寒くなると路上で寝起きしている人たちのことが気にかかります。8月にはビッグイシュー大阪にて「一夜のホームレス体験会」があり、みんなで段ボールハウスを作って一夜を過ごしたそうです。真夏の一番暑い盛りでも、明け方の風に「凍えるのではないかと思い段ボールをかぶった」と参加者がレポートしています。
固くて冷たいアスファルトやコンクリートに体を横たえる人たちが、屋根のある自分だけの安心できる部屋で布団で眠るようにするにはどうしたらいいのでしょう?これまでにも何度かご紹介している「ハウジングファースト」に関する記事ではありますが、本日は慢性的なホームレス人口を91%減らすことに成功したユタ州のケースをご紹介します。
ビッグイシュー オーストラリア
昨年ユタ州は、ほぼ不可能と思われていたことを成し遂げ、メディアに大きく取り上げられた。慢性的なホームレスのほぼ全員に住居を提供したのだ。成功の鍵となったのは「ハウジングファースト」モデルの採用。ビッグイシュー オーストラリアのソフィー・クイックはアメリカのソルトレイク市を訪問し、住居を得たおかげで6年間にも及ぶホームレス生活と薬物依存を克服したティファニーに会った。このハウジングファーストモデルの基本理念は実にシンプルだ。まずホームレスに住居を提供する。支援者たちはそれから、彼らの依存症や心の健康の問題、失業、その他の問題に取り組んでいく。
心身共にボロボロの路上生活者ティファニーに訪れた転機
いまからおよそ7年前、ティファニーはソルトレイク市の路上である警官に出会った。その時の彼女は、控えめに言えばとてもくたびれた様子だったが、警官はぶっきらぼうにこう言った。「そんな姿で路上を歩かれては困る。このままじゃ病院に行くか、刑務所に行くことになるぞ」
その当時のティファニーは路上生活を始めて約6年になっていた。モーテルを出たり入ったりの生活で、毎日クスリを打っていた。彼女の言葉を借りれば、「お金を稼ぐためなら何でもした」。
当時の自分を振り返って、彼女は歩く廃人の絵を描いた。「腕は化膿して膿瘍(のうよう)で覆われていたけど、それでもクスリを打ち続けていた」と言う。また心臓弁への感染による心内膜炎とブドウ球菌感染症にもかかっていた。
「さらに3ヵ所も頸椎椎間板ヘルニアを抱えた状態で2ヵ月半も歩き回っていたの」
その警官の言ったことは正しかった。ホームレス状態にあると刑務所、あるいは病院の救急科に送り込まれることがしばしばある。特にアメリカではそれが顕著だが、オーストラリアでもよくある話だ。この悪循環はホームレスの人々に大きな打撃を与えるだけでなく、医療や司法制度そして更生システムなどに多大な負担を強いる結果となっている。
しかし、ソルトレイク市当局は「ハウジングファースト」のプログラムを実践することによって、多くのホームレスに住居の提供を行い、そして経費を削減することに成功したのである。
安心できる住まいを得てからの彼女の変化
ティファニーはその恩恵を受けた1人で、現在ソルトレイク市郊外にあるグレイス・メアリー・メイナーという集合住宅に住み、もう5年になる。
私は小さなワンルームのアパートで猫の「ベイビー」と暮らす彼女と、キッチンテープルを囲んでお喋りをした。ダブルベッドの上にはぬいぐるみがびっしり置かれ、化粧台の上にはプロのカメラマンに撮ってもらった3人の子どもの写真が飾られていた。女の子2人と男の子1人がギャングスター風の衣装を身にまとい、すっかり成りきった様子でポーズを決めている。現在、子どもたちはティファニーの母親と暮らしているが、定期的に会えるようになったという。
「ベッドが大きいから、子どもたちはいつでも気が向いたときに泊まりに来られるのよ」と彼女は言う。
数年前に例の警官に会った直後、彼女は病院へ向かった。そして患っていた幾つもの病気を治すために数ヵ月間入院し、退院後すぐに今住むアパートへ入居した。安心、安全な部屋に移り住んでからというもの、薬物依存は抑えられている。「まだメタドン(オピオイド系の合成鎮痛薬)は飲んでいるけれど、あれ以降、薬物には手を出していないわ」
家のない人にまず住まいを。従来支援の順序を逆にしたハウジングファースト。
「ハウジングファースト」モデルの背後にある理念は実にシンプルだ。家のない状態の人たちにまず住居を提供すること。
従来のアメリカの(ホームレス支援)ではほとんどの場合、アパートまたは家に移り住むためには、そのための「お墨つき」をもらわなければならない。通常は、自分のアパートに移る許しが出ることを願いながら、まず一定期間は施設に住むことになる。
人によっては、薬物やアルコール依存のリハビリを行うプログラムへの参加や、職業訓練のプログラム参加などがアパート入居の要件とされる。
しかしソルトレイク市ではその支援の順序を逆にした。まずは住居を提供し、それから依存症や心の健康の問題、失業、その他の問題へと取り組んでいく。
ソルトレイク市住宅管理局で住民サービスのマネージャーを務めるリズ・ビオトーは、ソルトレイク市ですでに10年以上実施している「ハウジングファースト」の考え方は、住居を得るためのあらゆる障害を減らすことだと言う。
「グレイス・メアリー・メイナーに入居するには何の条件もなく、直ちに入居することができます。30日間アルコールを断つ必要もなければ、仕事がなくても入れます」。
現在この集合住宅には84人が住んでいるが、その全員が以前はティファニーのような慢性的にホームレスだった人たちだ。部屋はすべて1人暮らし用のスタジオタイプで、キッチンとバスルームがついている。敷地内にはジムと図書館も完備されている。さらには娯楽室もあり、彼女はよく他の住民や子どもたちと一緒にビリヤードを楽しんでいる。
この施設は「永久支援住宅」と称され、スタッフが年中無休24時間態勢で常駐し、警備体制もしっかりしている。
この環境はティファニーには合っている。「私はある程度見守られた環境のほうがうまくやれる。今までもずっとそうだった」と彼女は言う。敷地内では就労支援や、薬物やアルコールについてのカウンセリングも受けられる。常駐するケースワーカーは住民の社会保障や、携帯電話会社とのやり取りを手伝ったりもする。
路上に放っておくよりも、住居を提供するほうが経費を安く抑えられる。
「ハウジングファースト」の概念は、その人の立ち位置によって、あたりまえの対策のようにも聞こえるし、あるいは弱者を甘やかし過ぎた対策のようにも聞こえたりする。またコストも高額なイメージで、アメリカの一部の州では嫌悪されている「大きな政府」が掲げる解決策のようにも聞こえる。
しかし このプログラムの効果は本当にあるのか? もしあるのだとしたら、保守的なユタ州でそれが実現できたのはなぜなのか?
このプログラムの効果はあるのかという最初の疑問への回答だが、答えはイエスだ、驚異的にうまくいっている。少なくともユタ州においては。
2015年にユタ州は慢性的ホームレスの人数を2005年の頃より91%削減したと公表している。ワシントン・ポスト紙は「驚くほどシンプルな方法で、ユタ州は慢性型ホームレスの問題を解決し、何百万ドルのコストを削減した」と報じている。
このプログラムの成功に大きく貢献した人といえば、ロイド・ペンドルトンだ。彼はユタ州のホームレス対策委員会の会長であり、モルモン教の人道支援サービスの前ディレクターだった。広い人脈を持っていた彼だからこそ、このプロジェクトを実現し、ユタの人々の考えをまとめることができた。
ペンドルトンが成功を収めた大きな要因は、ホームレス問題をモラルの観点からではなく、コスト効率の観点から論じたことにあるとビオトーは言う。
彼は社会正義の視点よりも、私たちのコミュニティーに対して最終的にどれだけドルを節約できるかという論点に切り替えたのです。
おかげで私たちはユタの人々に、ホームレスを路上に放っておくよりも、住居を提供するほうが経費を安く抑えられることを説明することができました
ビオトーの同僚ザカリ―・ベイルは、ユタ州の人々がハウジングファーストのプログラムを支持した理由は、政府のお金の使い方に対する嫌悪感があまりに定着していたためではないかと示唆した。
コスト削減できるという強力な裏付けがあり、また、コスト削減が最も望める案なのであれば、何であれ実行すべきだ、という市民の節約に対する想い入れも強かった
ユタ州の見積もりによれば、慢性的ホームレスの人が一人このプログラムを通して住居を得ると、年間8000米ドル相当のコスト削減が可能になり、それにより新たに2.4人の一時的にホームレス状態にある人を、ハウジングファーストではない他のプログラムで支援できるようになるとしている。
ターゲットを絞り込んだことで効果を生んだ
住宅問題と貧困問題は、ソルトレイク市だけでなく、他のどの場所においても複雑な課題である。
ユタにある低所得者向け住宅プログラムは決して「ハウジングファースト」だけではない。ハウジングファーストのプログラムは、ホームレスの大部分を占める一時的なホームレスの支援を行っていないし、さらにはホームレス予備軍も支援対象にしていない。
ハウジングファーストがとりわけ慢性型のホームレス対策に効果を生んできた理由の1つは、ターゲットを見定め、絞り込んだことによる。彼らが対象として選んだのは、1年間継続的にホームレス生活を続けた人や、3年以内に4回ホームレス状態を経験した「慢性型」のホームレスの人たちだった。
新たに「ハウジングファースト」のプログラムを通じて住まいを得た人の中には、屋内生活に適応するのに苦労している人もいるという話もある。
入居当初はベッドではなく、床で寝ることを選ぶ人もいる。また重病の人や、依存症に悩まされている人たちもいる。ビトーと彼女のチームにとって、そういった住民たちがずっと住宅に住み続けられるように支援していくことが現在の仕事だ。
「集合住宅のルールが守れない人や、何か他のことで苦労している人たちがいた場合、チームみんなでじっくり腰を据え、『この人の問題を解決するために私たちは何をしたらいいか?』ということを話し合っています」と彼女は話す。
路上生活中、『行く場所がない』ということが一番ストレスだった
グレイス・メアリー・メイナーの住人は決して赤ちゃんのように扱われているわけではない。彼らはタバコを吸うこともできるし、お酒も飲める。ただ法律を守ってほしいというだけだ。
先述のティファニーは、ここでの暮らしにほぼ満足していると言う。ただ、どこに住んでも何かしら不満は生じるように、ここにも不満な点はある。「人々が詮索好きなのよ。時々喧嘩も起きる」と彼女は語った。
しかし全体的に見れば、満足が不満を上回っている。以前の彼女の生活はカオスだった。今では規則正しい生活を送っている。
「祖母の透析が毎週火曜と木曜にあるの。ここは駅とバス停が近いから、病院に行くとまず自分のメタドンをもらって、それから祖母が透析を行っている間、となりで付き添っているのよ」
ティファニーが安定した住居で暮らすようになってから、薬物に手を出していないことは単なる偶然ではない。「なぜなら路上生活をしていた時に『行く場所がない』ということが一番ストレスだったから」
冬期オリンピックを開催できるほどに寒いこの都市において、その大きなストレスを日々感じるのは、薬物問題を克服するのに適した状態とは言い難い。
彼女はあの頃の体験を二度と繰り返すつもりはない。そして6年に及ぶ路上生活の経験から、住まいがあることを当たり前のこととは考えていない。「毎年冬が来ると、屋根のある家に住めてすごく幸せだと実感するの」と彼女は言い、天井を見上げた。
ああ、家があるってなんて安心なの!
INSPのご厚意による / The Big Issue Australia
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ビッグイシューについて
ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。
ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊350円の雑誌を売ると半分以上の180円が彼らの収入となります。