クラゲが大発生する、荒れ果てた日本の海
60年代東京湾、90年代瀬戸内海、そして2002年からは毎年のように日本海がクラゲだらけになる。この物言わぬ海の生物は私たちに何を警告しているのか?
苛酷な海の環境に耐え切れなかった魚たち
日本の海がクラゲだらけになる。そんなSFかホラー映画のような話が現実に起こりつつある。
1960年代、高度成長期で富栄養化と沿岸開発が急速に進んだ東京湾にミズクラゲが異常発生。臨海の火力発電所に押し寄せて冷却水を止めてしまい、都市が大停電に陥った。「富栄養化と埋め立てが進んだ苛酷な海の環境に、弱い魚は耐え切れなかった。そんな状況にでも耐えられるクラゲだけが残ったんです」と広島大学、生物生産学部教授の上真一さんは語る。
1990年代には、漁獲量が半減した瀬戸内海でも猛威を振るったミズクラゲ。2000年代に入ると、02年からのほぼ毎年、体重200をこえる世界最大級のエチゼンクラゲが、朝鮮半島と中国本土に囲まれた渤海、黄海、北部東シナ海などから日本海に群れを成してお目見えするようになった。
なぜ、今クラゲなのか? この物言わぬ海の生物は、何を私たちに警告してくれているのか?
クラゲ大発生の原因は、完全には解明できていないが、だいたい以下の四つが考えられているという。
「一つは、クラゲと餌を取り合うことになる魚類が、乱獲により減少していることがあげられると思います」。結果、餌となるプランクトンを独り占めできるクラゲの独壇場となった。
二つ目は、富栄養化によりクラゲの餌が増えたこと、三つ目は護岸工事や埋め立てが実施されることにより、海岸で付着生活を送るクラゲが個体数を増やす「ポリプ期」の付着場所が増えたことが考えられる。
そして、最後が温暖化だ。「黄海では、ここ25年間で冬季の水温が2度も上昇しています。クラゲの生殖能力は水温が高いほど高まるため、クラゲの増殖速度は年々増しているといえます」。
そして大発生したクラゲは、海流に乗って日本海に漂着する。
赤潮は風邪、クラゲ大発生は内臓不全で瀕死の状態
上さんはもともと小型の動物プランクトンを専門にしていた。実験用のプランクトンを捕りによく海に出向いていたのだが、1990年代前後からクラゲの被害が出始め、容易にプランクトンを見つけることができなくなったことが、クラゲを研究するきっかけとなった。
「はじめはクラゲの入らない網で、プランクトンだけを取ったりしていました。でも、『これは海が変わった』というのを肌で感じて、まずは敵を知らなければならない、と思ったんです」と語る。
クラゲの研究を進めるうちに見えてきたことは、クラゲ大発生の裏に潜む人間の営みだった。
「海の”生物を支える力“というのは、昔も今もそれほど変化はありません。それでも、最終的に産物として取り上げる漁獲量が昔と比べてこれだけ減ってきているというのは、人間が乱獲によって生産資源そのものを相当低いレベルに追い詰めてしまっている現状があります」
結果、日本の海はクラゲがしばしば大発生するほど荒れ果ててしまった。一度クラゲが圧倒的優位に立ってしまうと、魚類の餌を横取りし、せっかく生まれた卵や稚魚をも捕食してしまう。逆戻りすることのできない「クラゲスパイラル」ともいうべき事態へと陥っていく。
そのスパイラルを食い止めるべく、対処法を探していた上さんたちの研究班は、クラゲのポリプ期の天敵として巻貝が有効であることを発見した。また、食塩とミョウバンを使って、クラゲを食用に加工することも考えた。
しかし、結局このスパイラルを食い止めるために必要不可欠なのは、単にクラゲを退治するのではなく、「我々がどういう風に生きていくか」という問いを発することだという。乱獲、富栄養化、自然海岸の減少、温暖化……クラゲ大発生の要因すべてが、私たちの日々の暮らし方、生き方に密接な関係を持つからだ。
「資源としてその魚がたっぷりあるか、一目見てわかるようなシールを貼って販売するような試みも行われているようです。今でしたら、ウナギやマグロなんかはレッドカードでしょうね」。そうした消費者である私たちをも巻き込んだ、適正な漁業資源の管理が有効な手立てとなる。
「海の状態を人間に例えれば、赤潮は少し風邪をひいて顔が赤くなった状態。クラゲスパイラルはいくつもの病気を併発し、内臓不全におちいったような瀕死の状態です。少しでも早く、手立てが必要です」
(八鍬加容子)
写真提供:上真一
うえ・しんいち
1950年、山口県生まれ。広島大学水畜産学部卒業。東北大学大学院農学研究科博士課程を経て、現在広島大学生物生産学部教授。
(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より)