旭山動物園の楽しみ方—手書きのメッセージに込められた飼育員の想い(2/2)

前編を読む

「かわいい」から「すごい」へと変わる歓声

実はこのエピソードのなかに、旭山動物園が今のような人気を得た秘密がある。

「彼らにエサを探す努力をしてもらおうと動物園にはさまざまな仕かけがしてあって、キリンなんかだとわざわざ遠いすみっこのところにエサを隠してあったり。そういうふうにして、彼らが自分で発見し、自分で取るという野生の状態を少しでも再現しようとしてるんだ。たった1粒のピーナッツかもしれないけど、それを求めてオランウータンが綱をわたっていく。そういう自分の能力をいかんなく発揮できる瞬間を彼らに提供していくこと。その瞬間がまた、人間にとって極めて感動的なんだな」

動物たちの秘める野性の力。それを十分に発揮してもらえるような環境をつくることで、動物たちはのびのびとした幸せを感じられるし、そこにいる人間もまた幸せになれる。

動物と人間、お互いの幸せはどこにあるのかを探し求めてきた旭山動物園。だからこそ、ここには魅力的な施設が次々と生まれ、人が集まった。動物たちのすごい姿が北海道で見られるらしい、その噂を耳にして——。

けれど、よくよく考えてみれば不思議なこともある。動物たちがのびのび暮らせる環境をつくることに、どうして私たちは今まで気づけなかったのだろうか? ただただ動物を檻に放り込んで満足していたのは、一体なぜだろう?

レッサーパンダが2本足で立ち上がって、いつか話題になったことがある。あのときのことを思い出してみよう。小菅さんは当時、事件をこんなふうに見ていた。

「なぜ立っているのか、ということを誰も考えなかったな。動物たちは目的のない行動はしないんだからね。みんなあまりにも表面しか見てなかったんだ」

レッサーパンダが立ち上がる理由は、外をのぞきたい、エサがもらえるかもと期待してのこと。立ち上がること自体は彼らにとってなんでもない、当たり前にできる行動だ。それを「かわいい」と言って立ち上がったのは、むしろ私たち人間の側。レッサーパンダのような動物が人のように2本足で立つことの、いったい何が「かわいい」のか、説明することは意外と難しいはずだ。

「そこはね、動物を下に見ているからなんだよ。例えば年齢のことを考えたってさ、自分より年上のしっかりした人を見てね、『きゃーかわいい』とは言わないわけでしょ。だけど赤ちゃんとか、幼稚園児だとか、そういう子供を見たら『ああ、かわいい』と。その『かわいい』というなかにはそれを庇護しようという、逆にいえば、こちらの思いあがりがあるわけだよ」

もちろん、旭山動物園でも「かわいい!」という悲鳴はよく聞こえてくる。特に「あざらし館」なんかに行けば、それはすごい歓声だ。けれど眼の前に飛び込んでくるホッキョクグマや、すいすいと泳ぐペンギンを前にして、その声は次第に「かわいい」から「すごい」へと変わっていくことに気づかされる。

動物園の3分の1は地元で保護された動物

「それが重要なの。『すごい』というのは尊敬の対象だから。自分のほうが上で、相手が下というよりも、同等の存在として見ると。もしくはある切り口からいったら、野生動物のほうがよっぽどしっかりした生存であると認識することが重要なんでね。そういうふうに人間の側が変化しないと、ぼくはこれから100年、200年、野生動物はもたないと思う。『かわいい』と言っているうちはね、絶滅しても人間の都合で仕方ないと思っちゃうんだけど、彼らが尊敬の対象になったら仕方ないでは済まないでしょう?」

かつて動物園という存在は、野生動物の絶滅に手を貸したともいわれた。動物のためには何の役にも立たないどころか、単なる野生からの収奪者。密漁して、自分たちが楽しむために動物を使い捨ててきたことは間違いない事実だ。

「だから今までの歴史を帳消しにはできないけどさ、とにかく今、野生動物を代弁できるのはオレたちなんだよ。オランウータンの代わりにさ、『冗談じゃねえよ。オレらの森に手をつけねえでくれや』とか、地球温暖化展なんかを少しでもやって、ホッキョクグマを救いましょうよ、ということをやっている。これぜんぶ、動物の代弁者として訴えてるんだ」

船の浮かんだプールに、浜辺でよく見るテトラポッドが沈んでいる。ここ「あざらし館」では、観客にあるクイズが出される。

「この施設は北海道の港をイメージしてつくられました。ただし、実際の港にはあって、このセットにはないものが一つあります。それは、いったい何なんでしょう?」

バケツから魚が放りなげられ、アザラシがそれをパクッとキャッチする。正解は、最後にバケツの中から出てきたもの。「この”ごみ“です」

アザラシの周りにいるウミネコたちは、地元で保護された傷病動物なのだと飼育員が説明を続ける。羽がないため、もう空を飛ぶことはできない。ここにいるおよそ3分の1の動物がそうして保護されてきたという事実を訪れる人たちは見逃しがちだ。

「地元の動物を手に入れる手段っていうのは、もうぜんぶ保護される動物なんだもん。動物園に持ってこられるのはほとんど人間が原因。一番多いのは交通事故と農薬。これぜんぶ人間がまいた種やろ? 原生復帰できない動物は、動物園でしっかりと飼う。必要であれば繁殖させて、元に戻してやる必要があると思うんだよ。オレは義務だと思う。それをうちはずっとやって来た」

だからこそ、もしここへやって来たら、あちこちで見かける手書きのメッセージにもぜひ眼を向けてみてほしい。そこには、野生動物たちの置かれる状況が飼育員の想いとともに綴られている。あなたがかわいいと思ったオランウータンが、すごいと感じたホッキョクグマが、もう何年か後にはいないかもしれないのだと、そこには書かれている。

「ただ見せるだけの動物園は、これからどんどんなくなっていくよ。そういう目的なくして、これからの動物園は存在しないんだ」

謙虚な客人こそ、動物たちは温かく迎えてくれる。「ちょいと失礼」と言っておじゃまするのが、これからの新しいマナーだ。動物たちはいつでも、こちらを見つめている。

(土田朋水)
Photos:高松英昭

こすげ・まさお
1973年、北海道大学獣医学部卒業。在学中は柔道に打ち込み、主将もつとめた。旭山動物園の獣医師としてスタート。その後、飼育係長・副園長などを歴任し、1995年園長に就任。一時は閉園の危機に立った旭山動物園を再建。日本最北にして日本有数の入園者の動物園にまで育て上げた。2004年には「あざらし館」が日経MJ賞を受賞した。著書に、『旭山動物園園長が語る命のメッセージ』竹書房、『「旭山動物園」革命—夢を実現した復活プロジェクト』角川書店、共著書に『戦う動物園—旭山動物園と到津の森公園の物語』中央公論新社、などがある。

(2007年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第75号より ※肩書きは当時)