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Photo:高松英昭





「本がほしいから買うんじゃなくて、あなたの笑顔が好きだから買うのよ」




渋谷の東急プラザ前で一昨年6月から昨年の初めまで、ビッグイシューを販売していた石橋孝三さん(65歳)は昨年2月に、ビルの清掃管理を行っている会社への就職が決まり、この春、自分の部屋を手に入れた。だが、ここに至るまでの道のりは、決して穏やかなものではなかった。

初めてビッグイシューを知ったのは2年前。渋谷のモヤイ像の前に座っていると顔見知りがやってきて、「俺はもうやめちゃったんだけど、昔こういう雑誌を売っていたんだ。よかったら紹介するよ」と、所持金のない石橋さんに、事務所までの電車賃として500円を貸してくれた。その後、石橋さんは1日に60冊も売り上げるほどの売れっ子販売員になったが、紹介してくれた当の本人は、そのまま行方をくらましてしまった。




渋谷では、いろいろなタイプのお客さんとの出会いがあった。

「昔見たポルノ映画の女優が買ってくれたこともあるよ。渋谷駅で紙袋を持った駅員が強盗に襲われてマスコミが殺到したときは、テレビ局の社員が買ってくれたりもしました。時間待ちのバス運転士も、カラオケ屋のチラシを配るお兄ちゃんも警備員も、みんなよくしてくれた」

石橋さんが渋谷にこだわるのには理由がある。じつは石橋さんは、渋谷からほど近い広尾で5人兄姉の末っ子として生まれた。当時、広尾にはまだ都電が走っていて、やんちゃな子供だった石橋さんは、都電の車庫に忍び込んでは遊んだ。成人して、大田区の町工場でゴムをプレスする仕事に20年携わった後は、警備会社や千葉の飯場などを転々としたが、仲間との折り合いが悪く、仕事を辞めて渋谷に戻ってきた。




それからしばらく渋谷の町をさまよった石橋さんは、路上生活から抜け出そうと、販売員として再スタートを切った。ところが、長い野宿生活がたたったのか、上野のカプセルホテルで吐血し、そのまま入院。退院後は更生施設で時々身体を休めながら、販売員としてもう1度、渋谷の路上に立った。

そして昨年の2月27日、施設の支援を受けて、ビルの清掃管理を行う会社で、面接と掃き掃除のテストを受けた石橋さんは見事合格し、念願の仕事を手にした。

販売員時代から、笑顔を絶やさないよう努めていた石橋さんは、「本がほしいから買うんじゃなくて、あなたの笑顔が好きだから買うのよ」と、常連さんからよく言われていたそうだ。




「お客さんの言葉を今もしっかりと胸に焼きつけて、清掃中にすれ違うマンションの入居者には笑顔で、『おはようございます』『いってらっしゃいませ』と、気持ちのよい挨拶を欠かさないようにしています。知らん顔をして通りすぎる人もいれば、『いつもご苦労様』と温かい言葉をかけてくれる人もいます。中には菓子折をくれたり、田舎から送ってきた果物を届けてくれる人までいるんですよ」

石橋さんの真面目な勤務態度は、社内でも定評がある。普通は一つの建物を複数人で清掃するのだが、信頼の厚い石橋さんは、一人で一つの建物を任されている。引っ越しシーズンの春は、ごみの分別や、ダンボール箱を潰す作業に、特に時間を取られる。そのため石橋さんは、規定の出勤時間より1時間半も早い7時から現場に出ている。また、真っ黒いぞうきんで拭き掃除をして、入居者に不快感を与えないよう、汚れたぞうきんを自宅に持ち帰り、お湯で入念に洗うといった気配りも忘れない。




石橋さんのきれい好きは、今に始まったことではない。その昔、新橋で雀荘をしていたいちばん上のお姉さんが、たまに自宅に帰ると、決まって石橋さんを呼んで部屋の掃除を頼み、お礼に夕飯をごちそうしてくれたそうだ。

「おふくろがきれい好きでね、散らかすといつも『なんだ孝三、汚いなあ』と叱られていました。あのときのしつけが、今も染みついているんですかねえ」

石橋さんはそう言うと、携帯電話で撮影した自分の部屋の写真を、私に見せてくれた。ユニットバスとキッチンがついた6畳間の家賃は53700円。もともと6万円ちょっとだったのを、家主が厚意でまけてくれたそうだ。

「更生施設のようにキッチンが共同じゃないから、『そんなもん食ってるのか』と馬鹿にされないように、見栄を張ってカルビを炒めたりしなくてもよくなりました。自分の部屋なんだなあという実感が、今頃になってだんだん湧いてきました」と、いとおしむように言う石橋さんの部屋は、隅々まで片づけが行き届いていた。

(香月真理子)

(2006年5月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第50号より)