GNP(国民総生産)の数値からは「世界で最も裕福な国」とされているスイスだが、実のところ、貧困率は驚くほど高い。多くの人に影響を及ぼしている事実でありながら、スイスの社会においてもあまり目を向けられていないこの問題の実態を、高齢女性ロッティの経験談をもとに見てみよう。

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「『夫に先立たれ年金だけでは暮らしていけないんです』などと言うとか、認知症のふりでもしない限り、人々の同情を引くのは難しいんです」

スイスの首都ベルンの駅地下にあるレストランでミルク入りコーヒーをすすりながら、68歳のロッティ(仮名)は語った。温かい飲み物など、通行人が小銭を恵んでくれた時にしか楽しめない贅沢だと言う。

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(c)photo-ac

ベルン西部に位置するビュンプリッツ在住。身長162センチ、白髪混じりのショートヘア、痩せ細った顔はしわだらけだ。茶色のズボンにグレーのコートを羽織り、足を引きずって歩く。

富裕国スイスにも118万人いる貧困層、その一人ロッティの暮らしぶり

スイスでは、国民約860万人のうち118万人が貧困層とされ、ロッティはそのひとりだ。国民の約8人に1人が彼女のような生活レベルにあり、うち3分の1以上が高齢者だ。年金だけで生活できない彼らは「補足給付制度」に依存しているか、その予備軍だ。申請資格があっても、制度利用をためらって、申請しない人も多い(*)。

*2017年の補足給付受給者は32万2800人。給付額は申請によって決まる。財源は100%公費。2000年から2015年までに、給付額が倍増している状況。

ロッティは補足給付金をもらっているが、周りの人にはそこまで困窮してるとは知られたくないと言う。「なるべくごまかしてますが、気づかれそうになると外出を控えます」

最近では、誰かの家に招かれても、息子のところに行く、病院などの予約がある、孫と動物園に行く、近所の猫を預かっている... 何かしらの理由をつけて断っている。後で、相手を自分の家に招かなくてもいいようにするためだ。ロッティにはそんなお金も、人にお見せできるような家もない。

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(c)photo-ac

彼女の住まいは公営住宅のワンルーム、狭苦しくて騒がしい。映画や観劇に行くことも、友人とお茶を飲みながらうわさ話に花を咲かせることもない。電車に乗るのも必要最小限だ。

彼女はもともと貧しかったわけではない。ベルン近郊の町トゥーンで生まれ育ち、学校では「クラスで2番目に優秀だった」と言う。郵便局の正社員として働き、人並みの収入もあった。まもなくして棟梁のトニーと出会い、結婚。23歳で妊娠し、息子2人と娘1人に恵まれた。一番下の子が小学校に入ると、仕事に復帰。パートとして事務や販売の仕事をしたが、順調な生活も長くは続かなかった。夫が浮気し、家を出て行ったのだ。40歳になったばかりのロッティは、3人の子どもを一人で育てなくてはならなくなった。

「生活が苦しくなったのはその頃からです。働けど働けど、一向に楽になりませんでした」

数年後には変形性脊椎症を患った。背骨が変形し、歯を食いしばって痛みに耐えていたが、結局は手術が必要となり、何週間も働けなかった。痛みとともに、今後への不安が押し寄せ、その思いはどんどん膨らんでいった。

しかしロッティは、そんな逆境にありながらも立ち直ってみせた。生きていくだけで精いっぱいだったが、それで十分だった。55歳の誕生日には、家族や子どもたちとトゥーン湖に出かけ、楽しい時間を過ごした。

ところが今度は、突然、うつ病に襲われ、失意のどん底へ突き落とされた。「まだ完全には治っていません」と言う。それでも幸い、大手小売店の店員の仕事が見つかった。雀の涙ほどの収入だったが、何もないよりましだった。

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Photo by Klaus Petrus

「生活は厳しかったけれど、食べていけないほどではありませんでした」きっぱりとした口調でロッティは言った。

特に女性に多い高齢貧困者

統計を見ると、ロッティのような体験をしてきた人は増えており、高齢者支援組織「プロ・セネクトゥーテ(Pro Senectute) 」が実施した多くの研究でも、この事実は裏づけられている。

高齢の貧困者はそれまでずっと貧しかったわけではなく、幾度か貧しい時期を経てそうなったケースが多い。ある時点から人生の歯車が狂い始め、そこから脱け出せなくなり、貧困ラインで暮らしていくしかなくなる。

特に女性がそういう状況に陥りやすいことも研究で明らかになっている。この問題に直面するのは主に、ロッティのように家庭の事情で働けなかった女性や、長い間パートタイムの仕事しかしてこなかった女性たち。しかし、こつこつ働き続けても男性よりはるかに収入が少ない女性たちも影響を被ることがあり、ロッティのようなシングルマザーだけの話でもないらしい。

こうした要因が彼女たちの年金受給額に影響し、いわゆる「経済的貧困」を悪化させているうえ、不運な状況に当たってしまった人はますます厳しい状態になっている。GNP(国民総生産)の数値からは「世界で最も裕福な国」とされるスイスですらそうなのだ。国が豊かであればあるほど、金融システムならびに社会システムから見過ごされる可能性もあるのだ。

わずかなお金でもそれなりに生活していくことはできると考えるロッティだが、「寝ても覚めても、お金の心配ばかりしなくちゃいけませんが」と言う。

朝食用ラスクを格安品にすればいくら節約できるだろう、ヨーグルトは6個お得パックと新鮮フルーツ入りの1個売りとどちらにしよう、特売品のソーセージパックは買っておくべきか... 「常に値札や特売品とにらめっこ。頭の中で足したり引いたり、そんなことしか考えられなくなるんです」とぼやく。

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(c)photo-ac

大半が快適な老後を送る国で、見過ごされ疲れきっている人々の存在

ロッティの境遇は決してスイスの平均ではない。スイスの年金生活者の大半は、どの国の年金生活者よりも快適な人生を送っており、労働年齢層よりも豊かなくらいだ。スイスでは退職した夫婦の7組に1組が、100万スイスフラン(約1億800万円)以上の純資産を保有し、幸福で、充実し、楽観的である ー 少なくとも調査結果からはそんな印象を受ける。

高齢であっても経済的に安定していれば、不安もなく、計画を立て、自分なりの目標に向けて人生のハンドルを握り続けられる。だが、目の前に不安が立ちはだかっている人たちは、自力で危機に対処することが難しい。日々の不安が他のことより勝り、常に不安が心に巣くう状況では、何かを夢見ることも、新しいことを始めようという気にもなれない。

「私の人生にも楽しい時期がありましたが、年を取ってからは...」彼女が絞り出すか細い声は、身を乗り出さないと聴き取れない。

「自主性」や「自己実現」が重要視される社会のなかで、ロッティは行き場を失っている。今日何を買うかで翌日に買えるものが決まる――。彼女にとっては常にそのことが頭をもたげている。他人の同情にすがり、施しを乞わなければならない。そのせいで、自分は生きる価値などない不要な人間だと感じることもある。そんな惨めな自分にうんざりしている。

「貧しいと一切の活力が奪われ、疲れきってしまいます」

By Klaus Petrus
Translated from German by Alex Green
Courtesy of Surprise / INSP.ngo



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