(2007年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第64号 [特集 100年かけ「霞ヶ浦再生」を実現するアサザプロジェクト]より)






霞ヶ浦の環境問題



霞ヶ浦は流域の人々の生活を支え、首都圏の水がめとしての役割を果している日本で2番目に大きい湖。40年前まではワカサギ漁で栄えた。晩秋から冬にかけてのワカサギ漁の季節になると、白い帆に風をはらませた「帆曳き船」が青き湖面を滑るように走る姿が見られ、年間10億円の水揚げ量を誇ったという。

だが、高度経済成長期を経た1970年以降に、水質汚濁や生物多様性の低下などの問題が深刻となる。ワカサギ漁も60年代をピークに、70年代のアオコの大発生などによる流域全体の水質悪化によって激減した。それに対して、行政による富栄養化防止条例の施行(工場廃水規制)などの対策が効果をもたらした時期もあったが、その後再び汚濁がすすむなか、抜本的な解決はない。

また首都圏の水資源開発と治水を目的に、1970年に始まった霞ヶ浦開発事業(2900億円)により湖岸の全周252㎞はすべてコンクリート護岸化され、水質浄化力のあるヨシ原は半分以下になり、他の水草群落も壊滅的な打撃を受けた。

1995年からNPOアサザ基金は、霞ヶ浦流域全体の環境保全を視野に入れ、地域コミュニティを核にした市民型公共事業として「アサザプロジェクト」を展開してきた。






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春から夏にかけて、霞ヶ浦(茨城県)の湖岸に小さく可憐な黄色い花が咲く、アサザ。実はこの花はシンボルにすぎず、その背後には、死んだとさえいわれた日本第2の湖、霞ヶ浦の自然を再生させるという、アサザプロジェクトがある。
いったん絶滅しかけたアサザの苗を育て、それを湖に移植したのは、霞ヶ浦流域の170をこえる小学校の小学生。100年後にトキが舞う湖にしたいという、子供が主役の公共事業でもある。プロジェクトが始まって11年、かかわった人は延べ13万人以上になる。
素手の市民の発見、智恵、遊びのような楽しい活動が切り拓いた壮大な霞ヶ浦再生の物語を紡ぎだす飯島博さん(アサザ基金代表)に、話を聞く。




アサザ。湖自身の自然治癒力の発見





1993年から2年をかけて、飯島博さんは霞ヶ浦の湖畔を小学生や中学生たちと一緒に4周した。この時すでに、コンクリート護岸工事によって、湖の全周は水質浄化力のある自然の渚が失われていた。また、護岸壁に打ち寄せる波によって湖底の砂地は深くえぐられて、ヨシや水草の大部分が消滅していた(図1)。

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しかし、ある日アサザの群生が残っている湖面を眺めていた飯島さんは、そこだけ打ち寄せる波が和らいでいることに、ふと気づく。

「他の水草だってよかったし、アサザには何回も出会っていたんだけれど、その時初めて、アサザからひらめきをもらいました。それまでは、僕自身もみんなも人間の力による工学的な方法で自然を再生できないかと思っていた。けれど、アサザが持つ湖自身の自然治癒力のような働きを見て、こういう自然の働きを生かしていけば、湖を”よみがえらせる“んじゃなくて、湖が”よみがえる“んじゃないかな、と思ったんです」




1981年から霞ヶ浦・北浦をよくする市民連絡会議で霞ヶ浦の水質調査などを行っていた飯島さんは、アサザを湖に植えて霞ヶ浦の自然を取り戻そうと考え、すぐに行動を起こした。しかし、初めてのアサザの植え付けには失敗してしまう。コンクリート護岸に打ち寄せる強い波に流されて、1週間足らずの間にアサザはすべて流失してしまったのだ。

そこで、考えついたのが伝統河川工法である粗朶消波堤をつくることだった。沖合いに設置した粗朶消波堤によって波が弱められた湖底に、アサザを植えていくという方法だ。粗朶消波堤は昔の人が考えた伝統技術だが、石積みの消波堤(図2参照)とは違って、波を抑えつつ水を通すので漁礁にもなり、将来アサザ群落が地下茎を延ばし沖に向かって広がっていくときにもじゃまにならないという長所がある。(図3参照)


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飯島さんは、一つの仮説を考えた。まずアサザを植え、アサザの群落ができると、沖合いから湖岸に打ち寄せる波の力がアサザ群落に吸収され、波が抑えられる。同時に波に弱められたアサザ群落付近には徐々に砂が堆積し浅瀬ができ、ヨシをはじめとする多様な植物群生が生まれる。このような自然湖岸が再生すると、湖の水質の浄化が促進され、霞ヶ浦の再生がはかれるというものだ。




1995年、NPO法人アサザ基金を設立。その後、この仮説がみごとに証明されていく。バケツに蒔かれたアサザの種は霞ヶ浦に移植され、11年後の今、湖面に清楚で美しい花を咲かせるだけではなく、流域全体に広がるさまざまなプロジェクトとなって根づいた。霞ヶ浦のシンボルも、かつての汚染のアオコから、再生の象徴であるアサザへと転換、9月のアサザ満開の時期には、花見に訪れる人が増えている。


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Photos:アサザ基金提供
Photos:高松英昭