food performance ”EatScape” over view
コペンハーゲンでのフード・リサーチ
8月初旬より、デンマーク・アーツカウンシルの援助による、実験的な舞台芸術の制作支援を行なうウエアーハウス・ナイン(Warehouse9)に招待され、コペンハーゲンに滞在している。
8月の北ヨーロッパは日照時間が長く、夜の9時〜10時くらいまで明るいので、街角のテラスやカフェは、夜遅くまでたくさんの人で賑わっている。コペンハーゲンの街を堪能するには、最もふさわしいと言える季節だ。
コペンハーゲンに着いた翌朝には、早速自転車を手に入れ、気の赴くままにフード・リサーチを始めた。地図を片手に、見慣れない街の景色を楽しみながら、デンマークならではの旬の食材を探す。
北欧の中でも、とりわけ食に関心の高いと言われる首都コペンハーゲン。今が旬の生のグリーンピースは、新鮮なものを生のままスナックとして食す。生のグリーンピースの入った紙袋を片手に、ビールを嗜む人たちの姿も街中でよく見かける。ここコペンハーゲンでは、生のグリーンピースは、シンプルでヘルシーなストリート・フードとして存在しており、日本のものと比べると、やわらかくて苦味がないのが特徴。噛めば噛むほど、ほんのりとした甘さがほとばしる。
今回見つけた食材の中で、最も印象的だったのは、生のヘーゼルナッツ。デンマークは日本よりも夏の日照時間が長く、穏やかな気候だからか、この季節のものは生で食べられるのが特徴。新緑のようなエメラルドグリーンの殻に包まれたヘーゼルナッツは、成熟・乾燥した通常のものよりもマイルドで、 青味の残る爽やかな風味が口の中に広がる。
私の暮らしているオランダでも、ヘーゼルナッツは人気の食材であるが、生のまま食す習慣がないため、生のヘーゼルナッツは市場で見かけたことがない。グリーンピースもヘーゼルナッツも、オランダでは見慣れた食材ではあったが、生で食べられるのを知ることができたのは、新しい発見だった。
fresh hazelnuts
フード・パフォーマンス「イート・スケープ」
こうして、初めて訪れた街、そして初めて会う人たちと、約2週間という短い時間で、新作フード・パフォーマンス「イート・スケープ」*1を制作することとなった。とにかく時間が限られているので、フード・リサーチをしながら、この土地の季節の食材を生かしたメニューで試作を重ね、5コース11品のヴィーガン(菜食)メニューとパフォーマンスを考案していった。
地元のパフォーマンス・アーティスト、コアアクト(CoreAct)*2、地元のシェフたち、その他大勢の人々からの協力を得て、2013年8月16日〜17日、フード・パフォーマンス「イート・スケープ」*1を、コペンハーゲンのAFUKで発表した。
フード・パフォーマンス「イート・スケープ」では、人間の持つ感覚(五感+第六感)を刺激しながら、 食べものや食べるという行為からメッセージを発信し、ヴィーガン(菜食)という視点から、現代社会や生活にマッチした新しい「食」のヴィジョンを提案し、「食」に対する意識を高めたいという思いを表現している。
“the taste of visual”
デンマーク舞台芸術の評論家、メッテ・ガーフィールド氏は、「イート・スケープ」をこう評した。*3
———「確かな甘味、苦味、塩味の効いた味の料理が、舌と口腔を打つ。これらの料理は2人の白いローブをまとった天使たちのささやきと共に、繊細なヴィーガン(菜食)料理が巧みに提供された。視覚を楽しませてくれる御馳走だ。様々な手法で参加者を巻き込みながら、人間の持つ感覚を刺激し、美的感覚が交差するフード・パフォーマンスだった。(中略)
パフォーマンスの前に参加者たちは、最初のコースであるサラダの準備を手伝う。彼女がリサーチで手に入れた繊細で特別な食材がキッチン・テーブルの上に並んでいた。キビの種、黒海の塩、殻付きのアーモンド、ぶどう、スイバ(イタドリ)、ローズマリー、白インゲン豆、ザクロなど。参加者たちは、これらの食材を洗い、切り分け、茹で、混ぜ合わせる。後に私たちは、これらの食材で、キャンバスの上に「風景」をつくり、それを食すのだ。(中略)
それぞれのメニューは、味覚だけでなく、 視覚、聴覚、あるいは第六感に働きかけ、食べものや食べるという行為を通じて、自らの感覚を体験するものだった。それはコペンハーゲンで上演された、ヴォルスパーの『巫女の予言』(Vølvens spådom)を題材とした、他のフード・パフォーマンスと比較すると対照的で、食べものとパフォーマンスとが見事に溶け合っており、それは純粋に感覚を研ぎすますことを意味しており、特別な感覚的経験だった。(中略)
食べものによって、私たちの感覚を思い出させるという手法は、新鮮でおいしい食べものの重要性を物語っており、私たちがどのように食べものを扱うべきか、という意識を芽生えさせる意図が明確に表現されていた。それゆえ、直接参加者に「食」について問いかける必要はなかった。私たちは素晴らしい感性と美しさに捕えられ、私たち自身が、何をどのように食べるのかを決定できるということが、このフード・パフォーマンスに反映されていたからだ。」
“the taste of feeling”
特に今回のフード・パフォーマンスでは、ピュアな食べものを提供するばかりでなく、 白砂糖についての批判的なメッセージも表現した。砂糖はご存知のように、かつて、西洋諸国の植民地において“三角貿易”と呼ばれる搾取を繰り返し、巨額の利益を得て、文明を発展させてきた歴史がある。その流れを汲んで現在、私たちが食す加工食品のほとんどに、砂糖が使用されており、植民地政策において「奴隷の売買」を行った結果、現代の先進国は「砂糖の奴隷」となってしまっている。
これを視覚的に表現するために、「砂糖の奴隷」を象徴する首輪のようなアクセサリーに、クリスタル・シュガーをジュエリーとして吊るしたネックレスを、砂糖が好きだという参加者に、パフォーマンスのあいだ身につけてもらっていた。そして、パフォーマンスの最後、デザートを提供する時に、2人の天使たちが、参加者の首輪から引きちぎったクリスタル・シュガーに、バーナーで火をつけて燃やし、溶けた砂糖の甘い香りが部屋中に漂う中、真っ黒に焦げた苦いカラメルをソースとして、デザートの皿に落とすという、象徴的なアクションを取り入れた。
food performance ”EatScape” over view 2
世界も注目している日本の「食」にまつわる問題
今、世界中で、食の安全や食の質が、改めて問いただされるべく、数々の問題が巻き起こっている。 日本の抱える問題としては、福島第一原子力発電所事故による諸問題———放射性物質の拡散、 食品汚染、食品による内部被曝などだ。特に最近発覚した汚染水漏出については、 欧米諸国の各種メディアで連日、自国のニュースのように大きく報道されている。世界中の人々が「食」に対して危機感を抱いている状況で、もはや日本だけの問題ではなくなっている。
汚染水漏出問題後、私が料理をすると、「日本から持ってきた食材は何もないよね?」と確認が入る。そして皆は一様に、「日本食品はもう一生買わない」と言って沈黙する。ここコペンハーゲンでは、日本食品は日本人が思っている以上に静かにボイコットされている。日本政府は、クールジャパンで日本食をアピールしている場合ではない。
欧州では、日本国内よりも、日本のニュースが入りにくい状態にあり、放射能汚染、食品汚染の状況は人々に正確に把握されていなかった。それに追い討ちをかけるように、今回の海洋汚染漏出問題が発覚した。さらには、福島第一原子力発電所の事故が収束していないにもかかわらず、 現政府が日本国内の原発再稼働を推進し、海外に原発技術を輸出しようとしていることにも、欧州の一般市民は懸念を抱いている。とくに今回の汚染水漏出問題では、充分な情報が掴めないことが原因で、他の放射能汚染されていない日本の食品に関しても、信用が急速に失落しているように見える。日本政府と東電は一丸となって、今回の問題を何とか食い止め、 汚染を含めた放射能汚染全般の正確な情報を、日本国内のみならず、世界に向けて公開することを切望する。さらには放射能による食品汚染の実態を解明し、海外における日本の食品への信頼を取り戻せるよう、早急に対応していくことが、日本の食文化を守っていくためには必要だ。
「料理」するということ
本来「料理」とは、それぞれの食材の選択、組み合わせ、特徴、エネルギーについて、最大限の力を引き出し生かす調理法を考えること。現在の身体の状態を観察して、バランスを整えるレシピを、季節や風土、気候を配慮しながら、その時/場/人にあわせて、日々、微妙に調節し変化させていくことだ。
料理は、科学的な部分と非科学的な部分が強く結びついていて面白い。桜沢如一氏の唱えた「無双原理」は、陰陽を対局した二元論ではなく、陰と陽のお互いが常に変化しながら補い合う一元論である。これらの融合させた哲学を「マクロビオティック」と名付けた。カリウムの多いものを陰、ナトリウムの多いものを陽として、料理の素材選びと調理法は、陰と陽のバランスで決めていく。
料理の「理」について、wikiで調べてみると、「『理』 とは、中国哲学の概念であり、本来、理は文字自身から、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すこと」、さらに仏教における「理」では、「現実を現実のままに認識することを言い、それを理論づけたり、言葉に乗せること」である。
料理は文字通り「理」を料ることである。かたちのある食材とかたちのないエネルギーを「料理」し、食材の一つ一つが、体の細胞の隅々まで届いた時に、再び目に見えないエネルギーに変容する。これらのエネルギーは、料理を食した人がアクションを起すことで、見えるかたちに再生され、別のかたちに昇華されていく。このように、「料理」から生み出される「食」の持つエネルギーは、無限に繋がっている。
「食」を知ることは、自分を知ること
TPPとも深い関連性のある、遺伝子組み換え食品問題、モンサント問題、農薬問題、肥満問題など、様々な角度から見ても、私たちの先祖から引き継いできた美しい自然と一体であった「食」が、皮肉なことに、私たち現代人の手によって脅かされている。私たちが築いてきた文化、社会、そして家族や自分自身を守るために、 私たち自身も、根本的な「食」の改善が必須とされるのは、もはや時間の問題なのではないだろうか。
基本に戻って、自分自身の食生活を見つめ直すことからはじめたい。———本来、食べものが持っている性質と効用を知ること。「食」の持つ力を生かすことのできる食材を選び、それぞれの食材に見合った適切な料理法を学ぶこと。 それぞれの人間が持つ力を最大限に引き出すための自分に合った「食」を知り、日常生活の中で実践していくこと。そして、「食」にまつわる環境—食べるという行為や状況を見直し、「食」のありかた全体を意識していくこと。
人間は食べること無しには生きていけない。「食」を知り、料理するということは、日々、何度か食材(=自己)に向き合うための創造的な時間が与えられることである。料理はそれを食す人の身体性や精神性に直接的に働きかけ、新しいエネルギー生成しながら、感覚や記憶と結びつき、新しい価値を生みだしていく。
シンプルに言い換えれば、私たちは毎日、食べることで心身のエネルギー源を直接頂いている。 心と身体が喜ぶような料理を作ることで、毎日の食事を楽しむことができれば、「食」がいかに大切なことであるかを、誰もが容易に思いだせるはずだ。
タケトモコ
美術家。アムステルダム在住。現地のストリート・マガジン『Z!』誌とともに、”HOMELESSHOME PROJECT”(ホームレスホーム・プロジェクト)を企画するなど、あらゆるマイノリティ問題を軸に、衣食住をテーマにした創作活動を展開している。
注脚:
*1 「イート・スケープ」(EatScape) : http://eatscape.tumblr.com
*2 コアアクト(CoreAct) : コペンハーゲンを中心に国内外で活躍する、アニカ・バーカンとヘレナ・クヴィントによるパフォーマンス・ユニット。二人は十七歳の時に出会い、意気投合、共にパフォーマンス活動を始める。その後二人は約十年間、諸外国で別々に活動した後、ニューヨークで再会。2006年、偶然にも二人はほぼ同時期にコペンハーゲンに戻ることとなり、コアアクトを結成し活動を始める。http://www.coreact.dk
*3舞台芸術の評論家メッテ・ガーフィールド氏 (Mette Garfield)による論評(デンマーク語) http://www.teater1.dk/tomoko-take-pop-up-restaurant/