絶滅秒読みの希少種「ヤンバルクイナ」を保護する—「どうぶつたちの病院」事務局長・長嶺隆さん

(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第75号より)

人口100万人と固有の動物が共存 奇跡の森の「命(ぬち)どぅ宝(たから)」

沖縄島北部”やんばるの森“に生息する、飛べない鳥、ヤンバルクイナ。絶滅の危機に瀕するヤンバルクイナの保護に取り組む、長嶺隆さん(NPO法人どうぶつたちの病院事務局長)から届いた緊急レポート。

人が導入したマングース、ヤンバルクイナの天敵に

1981年、やんばる(沖縄島北部地域)の森で新種のクイナが発見された。先進工業国での新種の鳥類の発見は「世紀の発見」といわれ、”やんばるの森“の神秘さをあらためて知らしめた。

当時、浪人中だった私は夢中で国頭村に向かった。幻想的な朝靄の中、ヤンバルクイナは沢沿いの茂みからゆっくりと姿を現し、水辺に脚を踏み入れ真っ赤な嘴で何かをひとつまみしたかと思うと、再び茂みに戻っていった。そのすべての場面を鮮明に覚えている。

ヤンバルクイナはチャボくらいの大きさの、真っ赤な嘴に真っ赤な脚を持つ派手な鳥。胸から腹まで黒と白の横縞で彩られている。国内で唯一の飛べない鳥であり、飛べないクイナの北限種でもある。発見から10年後で既に、ヤンバルクイナは生息分布域を大幅に減少させていた。森は残っているのに、なぜヤンバルクイナが絶滅へ向かい始めたのだろうか?

その原因はやはり我々人間にあった。外来種マングースの侵入である。1910年、毒蛇ハブや農作物に被害を与えるネズミ退治のために、マングースをインドから導入し、17頭が沖縄島の南部、那覇市近郊で放獣された。以来マングースは沖縄島を北進し続け、80年代に入ると”やんばるの森“へ侵入し、ヤンバルクイナの天敵となった。

81年、ヤンバルクイナはやんばる全域に分布し、約2千羽いたとされる。だが00年頃までに、その生息地は半減し千羽をきってしまう。現在はわずか7百羽程度に追いつめられ、発見からわずか26年で、日本で最も絶滅に近い鳥類となってしまった。片やマングースは3万頭をこえた。

追い打ちかける、捨て猫、交通事故

さらに不運なことに、南からマングースによって追いつめられたヤンバルクイナを森の中で待ち受けていたのが、捨てネコであった。捨てネコは自らの命をつなぐために森の生き物たちの命を奪っていたのだ。2001年、(財)山階鳥類研究所はノネコによるヤンバルクイナの捕食を証明し、発表する。

獣医師になり18年ぶりに沖縄に戻っていた私に、この事実は衝撃だった。ネコをはじめペットの命を救う仕事を10年以上続けていながら、一方で捨てられるネコたちの命には見向きもしてこなかったのではと、自問自答した。 

02年、国や沖縄県はノネコの捕獲を開始し、動物愛護団体と対立していた。そこで、私たちは「クイナもネコも守ろう」と獣医師グループを立ち上げ、ヤンバルクイナの主要生息地である国頭村安田区と協働で活動を始めた。

公民館で飼いネコの不妊手術と飼い主を明確にするためのマイクロチップを導入するという、地域での「ネコの飼育のルールづくり」である。これが効を奏し人口約200人の安田区ではノネコがいなくなり、集落内でヤンバルクイナの繁殖が始まった。

環境省はこの事例をモデルに、やんばる地域の三つの村で「モデル事業」を展開。獣医師会やNGOが参加し、2年間で約500頭の飼いネコに避妊手術とマイクロチップを施し、国内で初めて飼養登録制度も義務づけた「ネコの飼養条例」を施行した。

01年に捕獲されたノネコは約200頭だったが、現在は10分の1の20頭にまで減少した。捕獲されたネコたちは保護され新たな飼い主探しを行い、これまで1頭のネコも処分されていない。それは「命どぅ宝(ぬちどぅたから/命は宝)」を発信し続けてきた沖縄で、世代の責任としてやらなければならないことであった。世界的に見ても、このネコ対策の解決へ向けた速度は異例といえるだろう。

一方、マングースは北進を続けている。マングースの根絶に成功した例は海外でも報告がなく、ヤンバルクイナの絶滅は秒読み段階に入ったと考えていいだろう。

さらに追い討ちをかけるのが、交通事故だ。昨年は13件が発生し過去最多となった。私たちは安田区と協働でヤンバルクイナ救命救急センターを設置し、事故にあったクイナを救護し森に帰す活動を展開している。

救護したヤンバルクイナの治療や飼育から学び、万が一直面するかもしれない絶滅の危機を回避するために、飼育下の繁殖に着手した。残された時間は少ない。

琉球列島を代表する”やんばるの森“は「奇跡の森」とも呼ばれている。「大陸のかけら」という地理的要因もあいまって独特の固有の進化を遂げた動物たちの宝庫だ。

しかし、「奇跡の森」といわれるもう一つの大きな理由は、100万人をこえる人々がこの島に暮らし続けながら固有の動物たちが生き続けていることにある。私たちの沖縄は、沖縄のいとおしい野生動物たちと共存できるはずだ。それが誇りであり、それが次世代への義務であり、先人たちが残してくれた心であると信じている。

(長嶺隆)
(Photo:金城道男)
(写真提供:どうぶつたちの病院)

ながみね・たかし
1963年、沖縄県生まれ。日本大学農獣医学部卒業。獣医。2004年、仲間とNPO法人「どうぶつたちの病院 沖縄」を設立。現在、理事長。人と飼育動物(ペット)と野生生物が共生していくための事業を行う。やんばる・西表・対馬に活動拠点を持ち、ヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコ、ツシマヤマネコなどの保護活動を行っている。
http://yanbarukuina.jp/

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