世界的な食糧不足が懸念される中、永久凍土に囲まれたノルウェーの「スヴァールバル全地球種子庫」が人類を救う“最後の砦”になるかもしれない。『ビッグイシュー英国版』が潜入取材した。
この記事は2020-05-15発売の『ビッグイシュー日本版』383号(SOLDOUT)からの転載です。
北極付近、停電時も心配なし
世界の種子のスペアを保存
氷に閉ざされたノルウェー領スヴァールバル諸島。本土と北極点の中間に浮かぶこの地にあるのが「スヴァールバル全地球種子庫」だ。荒涼としていながら息をのむこの景色の中に、世界中の貴重な農作物の種子を保存すべく建設された究極の貯蔵庫が存在する。
種子庫の外観は、映画「007」に登場する悪役のアジトさながらだ
Photos: Global Seed Vault / Riccardo Gangale
2008年に完成したこの種子庫は、ノルウェー農業食料省とグローバル作物多様性トラスト、ノルディック遺伝資源センター(NordGen)が共同運営し、世界各地のジーンバンク(遺伝子銀行)や政府、大学、研究所によって利用されている。それらの機関で保存されている種子が危険にさらされたり、大規模な飢饉が発生したり、紛争によって食糧供給網が絶たれたりした場合、あるいは小惑星との衝突で世界が滅亡の危機に瀕するなど最悪の事態が訪れた時に、人類が生き残る上で最大の望みとなる種子庫なのだ。
山中に掘られた海抜約130mの岩盤内部に設置された貯蔵庫には、100万種類を超える種子がマイナス18度で冷凍保存されている。たとえば、マメは4万種類、小麦は15万6000種類だ。
倉庫につながる130mのトンネル
スヴァールバルが全地球種子庫の設置に最適だとされたのは、寒冷地だからである。貯蔵庫が永久凍土層に囲まれているため、停電しても種子は冷凍保存されたままだ。僻地であることも安全性を高めている。施設はノルウェーの政府資産運用管理機関「STATSBYGG」が守っているが、不法侵入者は、人間よりも数が多いシロクマと戦わねばならないだろう。
倉庫の天井や壁は凍っている
Photo: National Geographic Image Collection / Alamy Stock Photo
15年から全地球種子庫を統括しているアスムンド・アスダルは、誰も倉庫を開けられない「ブラックボックスのようなもの」と位置づける。「大切な書類があるなら、まずはコピーをとっておくはずです。世界各地のジーンバンクには貴重な種子が数多く保存されていますが、すべて一ヵ所に集めておいたら不安です。だから安全を期して、種子のスペアがここに貯蔵されているのです」
新しい種子が預託されるのは最大年6回で、毎年4~6ヵ所のジーンバンクが新たに参画している(※1)。今年2月には数十におよぶ世界各地のジーンバンク代表者がこの地を訪れ、世界サミットを開催。種子庫が開設されて以来、最大量の種子が預託された。
※1 日本で初めて預け入れを行ったのは14年。岡山大学資源植物科学研究所からオオムギ種子575系統(各300粒)が預託された。約70年にわたって世界各地から集められたもので、既に失われた貴重な品種が多く含まれている。
5年ごとに発芽の実験
米国先住民族も種子を預託
「私たちは『100年実験』と名づけた取り組みを行っています。1986年に納められた北欧原産の種子を5年ごとに取り出し、発芽するかどうか実験しています」とアスダルは言う。「種子は永久保存ができません。古い種子と新しい種子を時々交換しなくてはならないのです。それが全地球種子庫の仕事です。 50年間でダメになる種子もあれば、1000年もつ種子もあります。種子の保存可能期間についてはまだ十分に解明できていません。だから発芽実験を行うわけです」
種子の保存方法は、ガラス瓶から今はアルミニウムのパウチが主流に
Photo: Svalbard Global Seed Vault
貯蔵庫から3km離れたところにある、スヴァールバル諸島最大の町ロングイェールビーンは地球の最果てのようだ。貯蔵庫周囲の外気温は、中と同じマイナス18度近くまで低下するが、この地でも気候変動の影響ははっきりと肌で感じられる。今日の最高気温は1度と、驚くほど季節外れの高さまで上昇したのだ。
17年初めには、入口のトンネルが雨水と解けた永久凍土で氾濫。その冬は例年より気温が7度も高かった。こうしたことから、貯蔵庫はトンネルの防水機能を高め、冷却装置と警備システムも改善するなど1670万ポンド(約22億円)をかけた大規模修繕工事を終えたばかりだ。
ノルウェーのアーナ・ソールバルグ首相によれば、改修が必要なのは気候変動がこれまでの予想より急速に進んでいる兆候だという。「現在はより効果的な方法で最悪のシナリオに備えています。(中略)気候変動は生物多様性の維持に直結しているのです。気候の変化に備えるべく計画を立てて、未来の人類に食糧を提供しなければなりません」
サミットで遺伝子バンクの名前が読み上げられていくさまは、五輪開会式で各国代表選手が入場行進している場面を彷彿とさせる。ソールバルグ首相が証明書を手渡すと、種子が納められた箱が入口へと運ばれていくのが象徴的だ。
種子一つひとつにも独自の物語がある。米国先住民族として初めて種子を預託したのがチェロキー族だ。種子サンプルは主に、先住民族の間で「スリー・シスターズ」と呼ばれるトウモロコシ・カボチャ・マメで、その起源はヨーロッパからの入植以前にさかのぼる。チェロキー族の大半は現在オクラホマ州に住んでおり、トウモロコシは成長するとゾウの目の高さにもなるという。しかし、同地域は干ばつや洪水、竜巻が発生しやすく、農作物と民族の伝統はしばしば危険にさらされている。
シリア、紛争で貴重種子消失も
全地球種子庫から取り戻す
このように世界では多くの人が気候変動の影響を受ける地域に住んでいたり、天候被害を受けやすい作物一種だけに依存するなど、食糧不足に脅かされている。持続可能な開発目標(SDGs)のアドボケート(賛同者)を務めるガーナのナナ・アクフォ=アド大統領もスヴァールバルを訪れた一人だ。サミットではスピーチを行い、多くの国々が不安定な状況に置かれていると訴えた。「気候変動が世界中の農業に多大な影響を与えていることは周知の事実です。わが国では、度重なる干ばつと洪水に見舞われ、伝統農業への脅威が現実となっています」
ガーナが極端な例だというわけではない。ミャンマーにおける人口の70%、マリの80%、ブルンジの90%は農業を収入源としており、それらの国々の科学者たちは自国で最も丈夫な農作物の種子をスヴァールバルに預託している。また、世界人口の半分近くにあたる約30億人は米が主食だ。
そのため、フィリピンにある国際稲研究所はさまざまな種類の種もみが入ったサンプルを用意。これをスヴァールバルに保存し、10~40年後にどのくらい発芽するのかを確認する予定だ。インドとモロッコの遺伝子バンクは、主に乾燥が進む熱帯地方に欠かせない種子を預託する。熱帯地方では20億人以上が暮らし、6億6400万人が貧困にあえぎながら農業で生計を立てている。
将来、何が起こるのかは不確かであり、そこまでして種子を備蓄するのは行き過ぎではないかと思うかもしれない。しかし、同種子庫がタネの存続に欠かせないことはすでに証明されている。
たとえば国際乾燥地農業研究センター(ICARDA)はスヴァールバルに8万種類を預託しているが、その多くは自然生息していない絶滅種だ。しかしICARDA独自の貯蔵施設は不運にもシリアのアレッポにあり、12年にシリア紛争で運営が困難になってしまった。
「シリア政府軍が国内のICARDA施設を占領したのです」と同施設のアハメド・アムリは話す。「このジーンバンクには14万1052種類の種子が登録されていましたが、私たちは08年からそのスペアをスヴァールバルに預けていたおかげで、種子を取り戻すことができたのです」。その後、ICARDAはモロッコとレバノンに新拠点を作り、毎年約3万種類ずつを蘇らせているところだ。
サンプル共有、世界で研究進む
失われた遺伝的性質の回復へ
スヴァールバル全地球種子庫は、アルマゲドンに備えた単なる保険などではない。貯蔵する以上に「私たちの生命や食糧を守るという、より重要な目的を持っている」とクリス・カックル博士は言う。カックル博士は英ロンドンの王立植物園、通称キューガーデンの代表として今回のサミットに参加した一人だ。
人類は農耕文化を築くにあたって「穂から実が落ちにくい」「大きく育つ」などと育てやすい種子を選んできた。近代になると技術が発達し、戦略的な品種改良を行うようになった。しかし、こうした「栽培化」のプロセスが進むうちに重要な遺伝的特徴が失われてしまった側面もあり、「全地球種子庫はその回復を目指しているのです」とカックル博士は話す。さらに気候変動によって従来の作物を育てられなくなるなどの危機にも備えるべく、世界各地に存在するジーンバンクは種子サンプルを共有し合って研究を進めている。
「これまでは主に収穫量の多い品種を開発して食料の供給量を増やすことに取り組んできましたが、その過程で遺伝子構造が徐々に限定されていき(※2)、害虫や疫病に弱い作物が生まれてしまいました。こういった作物の近縁野生種(※3)は生き残っていますが、見過ごされ、雑草とみなされることもよくあります」
※2 近代に入り、大量生産のため見た目が均一に揃う種子を開発するなど、栽培効率のよい遺伝子が発現するものをクローンとして増やす品種改良(F1種など)が行われたため、遺伝子の多様性が失われていった。
※3 現代で栽培されている穀物や野菜などの起源となった植物=野生種の近縁種。
同種子庫については、「保存されている種子にアクセスする権利が農民にはない」という懸念や、「種子を守ってきた農民の知的財産権が軽視されている」「同種子庫の仕組みづくりに農民の声が反映されてこなかった」などの批判もある。
「全地球種子庫では遺伝子組み換えの作物を作り出しているわけではありません。人類が作物を改良させるにあたり何千年にもわたって繰り返してきた交配の方法を応用しているのです。私たちが作ろうとしているのは新しいスーパーフードではなく、20年後も今と同じ見た目のニンジン。見た目はそっくりでも、乾燥気候にもっとうまく適応できるかもしれません」
ペルーのさまざまなジャガイモの種子も預託された
Photo: The Crop Trust
世界が不意に大惨事に見舞われようが、ひたすら悪化する気候変動によって地球上の全生命が脅かされようが、私たちは少なくとも知っている。復活の種をまくために頼るべき場所がどこにあるかということを。
(Steven MacKenzie, The Big Issue UK/INSP/編集部)
(参照:SciDev.Net, GRAINほか)
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