさらに厳しいように思います。本来は東電や政府が汚染物質を引き取るべき。農作物への放射性物質の影響で、『自分たちは毒をばらまいているのだろうか』と自分を責める農家の声も聞いています。これまで有機農業で安全なものを作ってきたのに、最も危険なものが降り注いできてしまったことによる混乱と、絶望の中にあるというのが本当のところです」と感想を語った。

(文 藍原寛子)



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(2012年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第182号より「ともに生きよう!東日本 レポート18」)




「しゃべる線量計」視覚障害者や高齢者も使える放射線測定器開発!




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(福島県盲人協会と県内の中小企業で開発された「しゃべる線量計」)





東京電力の福島第一原発事故に伴う放射性物質の拡散に悩む福島県で、測定した放射線量を音声で案内する線量計「しゃべる線量計」が開発された。

12月9日には、開発に当たった阿曽幸夫さん(福島県盲人協会会長)、中村雅彦さん(同協会専務理事)、斎藤雄一郎さん(三和製作所社長/福島県大玉村)らが記者会見して、線量計の仕様や開発経緯などを発表した。

「最初に音声を聞いた時は『ここはこんなに線量が高いんだ』とわかってビックリした。これまで私たち視覚障害者は、今この場の線量がわからず不安だったが、これからは自分自身で確認できる。今後の健康管理にも役立てたい」と、阿曽さんは笑顔で語った。

福島県内では7月以降、線量計を買い求める人が急増したが、音声の出る製品はなく、視覚障害者は不安な毎日を送っていた。そんな状況の中、10月中旬に三和製作所などが線量計「ガイガーFUKUSHIMA」を開発したことがテレビで報じられ、これを知った阿曽さんは中村さんを通じて同社に連絡した。

実は、震災直後の政府の会見放送で手話通訳者がテレビ画面に映らず「過去の教訓が生かされず、聴覚障害者が苦労している」という意見が寄せられていたことから、斎藤社長ら開発チームはすでに視覚障害者向けの音声付き線量計の開発も構想に入れていた。そこで福島県盲人協会からの具体的要望を受け、11月以降、両者で開発を開始。「音声で数値を案内する線量計は世界でも初めてでは」と話している。

線量計の内部にはガイガーミュラー管や回路のほか、数値を音声で読み取る基板が内蔵され、視覚障害者や高齢者が聞き取りやすい高さの女性の声で数値が読み上げられる。今後は起動音やダイヤルの位置、スピーカーなどの工夫を重ねて完成させる。価格は5万円で1月下旬から販売開始の予定。

阿曽さんは「視覚障害者一人ひとりにこの線量計を配布したいが、なかなか予算もない。企業や団体などでご理解いただけるところがあれば、ご協力をお願いしたい」と支援を訴えている。予約受付は1月5日から、福島県盲人協会(電話024―535―5275、火~金曜日午前9時から午後4時まで)。

(文と写真 藍原寛子)








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(2011年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第181号より「ともに生きよう!東日本 レポート17」)






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ケージに入れられた犬たち。福島市飯野町の保護シェルターにて

被災地福島の犬猫たち、飼い主と離れシェルターで越年へ



東京電力福島第一原発事故に伴い、被災したペットたちの〝受難〟が続いている。半径20キロ圏内の「警戒区域」で保護されたペットは、福島県と福島県獣医師会などによる福島県動物救護本部が県内2ヵ所にシェルターを設置し、一時預かりをしている。

市民からの義援金をもとに、犬210匹、猫70匹、合わせて約280匹が2つのシェルターで飼育されているが、毎日のえさやりやトイレ掃除、散歩などはボランティアにより支えられている。




その一つ、福島市飯野町のシェルターを訪ねた。犬の保護スペースに入ると、一斉に鳴き声が響いた。一匹ずつケージに入れられ、人が近づくと警戒して吠えたり、様子を探ろうと鼻を近づけたりする。

「保護直後は、病気やけが、寄生虫などで体調を崩した犬が多い。ワクチンや虫下しなどを与えた後、2週間は隔離室で様子を見ますが、『この子たちも震災の犠牲者だなぁ』と思います」と、犬担当チーフの栗原泉さん。




県は保護した被災動物の殺処分は行わない方針で、飼い主が不明だったり譲渡可能な犬猫は、ホームページに写真入りで掲載し、希望者に引き取ってもらっている。子犬や子猫はほとんど飼い主が決まっていく。その一方で、飼い主がわかっていても引き取られない犬猫が7~8割を占める。このままでは数百匹の犬猫の滞在が長期化しシェルターで年を越しそうな状況だ。

警戒区域の指定解除の見通しが立たないなか、引き取れない主な理由は「借り上げ住宅では飼えない」「家族の状況や仕事で動物の世話ができない」など。福島県食品衛生課の大島正敏課長は「被災した他県ではシェルター縮小や閉鎖になっているのに、福島の見通しは立っていない」と、保護動物の現状を説明する。

避難先でペットが飼えない問題を解決しようと、県は各市町村に、仮設住宅や公営住宅でのペット同居に向けた入居条件緩和を求める通知を2度出した。通知書には、新潟県中越地震で仮設住宅での動物同居は問題がなかったことも明記された。そのことも功を奏し、ペット同居は進んだが、民間の借り上げ住宅では依然として難しい状況にある。

(文と写真 藍原寛子)
 
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(2011年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第174号より「ともに生きよう!東日本 レポート10」)






大野更紗 「困っているひと」があふれる被災地と日本社会を語る



福島県出身の大野更紗さんの本、『困ってるひと』が売れている。
ビルマ難民の支援活動をしていた2008年、
筋膜炎脂肪織炎症候群という突然の難病で「医療難民」となり、闘病生活に突入。
次々に直面する医療や福祉の課題に体当たりし、その現実を描き続けた『困ってるひと』。
大野さんに本のこと、フクシマのこと、そして日本社会について、インタビューした。






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(大野更紗さん。都内で。)




私は「日本の辺境」、おもしろい本が書きたかった




研究留学先のタイから身体を引きずるようにして帰国、検査でさまざまな病院を渡り歩いた後に都内の大学病院に入院。福祉や医療制度の谷間に突き落とされる現実、社会保障制度の不十分さを体験した。通院治療する道を選び、退院後に体験の執筆を始めた大野更紗。きっかけは何だったのだろう。

「辺境作家の高野秀行さんにポプラ社の現在の担当編集者さんを紹介していただき、ウェブマガジン『ポプラビーチ』で連載を始めました。私はずっと高野秀行さんの読者で、06年に講演会をお願いしたことがありました。通院治療を決めて準備していた頃、ラジオから高野さんの声が偶然流れてきました。1時間、未確認生物や怪獣の話をしていて『高野さん、まだこんなバカみたいなことをしてるんだ』とうれしくなりました。友人や社会と断絶した大変な時でしたが、高野さんが私の状況を聞いたら『日本の辺境だ』とおもしろがってくれるかもと思って。『何か書きたいんですけど、どうやったら物書きになれますか』とメールを打つと、翌日、リュックを背負って病院に探検に来てくれました。『とりあえず書いてみて』と言われ、原稿を送ったら、『あ、いいね、おもしろいね。これでいこう』と」

出版界では「闘病記」分類に入る『困ってるひと』。だが内容は「闘病記」というより「ノンフィクション」と「小説」の間の新ジャンルを拓いた感がある。

「高野さんには『闘病記じゃなくて、なんかおもしろい本を書きたいんですよね』って話しました。日本社会って本音と建前がかい離して、被害者や患者は美談か悲劇の中にしかいなくて、グレーゾーンや細部を描き出すことが少ない。そこを、エンターテインメントとして成立させたいと思いました」




本当の苦しさ、危機。外部者や援助者が立ち去ったあとに



隔週月曜日、原稿がウェブにアップされた瞬間から、ツイッターやメールで読者コメントが押し寄せた。回を重ねるごとにその数は増した。

「『おもしろい』って言ってもらえるのが一番うれしかった。読者と一緒に書いたという思い。一体感とグルーヴ感。『私もずっとそう思っていた』というのが一番多く、患者さんだけでなく、看護師さん、介護士さん、中には少ないけれど医師もいました。湧き上がってきたものをワーッと書いて。倒れかかって救急外来にかけこみながら書いたこともありました」

病名もつかない、治療方法もわからない、病院も見つからない状況からの治療開始。死が身近にある闘病生活と、厳しく苦しい内容も実は多い。実際に書いている時は、どんなことを考えていたのだろう。

「書きながら気づきもありました。『ああ、私、難民化しているな』とか。すると読者も一緒に『こりゃ難民だ』って思ってくれて。でも、ビルマ難民の研究していたことがはからずも功を奏したというか、援助を受ける当事者になっていた自分をどこか客観視していました。書きながらそういうプロセスを経て、根幹を問うていった感じかもしれません」

「(死を考えるなど)劇的な瞬間は実はそんなに重要ではなくて。本当に苦しいことは、その後の長い長い時間。外部者や援助者が現れ、でもいつしか去っていく。去った後に本当の危機が始まります。その点で、私は場面の細部を丁寧に書いていくことには気を配りました。それが大事なことだと思っています」

細部といえば、登場人物のキャラクターは実に奇異(いや個性的)だ。医師をはじめ、登場人物全員が、ある意味「困ってるひと」だ。

「患者やメディアの問題点もあるけれど、医師はあがめられるか、悪魔の手先のように恨まれる相手として扱われがちです。医療を絶対視しても、臨床にはスーパードクターなんていない。医師と患者は非対称な関係で、症例がない難病では依存関係にも陥る。でも、医師は福祉のことや、患者がどんな困難に直面するのかを知らない。人間だから当たり前なんですけどね」




どんな「くじ」を引いても、最低限普通に生きられる社会を



東日本大震災で原発事故が起き、避難を転々とする「原発難民」が生まれている。行政のサポートも薄く、「困ってるひと」が大量発生しかけている。

「大震災をはじめ、貧困、障害、セクシャル・マイノリティ、エスニシティ、あらゆる社会問題があって、実は、みんなが困っている人。ところが、それぞれが断層化して『ムラ化』している。ラベリングされて、コミュニケーションが成立しない構造だったり、当事者同士が対立してパイの争いをしている。そんな中で言葉の使い手が協働して現実をつくることが問われている。書くことで、その閉塞感や断層を突き通したいという感じもありました。私は人生について『くじを引く』という表現をしていますが、人間は生まれてから死ぬまで、ずっと強者、あるいはずっと弱者ではない。ただ、一人の人がどのくじを引こうが、最低限普通に生きていける社会の方が、みんなが気持ちよく生活していけるのではないかと思っています。この本が『生きていれば、普通にいろんなことがあるよね』というフラットな議論の場になってくれたらという思いもありました」

彼女の原点の一つになったビルマのことは、次のように話す。

「ビルマに惹かれたのはアウンサン・スーチーさんのこともありましたね。彼女の思想はいろんな解釈の仕方がありますが、徹底した実践家でもあります。失望も悲観もせず、ただ実践を積み重ねる。大変だけど、でもそういう人が出てきて、ちょっとずつ変わっていく。社会がすぐ変わる正解のようなものはたぶんアブナくて、正義とか愛とか、ぱっと寄り添いたくなるようなことを言うのは簡単ですが、たぶん一番ヤバい。自分の生活者としての感覚を大事に、時間をかけて実践する。今、言葉が上滑りする状況が続いていますが、身体的な言葉、日常感覚に届く言葉を探しています」

故郷福島を含む東日本を襲った大震災をめぐる現状は、大野にはどう映って見えているのだろうか。

「情報の路線整理ができていない。どう対処したらいいかわからないけれど、当面はここで暮らすという状況。除染とか放射線防護とか、生活の中で具体的に対処するための情報が必要だと思う。メディアは震災直後から、原発や抽象的な悪を暴くことにわりと終始しているけれど、経過する時間の中で個々の命を守るための具体的な議論がなされないのが現実。センセーショナルに物事を美談として切り取ることを繰り返して、被災者が言葉を発せられる状態になっていないのは深刻です」

生活者として文章を書く。それが一歩一歩の実践だと言う大野。今も、この一瞬も、痛みと闘っている大野。大量の痛み止めも「役立たず」な中、文字通り身を削り取るように書く。一文字一文字がそんな身体の痛みから生み出されている。

「基本的に昏睡してるか、書いてるか、本や資料を読んでいるか。大変なんですけど、こんな人生もあるのかと、ちょっと自分で自分を笑うというか。すごく大変なくじを引いたんだけど、でも最近は大変だとか悲劇だとかは思わなくなりました。日本社会の奥底を歩く、毎日が旅のような感じですかね」(本文敬称略)




(藍原寛子)

福島市生まれ。ジャーナリスト。大野更紗さんとは、同じアジア研究プログラムの仲間。





大野更紗
福島県生まれ。作家。上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程休学中。08年、自己免疫疾患系の難病を発病、都内で在宅通院により闘病生活を送る。
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「困っている人」はウェブ連載中から話題を集め、出版後は4万部を超す話題作。



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(2011年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第172号より「ともに生きよう!東日本 レポート8」)





開設! 市民による放射能測定所&研究所



オープンした市民放射能測定所に設置されたベクレルモニター=7月17日
(福島市、市民放射能測定所)




必要なデータは自分たちで調べて防御したい。

東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う大気や土壌、農作物の放射能汚染と、内部被曝の問題が高い関心を集める中、福島市に7月17日、市民グループによる「市民放射能測定所」(丸森あや理事長)がオープンした。

福島の父母らを中心に今年5、6月に「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島)」「子ども福島情報センター」(中手聖一代表)が発足。参加者から「自分たちの手で、食品の放射能を計測したい」という声があがり、『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一さんと、「未来の福島こども基金」(黒部信一代表)が測定器現物や購入費用を寄付して、開所が実現した。今後、「DAYS放射能測定器支援基金」も同測定所を支援していく。

国や県による農作物などの検査は、検査機器の不足などでサンプル数が少なく態勢に課題が残る。一方で、福島産牛の肉から放射性セシウムが検出されるなど、食品の放射能汚染の不安が広がっている。福島では、子どもをもつ母親を中心に、行政に頼らずに自分たちで調査し、判断しようとする新しい活動が始まった。

測定所には、野菜や肉など主に食品に含まれる放射能を計るベクレルモニター2台を設置。別の建物に「研究センター」のスペースも確保し、外部の放射線の影響を鉛で遮断した大型の高純度ゲルマニウム半導体検出器を設置。今後、より詳しく計測できる機器や、人の内部被曝を測ることができる「ホール・ボディー・カウンター」も整備予定で、本格的な検査態勢になる見通しだ。

同測定所の事務局長・長谷川浩さんは「誤差もあるが、自分たちで計測してデータを得て判断するのが目的。いずれは家畜飼料など農業関係や、学校給食のサンプル調査ぐらいまでやれたら」と話す。

当面は平日3日と、週末のいずれか1日の開所を予定。1人2点までで、無料だがカンパ歓迎。ホームページから事前の予約が必要。問い合わせ、申し込みなどは市民放射能測定所のホームページへ。




(文と写真 藍原寛子)


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