(2011年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 159号より)





祖母、母、私、三世代の道のり。生地に残った記憶をたぐる




在日コリアンとしての
アイデンティティから生まれた、静謐な世界。







Profiel

テキスタイルアーティスト 呉 夏枝さん





織り、染織、刺繍もこなし、着物とチマチョゴリをつなぎ合わす



刺繍を施したチマチョゴリや、麻縄を使ったインスタレーションなど、布や織物を用いたテキスタイルアートを展開している呉夏枝さん。

「布はエモーショナルな表現ができる素材。それに、軽いから微妙な空気感も表しやすいんです。シルクや綿や麻、それぞれに手触りも印象も異なるので、柔らかさや力強さなど、その時に表現したいものに合うものを選んでいます」



呉さんは布を使うだけでなく、織り機を用いて糸から織る。また、染色や刺繍も自身で手がけているという。「非常に手間も時間もかかりますが、そうやって自分の手で一つひとつの工程を経ていくからこそ生まれる、確かなものを信頼しています」

洋裁をしていた母の隣で、子どもの頃から自然と布に親しんでいた呉さん。いつしか布を使って何かを表現したいと考えるようになり、美術大学へ進学。染色と織物を専攻した。在学中に主に関心をもっていたのはコンテンポラリーアートだが、卒業制作を機に向き合うことにしたのは自身のアイデンティティだった。




「在日コリアン3世であること、女性であること。それまであまり考えてこなかったことを考えてみたい」という思いのもとにつくりあげたのが、着物とチマチョゴリをつなぎ合わせた衣服。それは、「韓国人なのか、日本人なのか」という在日コリアンに向けられがちな、また自身でも悩んでしまいがちな問いに対しての呉さんの一つの答えでもある。

「着物でもなくチマチョゴリでもない、美しい衣装をつくろうと思いました。どちらにも引っ張られずに、単独で美しい衣装であるようにと、そんな思いを込めました」
そして、この制作を機に使い始めたのが、「呉」という姓。日本で生まれ育ち、ずっと使ってきた「通称名」も自分の名だが、アーティスト活動をする時には、両親や祖父母たちが生きてきた歴史を表す「呉」を使うことに決めた。





沈黙の記憶、そして新しく生み出される記憶



「その後、祖母が亡くなったのですが、母は祖母のチョゴリを処分せずに取っておいてくれました。それをいつか作品にできたらと部屋に掛けておいたところ、ある日そこから祖母の存在を強く感じ取ったんです。祖母が語らなかったこと、私が聞くことができなかったこと。そんな、『沈黙の記憶』をこのチョゴリは知っている。雄弁に語られることのない、ある一人の女性の歴史をチョゴリを通じてたどっていけたら、と考えました」






010 3つの世代
『三つの世代』(Photo:イ・ソンミン)





写真作品『三つの世代』には、祖母のチマチョゴリ、母のチマチョゴリ、そして自分でつくったチマチョゴリを着た呉さんが曲りくねった道の真ん中に立っている。

「撮影場所は、祖母の出身地の韓国・済州島。祖母も母も、私と同じ年齢の時にはどんなことを感じていたのだろうかと考えながら撮影しました」





045不在の存在1

「不在の存在」
(HIROSHIMA ART DOCUMENT 2008より)




白いオーガンジーでつくられた衣服が、部屋に浮遊しているかのように配された『不在の存在』という作品からは、今は亡き人が確かに存在していたこと、肉体はそこに残らなくとも、ある一人の人生がそこにあったことを想像させられる。


「作品を通して、そこにあったであろう物語を想像してもらえたら、そして、ご自身が関係する誰かとの記憶へとつなげてもらえたらうれしいですね。古い記憶は、その時に感じたものと合わさって、また新たな記憶が生み出されていく。悲しくつらい記憶は、永遠に悲しくつらい記憶ではなく、その記憶を受け取る人の想像力でいかなる記憶へも変わる可能性がある。だからこそ、どんな記憶をどうつないでいけるかが重要だと思うんです」





在日であることはアイデンティティを構成する一つの要素にしかすぎないが、同時に重要な部分でもあると話す呉さん。「その核を大切にしながら、さまざまな表現に挑戦していきたい。布をほぐして、また織り直していく。私の創作は、そういう作業。多くの方の思いを投影できる、そんな作品をつくっていきたいと思います」

筆者も在日コリアン3世。呉さんの作品を見ていると、亡き祖母と話がしたくなり、つい目頭が熱くなってしまった。




(松岡理絵)
Photo:中西真誠




呉夏枝(お・はぢ)
1976年、大阪府生まれ。現在、京都市立芸術大学美術研究科博士課程在籍中。02年〜04年ソウルで、言葉と韓服の縫製を学ぶ。06年「root—わたしの中の日本的なもの—」(京都・法然院)、08年「HIROSHIMA ART DOCUMENT2008」(広島・旧日本銀行広島支店被曝建造物)への出品他、個展・グループ展多数。 

http://hajioh.com/