食料品やエネルギーの価格高騰に多くの人が危機感を募らせている。インフレがもたらす社会的影響と有効な施策について、ドイツ経済研究所(DIW)のマルセル・フラッチャー所長に『ヒンツ&クンツ』誌(ドイツ・ハンブルク)が話を聞いた。
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―所長は2022年1月時点でインフレがもたらすパニックについて警鐘を鳴らしていました。その後、ヨーロッパで戦争が起き、多くの人々が水道光熱費に怯えています。この事態をどう捉えていますか?
マルセル・フラッチャー氏:決してパニックになるべきではありませんが、現在のインフレ率では人々が不安を覚えるのも無理ありません。物価が安定していると言えるのはインフレ率が年平均2%程度のこと。経済全体で3〜4%くらいならまだ許容範囲でしょう。でも8〜10%の物価上昇が長期間続くと厄介で、今まさにそれが起きています。これが数年も続けば、企業は先が見通せなくなり、投資を控え、雇用が減り、人々の所得にも如実に響いてくるでしょう。
― インフレが個人、特に低所得者に問題となるのはどのような場合ですか?
インフレは個人レベルでは常に問題です。とはいえ、その影響度合いは所得によります。賃金が10%アップした人にとっては、5%のインフレはそれほど問題ではありません。ですが現在は、インフレ率が7〜8%になるのに賃金が平均4〜5%しか上がっていない。だから問題なのです。年度内に大勢の人が購買力を失い、家計が苦しくなるでしょう。
― 雇用者側は賃上げしてもインフレを促進するだけ、と警告しています。
インフレ率が8%のときに労働組合が15%の賃上げを勝ち取ったなら賃金・物価スパイラル*1 が起きるでしょうが、現状、労働組合はそんなことを要求していません。それに、ドイツで労働協約が適用される仕事は全体の半分以下です。特に低賃金の業種では、労働協約で定められた賃金で働く従業員の割合が最も低くなっています。なので、賃金・物価スパイラルが起きるとは考えられません。
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今問題なのは、賃金が十分に上がっていないことです。人々の購買力が落ち、地域のお店や飲食店が苦戦を強いられています。何より必要なのは、賃金と物価のバランスを保つことです。
*1 賃上げが物価上昇を呼び、それがさらなる賃上げを呼ぶ悪循環に陥ること。
― 現在の物価高騰はどのような人に最も影響していますか?
現在起きているのは“社会を弱体化させるインフレ(socially corrosive inflation)”です。エネルギーや食料といった誰もが必要とするものの値段が上がっているからです。ドイツ経済研究所の調査では、この物価高による追加出費は、低所得者で収入の10〜15%相当になるが、高収入の人たちは2%程度で済むことが分かっています。こうした不均衡が社会をむしばんでいるのです。
― ドイツでは、300ユーロ(約43,500円)のエネルギー補助金、ガソリンの割引、9ユーロ(約1300円)の公共交通機関チケット、福祉手当を受けている人への1回限りの支援金といった救済措置が取られています。これについてはいかがですか?
救済措置を取ることは基本的に良いのですが、設計が適切でなく、支援が不十分なものが多いのも事実です。たとえばエネルギー補助金は、現金を受け取った人が自分で300ユーロの使い道を決められるので、経済的に合理的といえます。「このお金の使い道はあなたが一番よく知っている」と政府が国民を信頼するのは正しいやり方です。一方で、燃料の価格制限、つまりガソリン1リットルあたり35セント(約51円)の値引きは、安くなった分だけ需要が増えるので、良い手ではありません。
― ガソリン割引は社会にどのような効果があるでしょうか?
ドイツの最低所得層の人々は車を持っていませんから、燃料割引として拠出された30億ユーロ(約4360億円)は主に高所得者と石油会社のために使われ、車を持たない低所得者にメリットはありません。
私が政府の救済措置について問題視しているのは、それが一度限りの援助であることです。インフレは単発の問題ではなく、牛乳、野菜、電気代はずっと値上がりし続けます。一時的にお金をもらったとしても、数か月後には尽きてしまい、また同じ問題が繰り返されるだけ。問題を根本解決するには、賃金と社会保障給付の引き上げしかありません。人々の懐に入るお金が増え続けるようにしなくては。
― 今年1月、ドイツの失業者給付「ハルツ4(Hartz-4)」の給付額がそれぞれ3ユーロ引き上げられ、成人で月額449ユーロ(約6万5700円)となりました*。これは十分な措置といえるでしょうか?
暖房費と食費の上昇にともない、低所得世帯ではすでに月150ユーロ(約21,800円)の追加費用が必要となっています。また、ドイツの老齢基礎年金の支給額は、単身者で月額約900ユーロ(約130,700円)です。これらを踏まえると、月額で100ユーロ(約14,500円)程度の増額を検討する必要があるでしょう。
*参照:Germany to raise Hartz IV unemployment benefit by just three euros
― 長期的な施策についてはいかがですか?
原則として、社会保障給付も賃金に合わせて増額し、すべての人がコミュニティの一員でいられるようにすべきです。給付家庭の子どもも同級生と同じように映画館などに行けるようにする。そのためには、社会全体の繁栄に合わせた給付額を設定すべきです。
―でも、社会保障給付を増やし続けられる余裕がこの国にあるでしょうか?
パンデミック下で政府は3千億ユーロ(約43兆6千億円)を拠出しましたが、その大部分は企業向けでした。社会保障給付を引き上げるとなるともちろんお金がかかってきますが、せいぜい50億〜100億ユーロといったところでしょう。これもかなりの額であることは間違いありませんが、重要なのはこれが一体何のために使われるのかです。人々をより裕福にするためではなく、困窮者が破綻しないようにするためです。これは私たちが最低限目指すべきことで、実現しなければならない。国にはその資金があります。
―富の不平等が拡大する中、ドイツの社会保障制度をどう改革していくべきでしょうか?
根本的な変革が必要です。失業、病気、ホームレス状態になってから対処する消極的な制度ではなく、人々の意欲を高め、そもそも困難な状況に陥らないよう早い段階で、生活できる収入を確保できるような“予防的”支援が必要です。困難な状況に陥ってしまった人々が再び道を切り拓いていけるような支援も並行して。また、人には社会的なネットワークが必要ですから、社会事業も非常に重要になってきます。困窮した人がさらなる悪循環に陥らないようにする。つまり、政府は国民に要求するのではなく、もっと国民のやる気を引き出すべきです。
― 賃金にはどんな変化が必要ですか?
まずは、最低賃金を時給12ユーロ(約1740円)にすることです*2。ドイツには12ユーロ以下で働いている人が約700万人もいて、これは雇われ人の約5人に1人の割合です。そして、最低賃金以上で働いている人たちにも、少なくとも物価上昇分が補填されるよう働きかけるべきです。
*2 2022年10月より最低賃金が12ユーロに改正された(参照)。
ただ、業界や業種ごとに見ていく必要があります。地元の小さなパン屋にとっては、従業員の賃金を2〜3ユーロ上げるのは大変なことです。ですが、インフレで苦しむ人がいる一方で、記録的な利益を上げている大企業もたくさんあります。インフレ下でも、お金はブラックホールに消えているわけではなく、1ユーロ多く払う人がいれば、どこかでその1ユーロを手にする人がいます。プーチン大統領だけでなくドイツの多くの企業も儲けています。そうやって利益を上げている企業の労働者や労働組合が「自分たちにも分け前を」と訴えるのは真っ当な要求だと思います。
― 物価上昇に企業はどの程度の責任を負うべきでしょう?
現在、儲かっている企業のひとつが石油会社です。2022年の1月末から3月末にかけて、ディーゼル燃料は1.60ユーロ(約230円)から2.30ユーロ(約330円)と、70セント(約100円)上昇しました。うち20セントは輸入原油価格の上昇によるものですが、残りの50セントは製油会社や石油会社が上乗せした取り分です。
DAX指数(ドイツの代表的な株価指数)を構成するいくつかの企業は、昨年から今年の初めにかけて最高益を上げました。不透明感や不安が渦巻く世界状況でもしっかりと収益を上げ、利潤を高めているのです。利益の最大化というビジネス本来の目的を達成しているのですから、こうした企業を非難するつもりはありません。ただ、「それは結構なことですが、課税させていただきますよ」と言うのが国の仕事です。この危機的状況から利益を得ている者たちは、その損害にも責任を持つべきです。
― 世界的に政治の先行きが不透明感を増す中、今後数ヶ月〜数年の物価推移は予測できますか?
ウクライナ戦争やパンデミックの行方に大きく左右されるため、予測するのは難しいです。希望的観測としては、今年7%だったインフレ率が来年は3〜4%に収まってくれればと願っていますが、戦争が長引けば年内に10%に達し、来年さらに上昇する可能性も否定できません。
今後5〜10年は、過去10年とは大きく状況が異なってくるでしょう。これまでドイツの物価上昇は比較的ゆるやかなものでした。家賃は別として、生活必需品や食料品については多くの地域で安くなっていました。しかしこれからは、グローバルなサプライチェーンという世界経済の仕組みを一から作り直す必要に迫られるでしょう。エネルギーもロシア依存から脱却しなければなりません。そのような中でインフレ率が3%〜3.5%程度におさまれば悪くないでしょう。ただし、賃金上昇が伴えばの話ですが。
By Lukas Gilbert
Translated from German via Translators without Borders
Courtesy of Hinz&Kunzt / International Network of Street Papers
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