看護婦から看護師へ、スチュワーデスから客室乗務員やCAに、保母さんから保育士に。一昔前と比べると、「差別的」「女性蔑視」とされる用語の言い替えがずいぶん進んだように感じる。そして、#metoo 運動に見られるように、今までは口を封じてきた女性たちが自らの体験について声を上げる風潮が日本でも広がり始めている。
女性が自分たちの言葉で経験を語れる社会へ、そのためには言葉の仕組みを根本から作り直していく必要がある、セルビアのストリートペーパー『LICEULICE』に寄稿されたフェミニスト視点の記事をご紹介する。
Illustration by Christopher Dombres
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言語はいつでも、女性による闘いを守る強力なツールであった。しかし、その言葉の構造自体が男性支配の枠組みに置かれていると考えたことはあるだろうか。
現代社会において、私たちが「ひとりの女性」とみなされるには、複雑に絡まりあった「社会のしきたり」をくぐり抜けなければならない。それゆえ、その社会で使われる言語は、女性に強いられた「抑圧」を語る上で重要なポイントとなる。
日常に潜む言語の不平等
女性に優しくない性差別的な社会では、女性が暴力を振るわれてもあまり大ごとにはならず、レイプ被害者はメディアでこきおろされ、ジェンダーに敏感な言葉遣いをすれば「フェミニスト的行為」と揶揄される。
女性蔑視は女性にまつわる「蔑視的な言葉づかい」だけにとどまらない。 言語における不平等は、女性の職業をジェンダーに配慮した肩書きで呼んでみたところで解決されるものではない。不平等は社会のもっと広い次元に存在し、私たちの身近なところにある。 よって、言語の男女同権を主張することは、社会全体に変化を起こすくらい破壊力があるのだ。
女性は話すほどにワナにかかる?!
ある言語で人称代名詞「she(彼女)」に「まともに話せない」「軽い存在」などのネガティブなニュアンスがある場合、フェミニストならどう対応するのだろうか。
セルビア語では、秘書という重要な職責を表すのに男性名詞「セクレタ」が使われ、女性秘書の「セクレタリサ」は電話番やお茶くみ係を意味する。そんな性差別的な言語において、どうやって「私(I)」の観点から話せというのだ。
(c)pixabay
女性ジャーナリストが自分の職業を言う時に女性名詞の「ノービアルカ」ではなく、あえて男性名詞の「ノービアル」を使うのは、女性形では表現しきれない威厳を込めたいからだ。
偽善的で性差別的な言語学者は、「万人が平等であるなら性別は必要ない」とのたまい、ジェンダーに配慮した言葉遣いを固辞することがある。しかし、男性が牛耳っている言葉でどうやって女性が自身の体験を語れというのだ。女性の話はヒステリックだ、ゴシップ話ばかりだ、まともに会話が成り立たないと言ってきたくせに、女性を黙らせるために使われてきた言語で議論しろというのか。
この世に生まれ落ちた性別で運命が決まり、コミュニケーションツールであるはずの言語が「人を分かつツール」となってしまっている状況で、女性にありがちとされる不可解な文章や男性が言うところの「子宮的な」物言いに陥ることなく、自分の体験を語る、自分の身体について議論することなどできるのだろうか。性差の激しい言語では、女性は話せば話すほど仕掛けられたワナにかかっているようなものなのに。
英語は本当に中立性ある言語なのか
言語による解放を目指す女性言語学者たちは、英語など「男女の区別のない」言語を使うことに解決策を見出す。一見、中立とされる英語は、男女同権を実現する格好のツールとなるかもしれない。
ところがだ。 私が受講していたジェンダー学の講義で、担当の女性教授がちょっとした言葉遊びをしたことがある。
「ジョンソンには弟がいました。 ジョンソンの弟が亡くなると、ジョンソンの父親には息子が一人もいなくなりました。 つまり…?」 答えは簡単、このジョンソンは女性だったのだ (英語圏ではジョンソンは男性の名前とされることが多い)。 それなのに、その場にいた教養ある、フェミニスト的な考え方を学んできた女子学生の誰一人として、すぐにこの答えを思いつかなかった。
「ジョンソンには弟がいました。 ジョンソンの弟が亡くなると、ジョンソンの父親には息子が一人もいなくなりました。 つまり…?」 答えは簡単、このジョンソンは女性だったのだ (英語圏ではジョンソンは男性の名前とされることが多い)。 それなのに、その場にいた教養ある、フェミニスト的な考え方を学んできた女子学生の誰一人として、すぐにこの答えを思いつかなかった。
「言語の中立性」についてもう一つ、セルビアの行政管理に使われる言葉の事例を見てみよう。
行政関連の記入用紙の冒頭には「男性」か「女性」を選択する項目があるが、大抵の場合「紙面節約のため、以下、男性形の文章のみを記載する」という脚注がつけられている。紙面を節約するためと称し、ジェンダーに配慮した言葉遣いがなされていない。
法律に用いられる言語が暴力的となっている今、女性に対する言葉の暴力を法の下にさらすには、どうしたら良いのだろう。
女性が書くことが禁じられた時代
西洋文化の歴史を紐解くと、言語的アプローチは男女間で大きな差があった。下層階級の女性(特に、有色人種の女性)に教育機会が与えられなかっただけでなく、教育を受けた女性でも「文章を書く」ことを禁じられた。 このため、多くの女性作家は男性名を使って執筆していた。 女性が言葉を使うことに対し、男性側から反発が起きる可能性があったということだ。
女性に教育を受けさせる際も、男性が書いたものはそもそも女性向けではないのだから、ただただ従順に書いてあることを受け入れればよいとされた。 本を読むくらいは「必要悪」として認められたが、女性が自身の経験を積極的に書き綴る行為はそれだけで脅威とされ、止めさせるべきものだった。 暴力の道具であり、それを打ち破る可能性も秘めた言語は、女性にとって諸刃の剣なのだ。
女性としてできること
女性として、私たちは女性を卑下する言葉を使うべきではない。それよりも、言語に変化を起こしていこう。女性に対し身体的にも言語的にも暴力を振るっているようでは、「差別的でない(ポリティカル・コレクトな)言葉」へと変えていくことなどできっこない。
日常的に使う言葉を再考していこう。フェミニストたちが尽力してくれたおかげで、「WOMAN」という用語が過小評価されることはなくなった。しかし、「WOMAN」という言葉であらゆる女性体験が包括されるようにするには、なすべきことはまだまだある。
言語的アイデンティテ
ィを簡単に変えられるほど私たちの経験は白紙状態ではない。 言語における戦いも、言語を使った戦いも、あらゆる社会集団における個人が懸命に活動し、交渉を重ねてこそ実現できるものだ。
ィを簡単に変えられるほど私たちの経験は白紙状態ではない。 言語における戦いも、言語を使った戦いも、あらゆる社会集団における個人が懸命に活動し、交渉を重ねてこそ実現できるものだ。
「言語をめぐる取り組み」は物書きや詩人だけのものではない。私たち一人ひとりが日常的にできることがある。 言語構造の奥深くまで踏み込むのなら、女性が常に対象化されるシステム全体の見直しが必要だ。
言語に潜む暴力性を洗い出し、男性支配的な文法を変えていく。そのためには、ジェンダーに配慮した言葉遣いや教育を推進するだけでなく、基礎構造から作り直す努力が必要だ。わたしたち女性の声がしっかり届く社会にするために。
By Dina Čubrić
Translated from Serbian by Dragana Kragulj
Courtesy of Liceulice / INSP.ngo
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