トランスジェンダーの人が体の外見と自認する性を一致させるため、性別適合手術を受けることがある。そのひとつ「トップサージェリー」は、トランス男性が乳房組織を取り除いて胸を平らにする、またはトランス女性が胸を大きくする手術を指す。手術自体は入院または日帰りで受けられるが、術後は、排液・縫合部位のケア・皮膚の移植などの処置に数ヶ月かかる。米シアトルのストリートペーパー『リアルチェンジ』が、体験者に取材した。


「一年前は真っ暗な中でシャワーを浴びていました」
多くのトランスジェンダーにとっては思い当たる節のある話だ。自分の体の外見が自身が認識する性と一致しない人にとっては、電気を消してシャワーを浴びることが“手っ取り早い対策”なのだ。クロエの生活は、手術を受けて大きく変わった。手術前といえば、体のことばかり気にしていた日々が頭に浮かぶという。

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シャツを開いて、手術後、包帯を巻いた胸を見せるクロエ。

国内外からワシントン州へ。メディケイド加入者は手術自体は無料

ワシントン州には、性別適合手術の希望者たちが国内外から訪れる。TikTokでも有名なタックウィラ市の医師や、ドレーン(排液を出すための器具)を使わない手術法で知られるシアトル市の医師の手術を受けるために。しかし、保険に加入していないと8千〜1万5千ドル(約100〜200万円)にもなる手術費は、多くの人にとってはそうそう手が届くものではない。遠方から訪れる人は、これに旅費や宿泊費もかかってくる。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のLGBT専門政策研究機関であるウィリアムズ研究所では、2019年時点で「米国では140万人の成人(人口の0.4%)がトランスジェンダーであり、うちメディケイド(米国の低所得者向けの公的医療保険制度)に加入している人は約15万2,000人」と推定している。そして、性別適合手術がメディケイドでカバーされるのは、ワシントン州を含む17の州とワシントンD.C.に限られる。

クロエの手術費は、ワシントン州のメディケイド「アップルヘルス(Apple Health)」でまかなわれた。「夢にまで見た手術が、皆さんのおかげでうまくいきました。しかも無料なんて、オバマさんに感謝です!」とクロエは喜ぶ。「本当に無料なの? 間違いない? 手術当日まで疑っていました。未だに信じられません。いつか請求書が送られてくるんじゃないかって気がしてしまいます」

性別違和の診断

性別適合医療に関して、ワシントン州では数多くの規定を定めている。性別違和*の診断書に加え、心理社会分野の臨床医による診断証明書を提出する必要がある。「性別違和」とは、自分の性別の感じ方と、自分に対する周囲の認識の間に隔たりがあると感じたり、自分の内面と身体に矛盾を感じることをいう。性別適合手術の承認書に記載され、メディケイドで手術を受けられるかどうかの判断を左右する要素である。

幸い、トップサージェリーについては、他の手術要件となっている「セカンド診断書」や「12ヶ月間のホルモン療法」は求められないが、メディケイド加入者にとっては、上記要件を満たすだけでも費用的に大きな壁となっている。こんなプライベートな相談に対応してくれるセラピストを手頃な料金で見つけるのは容易でない。手術を受けるための手続きも単純ではなく、時間もかかる。

*生物学的な性別と性自認が異なる場合に、違和感やストレス、不快感を覚えること。

クロエは、別の医療保険で手術を受けようと考えたこともある。しかし、電話で問い合わせても、性別適合治療に対応できる専門家や支援システムはないと言われた。「ひどい疎外感を味わいました。性別への違和感を持って生活することの方が、手術よりもずっとつらかったです」とクロエ。メディケイドで手術が受けられると教えてくれたのは、トランスジェンダーの仲間だった。

コロナ禍で「緊急でない」とみなされてしまう手術

長引くコロナ禍で、手術日が設定しづらくなった。医療従事者の不足や医療システムのひっ迫状態により、“緊急を要しない”手術は先が見通しにくくなっている。

性別適合手術は「選択的(外科)手術」と誤解されがちだ。パンデミック禍では「エッセンシャルでない(nonessential)」という言い方も浸透した。感染が広まる中、性別適合手術は延期され、何年も前から準備を進めてきた人でさえ、計画が立てられなくなった。

性別適合手術が「非必須」に分類されたことは、手術を待っている人たちだけでなく、こうした医療への一般的な見方にも大きく影響している。

だが幸い、クロエの担当医師は事情をよく理解してくれた。「ワシントン州知事は(緊急を要しない)選択的手術を何度も停止させています。でも病院側は私に、『これは人の命を救う手術だ』と言って進めてくれました」

自己負担のアフターケア

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服に取りつけた排液装置を見せるクロエ。装置は1日に2回ほど、きれいに洗う必要がある。

手術自体は無料で受けられるものの、アフターケアにかかる費用まではカバーされない。排液処理に始まり、鎮痛剤の服用を続けなくてはならない。ガーゼ、軟膏、体のサポートグッズ、理学療法など、数週間毎に受ける経過観察以外は自腹を切ることになる。「全部ひっくるめると、どれほどの金額になるのかよく分かっていませんでした」とクロエ。

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手術後、傷の回復を待つクロエの自撮り画像。

入浴など日常生活に支障を来すことも多い。腕を少し動かせるようになると、皮膚の移植部分の確認などを経て、ようやくチェストバインダーを着ける日々から解放され、平らになった胸に喜びを感じられる。ただし、腫れがひいても、頭上まで腕を伸ばせるようになるには数ヶ月はかかる。

心身の状態を大幅に改善させる“命を救う”手術

「美容整形」に分類される手術も、受ける人によっては“命を救う”ものだ。術後は、さまざまな点で心身の状態が改善する。

その一つが、チェストバインダーが不要になること。チェストバインダーとは、胸を締め付けて平らにする肌着のようなものだが、長時間の着用(メーカーによると8時間以上)や正しく着用できていないと、不快感や呼吸困難、ときに肋骨の骨折も起こりうる。これを外せることで可動域が広がり、汗や摩擦による不快感からも解放される。肺活量が増えるので、歌を口ずさむのも楽になる。

精神的な解放感も大きい。トランスジェンダーの人たちと話していると、よく「性別違和」の話になるが、「性別違和」とは反対の「性別多幸感(ジェンダーユーフォリア)」という言葉もある。自分の性別に関する肯定的な体験を通して得られる自己実現の感覚だ。性別違和を抱くことは、必ずしもトランスジェンダーである“要件”ではない。性別多幸感だけを経験するトランスジェンダーも存在するのだ。疎外感や不快感ではなく、「喜び」を指標として自分のアイデンティティを感じられる、そんな道筋を示していけないだろうか。

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 平らになった胸に多幸感を味わっているクロエ。

乳房切除手術を受けた今、クロエは日々この多幸感を味わっている。デートにも積極的になった。夏には思い切り泳げる。違和感からにせよ多幸感からにせよ、メディケイドのおかげでこの「必要不可欠」な手術が受けられたことで、生活の質が高まっている。「今年の夏は、堂々と楽しめそうです!」泳ぎが得意なクロエが言った。

By W. Barnett Marcus
Courtesy of Real Change / International Network of Street Papers
Photos by Chloe Collyer

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