2022年6月28日、カルト集団について解説した書籍『Do As I Say』(未邦訳)が発売された。著者は、毎回さまざまなカルト集団を取り上げて語るポッドキャスト「Let’s Talk About Sects」のホストを務めるサラ・スティールだ。宗教やイデオロギーの過激主義を研究している豪グリフィス大学博士候補生シェーン・サタリーが、この本を読み解く記事を『The Conversation』に寄稿した。
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『ファイトクラブ』に登場した男性カルト集団

小説家チャック・パラニュークの作品『ファイト・クラブ』では、架空のカルト集団がプロジェクト・メイヘム(騒乱計画)を繰り広げる。男たちが集まり、異端的な考えを持つ過激集団を形成し、道を踏み外した行為を重ねていく――現代の“男らしさ”の闇を探求した作品だ。


このプロジェクト・メイヘムは、私たちが「カルト集団」に見る主な要素をいくつも提示している。スティールが著書で指摘しているように、カルト集団は多くの場合、集団内でのみ使われる独特の言語を持つ/厳しい作業スケジュールを信者に求める/リーダーが際限なく説教する/メディアの利用を制限する、といった特徴を持つ。信者たちは聞き返してはならないと教えられ、専門家の支援や医療、外部の情報を得ることも制限される。

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『ファイトクラブ』では、男性のカルト集団がプロジェクト・メイヘムを実行していく。IMDB

さらに最も大事な点は、カルト集団は専門家が「威圧的コントロール」と呼ぶ手段を用いることであろう。攻撃、脅威、屈辱、脅迫、その他の虐待行為によって、カモとなる人を傷つけ、懲らしめ、おびえさせ、従わせようとする行為を指す。こうした心理的操作は、家庭内暴力が起きる要素でもある。

カルト入信の引き金になる出来事

カルト教団の信者はたいてい入信前にその引き金となる出来事を経験している、とスティールは指摘する。これは、過激派グループに加わる人たちに関する学術的文書でも裏付けられている。引き金となる出来事とは、離婚、大切な人の死、心の傷を残すトラウマ的な出来事などだ。

これは、異端的な宗教団体は社会的混乱が起きている時期に発生しやすいと述べた社会学者たち(エミール・デュルケーム(1858-1917)やマックス・ウェーバー(1864-1920))らも指摘している。デュルケームいわく、宗教(やその他の社会的規範や価値観)は社会的な「接着剤」のように作用する。社会が急速に変化する時というのは、既存のルールや習慣、信念が通用しなくなるため、搾取が起きやすい環境がつくられる。そして、その搾取が起きやすい環境は、人が抱える問題にすべての解を差し出すと豪語するカリスマ性ある男性によって導かれることが多い。

デュルケームは、この個人的な変化の感情(既存のルール、価値観、信念の喪失)を「アノミー(anomie)」と呼んだ。生活の何もかもが混沌とすることで、何としても人生の意味やよりどころ、コントロール感を、再び(もしくは、初めて)見つけ出さなければならない状態をいう。

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信者たちの歓迎を受けるインドの精神指導者バグワン・シュリ・ラジニーシ。(1984年7月)Bill Miller/AP

精神的・身体的にコントロールされるカルト集団への入信を選ぶワケ

カルトの研究が関心を集め、そして論争を巻き起こすようになるのはここからだ。スティールが数多くの事例を挙げて解説しているように、カルトというのは多くの場合、人の精神的・身体的存在のあらゆる側面をコントロールしようとする。そして、そのカルト集団の指導者家系に生まれるのでないかぎり、人々(圧倒的に女性が多い)はその集団の暗部についての情報を持っていないまま、自分でそのカルト集団への入信を選ぶ。

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チャールズ・マンソン率いる「コミューン」の若き女性信者たちが剃髪姿でロサンゼルス郊外の歩道に座っている(1971年3月29日)Wally Fong/AP


いったいどうして人はこのような集団に魅力を感じるのだろうか。

その答えの一部となるのは、「秩序、構造、確実性の必要性」であろう。政治的右派に偏りがちな人たちによく見られる心理的特性とされてきたこれらの要因が、今や普遍的なものになりつつあることが研究で明らかになってきている。

ありあまる自由がもたらす心理的不安

カルト集団やその他の過激派集団は、信仰の自由、結社の自由、宗教の自由につけ込み、虐待的かつ被害をもたらす結果を伴うことが多く、悲劇的な結果をもたらしやすい。

誰しも自由を好むのには、正当な理由がある。それが自由民主主義の礎である。しかし、秩序、構造、意味が見当たらない“ありあまる自由”というのは、社会にとっても個人にとっても心理的不安を覚える。

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「神の子どもたち」(現、ファミリー・インターナショナル)の信者たち(1971年)AP

例えば、スティールがカルト集団との絡みで取り上げている生殖権や子どもの権利の制限、そして男性指導者との疑わしき関係性を見てみよう。多くのカルト集団の内部では、恋愛関係をコントロールされ、選択肢を制限され、(多くは男性)リーダーやほかの男性たちへの従属を強いられるなどして、女性たちの権利は著しく制限されている、とスティールは指摘する。

ちなみにオーストラリア政府は、移民が持ち込んだ思想体系がオーストラリア的価値観と矛盾する場合は、オーストラリア的価値観が優先されるべし、との姿勢を明確にしている。しかし、ことカルト集団については、「宗教の自由」の陰に隠れて、チェックの目をかいくぐっているようなのだ。つまり、「女性の権利」が優先されるべき場合でも、集団内での権利侵害について調査・告訴することに消極的である。スティールはまた、若い男性をリーダーとして育成する“問題をはらんだ”やり方についても、社会的な主張をしている。

だが他にも考慮に値する要因がいくつかある。

家族のあり方の選択肢が増え、カルトが男性リーダーの疑似家族に

では、表向きは自由な個人が、こうした抑圧的で有害にもなりうる、女性の生殖や性に固執する集団に入ろうとするのはなぜなのか。

1960年代以降、女性の経口避妊薬、中絶の合法化(米国では今まさに、人工妊娠中絶合法化の契機となったロー対ウェイド事件の撤回をめぐって紛糾している問題だ)、離婚しやすくなったこと等で、女性は新たなレベルの自由を手にした。家族のあり方に選択肢が増えたといえる一方で、男性・女性どちらにとっても不確実性がもたらされた。

同じ頃から、「父親の不在状態」や「シングルマザー家庭」も大幅に増えた。アメリカ合衆国司法省の2019年データによると、国が運営する施設で暮らす未成年者の70%には父親がいない。

チャック・パラニュークは、現代の男性をめぐる問題や、現代の男性像を取り扱った小説作品は、自身の作品と映画『いまを生きる』(原題『Dead Poets Society』)の2つしかないと嘆く。『ファイト・クラブ』では、登場人物たちが結婚すべきかどうかを話し合うシーンがある。ジャック(エドワード・ノートン)が「まだ結婚できてない。30にもなって」と言うと、タイラー(ブラッド・ピット)が「俺たちは母子家庭で育った世代だ。他の女と暮らすのが、俺たちの求めてる答えなのか」と返す。

スティールは、カルトはフェミニストが注目すべき問題と指摘するが、それは間違いないだろう。しかし、女性差別はそれだけで存在するわけではなく、ほかの問題と深く絡まっている。母子家庭が増加する要因(離婚、DV、婚外子出産の増加など)は1960年代からずっと存在し、「父親の不在状態」はすでに何世代もの人々が経験している。「父親のいない少年たち(dad-deprived boys)*1」と呼ばれる現象まで起きている。カルト集団が男性をリーダーとする疑似家族となるのも意外なことではない。

*1 少年たちが、教育・メンタルヘルス・父親との不仲・人生の目的の欠如に悩まされていることを指しウォーレン・ファレル博士が「ボーイ・クライシス」という問題を提起している。その最大要因は「父親の不在」にあるとされている。

『ファイト・クラブ』に登場するプロジェクト・メイヘムは、内部で「質問してはならない」というルールが課されたカルト的集団であり、そのスローガンは「IN TYLER WE TRUST(タイラーを信頼せよ)」だ。聞き覚えがあるだろうか? とはいえ、ファイト・クラブの世界と現実世界は異なる。現実世界のカルトや過激派集団は決して、プロジェクト・メイヘムのように虚無的な思想を持ち、社会を打ち壊して、再び造り直そうと無秩序な目標を掲げているわけではない。

カルトと過激派集団の違いは、前者は信者をコントロールしようとし、後者は信者だけでなく社会をもコントロールしようとする点だ。しかし、両者で共通する部分もある。カルト集団がよく、世界の終わりのような「予言」をするように、どちらも信者たちに、世の終末が訪れるまでの苦しみを避けるために、自分たちの「家」を持つよう命じる。

欧米社会の人々が謳歌している「自由」を、カルトや過激派集団はどんなふうにコントロールし、搾り取るようになるのか。この問題に関心がある人には、『Do As I Say』はドキッとするほど説得力あふれる作品である。人生の意義、愛、社会的つながりを求める人々の欲望が誤った方向に導かれると悲惨な結果をもたらしうることを再認識させられる。宗教的な偽り、詐欺師、条件付きの抑制的な愛に依存することなく、自分の人生に意味、秩序、構造をもたらすにはどうすればよいのかを考える機会となるだろう。

著者
Shane Satterley
PhD Candidate, Griffith University


※本記事は『The Conversation』掲載記事(2022年7月10日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。The Conversation


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