新型コロナウイルスの蔓延が雇用や収入に与える影響が明らかになるにつれ、、国民に無条件で現金を給付するユニバーサル・ベーシックインカム(UBI、以下ベーシックインカム)がすべてを解決してくれる万能薬として期待値が上がっているようだ。

もちろんベーシックインカムのアイデア自体は望ましいが、決して貧困や所得格差といった複雑かつ長期的課題への魔法の策ではない、と釘を刺す意見にも耳を傾けたい。カナダのヨーク大学公共政策・行政学部のシルヴァン・カリミ助教授の見解を紹介しよう。



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コロナ対策の一環として注目度が上がっているユニバーサル・ベーシック・インカム施策
THE CANADIAN PRESS/Richard Plume

カナダでも自由党の複数の国会議員が、ベーシックインカム政策を最優先課題に引き上げるようトルドー首相に要望している。しかし、財政、行政、政治、憲法の観点から実現可能性はなかなか厳しいと言えよう。

熱心な推進派は、ベーシックインカム導入により、貧困を減らし、所得格差を縮め、業務のオートメーション化がすすみ雇用が減る中での安定所得となり*1、政府からの支援を受けることへの偏見を解消し、国民の社会福祉の向上、給付金頼みの生活からの脱却などに役立ち、現状では複雑でバラバラに運用されている給付金プログラムや公共サービスの合理化をすすめられると主張している。

*1 参照:Universal basic income is best response to automation

コロナ対策の給付金をベーシックインカムに移行すべき?

推進派からは、カナダの新型コロナ経済支援「CERB(カナダ緊急対応給付金)」から段階的にベーシックインカムへと移行していけばよいとの声も聞かれる*2。

*2 参照:Advocates hopeful CERB will pave way for universal basic income

しかし、すべての成人に月額1000カナダドル(約8万7500円)を無条件に給付する場合、正味の総費用は年間で3640億カナダドル(約31兆8500億円)となる。どう考えても財政的に持ち堪えられるものではなく、政治的にも自殺行為と言えるだろう。

その一方で、低所得の労働世代( 18~64歳の約960万人)のみに対象を絞った場合、給付額は個人で年間1万8329カナダドル(約160万円)、カップルで2万5921カナダドル(約227万円)となり、経費としては半年間で475億~981億カナダドル(約4兆1600億~8兆5800億円)規模になると推定されている*3。(これは、2017年にオンタリオ州で行ったベーシックインカムの実験プロジェクトと同様の金額水準だ。)この制度では、受取人に一定額を上回る収入があった場合には給付金が回収される仕組みであるため、最終的な予算はどれだけの返金が見込めるかによって変わってくる。

*3 参照:Costing a Guaranteed Basic Income During the COVID Pandemic(2020年カナダ議会予算担当室発表の報告書)

現行制度の利用者へのメリットは?

この対象を絞ったベーシックインカム制度でも、費用を賄うために大幅な増税圧力がかかる可能性があり、経済に莫大な負担をもたらすだろう。推進派の中には、低所得者や社会的弱者のために実施されている社会制度(連邦および州レベルで約55ある)を廃止・削減することで、必要経費の一部を賄えると主張する人もいる。しかし、現行制度に支えられている人たちの存在を見落としてはいけない。現行制度の受給者にとっては、ベーシックインカムへの移行にメリットを感じられない場合もあるかもしれない。


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「空腹で一文無し」と書かれたサインを掲げるホームレスの男性(2021年1月モントリオール市内)
THE CANADIAN PRESS/Graham Hughes


オンタリオ州で実施されたベーシックインカム実験プロジェクトでは、障害者がプロジェクトに参加するには他の公的支援の受給をやめなければならなかった。すると、多くの障害者がメリットが感じられないからとプロジェクトへの登録を拒否したのだ。現行制度に慣れきっている人たちに新しい制度を選択してもらうことも、あなどれない課題である*4。

*4 The Ontario Basic Income Pilot Shows the Real World Problems with a Basic Income

連邦政府が自由に政策を実施できるわけではない

ベーシックインカムを導入するには、手続き上の制約も大きな障壁となる。カナダの憲法では、連邦政府が新しい社会制度を導入する際の権利が制限されているのだ。推進派はこの点を見過ごしているようだ。

とりわけカナダでは、社会政策の展開における資金拠出に関して、連邦政府と州政府との間で長年にわたり意見が鋭く対立している事情がある。特にケベック州は強い対立姿勢を取っている。1999年の社会団結に関する枠組み協定(Social Union Framework Agreement、SUFA)が定めた基本規則によって、連邦政府が新しい社会制度を導入する際には、過半数の州の同意が必要となっているのだ。 つまり、ベーシックインカムを国家プログラムとして実施するには、連邦政府と州政府との間で難しい交渉が必要となる。また、現行の社会制度のうち、どれを削減すべきかについて、政治的なコンセンサスを得るのも簡単ではない。

既存の社会制度を充実させるべき


カナダでベーシックインカムを導入しようとすれば、既存のセーフティネットを根本的に構築し直す必要があり、推進派が主張するような所得格差と貧困解消には必ずしもつながらないだろう*6。

*5 参照:B.C. has better tools than universal basic income to create a more just society, report finds

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2020年12月、バンクーバーのストラスコーナ公園にあるホームレス用テント村でトレイラーを住まいにしている男性
THE CANADIAN PRESS/Darryl Dyck


最近では、社会的公正を目指す活動家の中にも、ベーシックインカムは「新自由主義に代わるものではなく、むしろ新自由主義のイデオロギーへの降伏だ」と考える人が出てきている。ベーシックインカムは、政府が医療、教育、住宅支援などの公共サービスのさらなる削減を正当化する絶好のチャンスとなり、政府は高騰する生活費の負担を個人に押し付けられるようになる、という見方だ。 ウィニペグ大学のマシュー・フリスフェダー教授がいみじくも指摘している。生活費が下がらなければ、ベーシックインカムは「単に市場を下支えするものでしかなく、(社会制度の削減によって生じる)家計の借金返済にあてられるだけだ」と*7。

*6 参照:UNIVERSAL BASIC INCOME IS NOT THE ANSWER

著者
Sirvan Karimi
Assistant professor in School of Public Policy and Administration, York University, Canada

※ 本記事は『The Conversation』掲載記事(2021年2月15日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
The Conversation


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THE BIG ISSUE JAPAN383号
コロナ補償とベーシック・インカム

THE BIG ISSUE JAPAN352号
とことん語ろう ベーシック・インカム!
https://www.bigissue.jp/backnumber/352/


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