英バース大学のジェンダー政治学の授業で、「現代社会で人の心を動かす政治指導者は誰か」と学生たちに尋ねると、必ずジャシンダ・アーダーンの名が挙がる。歴代のニュージーランド首相たちはどうかと尋ねると、学生たちは沈黙する。従来とは異なる、彼女ならではのリーダーシップ性は国民の心に強く響き、「ジャシンダ・マニア」と呼ばれる熱烈な支持者をも生みだした。アーダーン元首相のレガシー(功績)について、英バース大学政治学教授のヒルデ・コッフェが『The Conversation』に寄稿した記事を紹介しよう。
「優しさの政治」と男女格差を訴える姿勢
ジャシンダ・アーダーンがニュージーランドの首相の座に就いたのは2017年、米国でドナルド・トランプが政権を取ったのと同じ年だ。二人は、年齢や性別だけでなく、政治スタイルもまるっきり異なる。奔放なツイートで人々の反感を招くトランプに対し、アーダーンは思いやりあふれる語り口で融和的なトーンを打ち出した。クライストチャーチでテロ事件*1 が起きたときにも、「彼ら(犠牲者)は私たち自身なのです」と述べ、標的となった移民・難民の人々を受け入れる姿勢を示した。クライストチャーチでのテロ事件犠牲者の追悼式典に出席したジャシンダ・アーダーン元首相。
Xinhua/Alamy
*1 2019年3月、ニュージーランド南部クライストチャーチのモスク(イスラム教礼拝所)で起きた銃乱射事件。イスラム教徒を狙ったヘイトクライムで51人が犠牲となり、犯人はニュージーランドで初めて「仮釈放なしの終身刑」の判決を受けた。
アーダーンが体現したのは、「優しさの政治(politics of kindness)」と呼ばれる新しいタイプの政治だ。新型コロナウイルスの蔓延でロックダウンを発表した記者会見の場でも、「強く、そして優しくありましょう」と語った。この言葉は、彼女の政治スタイルの代名詞となり、6年間に渡り政権の座に就いていた政治力の源だった。
彼女のリーダーとしての姿は、多くの人々、とりわけ女性たちを鼓舞した。政治の世界でも男女平等は進みつつあるが、一国を率いる女性リーダーはまだまだ少ない。37歳3ヶ月とニュージーランド政治史の中で最年少の女性首相となったアーダーンは、「男の世界」と見られている政界でまさに異例の存在だった。ブラジルやハンガリーなど、極めて力強さやたくましさを前面に出したリーダーシップを貫くポピュリストの首脳たちが主導権を振るう時代にあって、政治に「思いやり、優しさ、共感」をもたらしたのが“アーダーン流”だ。
アーダーンの功績として同じくらい重要なのは、政界の男女格差を訴えた点だ。2022年フィンランドのサナ・マリン首相(若き女性首相)と会談した際に、ソーシャルメディアでも拡散された有名な話がある。「お二人とも若い(女性)から会談したのか」と記者に質問され、アーダーンは「オバマ前米大統領やジョン・キー(ニュージーランドの元首相)が会談したときにもそんな質問をされたでしょうか」と切り返し、会談の理由は自分たちが女性だからではなく、政治の重要事案について議論するためだと明言した。
Jeremy Sutton-Hibbert/Alamy
「ジェンダーと政治参加」を学術的に語るなら、記述的・実質的・象徴的の3つのアプローチがある。一つ目は、権力を持つ地位にある女性の数に着目する。二つ目は、女性の代表者が政策の結果に与える影響、つまり女性による意思決定が政策にどれだけ反映されているかをみる。三つ目は、女性政治家がロールモデル(模範)となることで、一般の女性たちが政治活動や議論に参加し、政治への信頼感が強まるのに役立っているかに着目する。ニュージーランドで最年少の女性首相、そして在任中に母となった世界で二番目の女性となったアーダーンは、若い女性でも自分らしいやり方でリーダーシップを発揮できることを体現し、多くの女性たちに勇気を与えた。
引き際を自ら見極められる政治家
2023年1月に発表された退陣の決断も、リーダーシップの取り方と同じくらい画期的なものだった。世界のリーダーとして次々と訪れる危機と対峙し、家庭と仕事の両立に奮闘してきた彼女は、「もはや十分な余力がない」と辞任を発表した。辞任を迫られる前に自ら身を引いたのだと批判する向きもあるだろう。彼女が党首を務めてきた労働党が世論調査で苦戦しているのも事実だ。とはいえ、彼女は歴代で最も人気のあった首相だ。アーダーンの退陣を、トランプがホワイトハウスから閉め出された状況と比較してみてほしい。アーダーンのように、引き際を自ら見極められる政治家はどれほどいるだろうか。辞任会見でアーダーンは述べた。「人は優しく、しかし強くなれるという信念を、この国に残していければと思います。思いやりがあって、でも毅然とした態度で。ポジティブでありながら、精神を研ぎ澄まして。そうすれば、人は、身を引くタイミングを心得た、自分自身のリーダーであることができるのです」。政治には特定のスタイルがあるわけではなく、誰もが自分らしいやり方で政治を行える。人に寄り添い共感するという、一般的に政治とは結びつかない彼女のスタイルはその一例だ、と力強く訴えるメッセージとなった。
辞任を受けて、カマラ・ハリス米副大統領も、アーダーンは「世界中の何百万もの人々を鼓舞し」政治の新しいあり方を提示したと述べた。爽やかで凛としたリーダーシップや政治姿勢は、ジェンダー平等の呼びかけと相まって、多くの女性を勇気づけてきた。辞任のやり方においても従来の流れを変え、優しく思いやりある真の指導力がどういうものかを示したアーダーンの“政治スタイル”は、何十年も先まで語り継がれる彼女の功績になるだろう。
著者
Hilde Coffe(2017年当時、ニュージーランドに滞在していた)
Professor of politics, University of Bath
※本記事は『The Conversation』掲載記事(2023年1月20日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
あわせて読みたい
・パンデミックに適切に対応できる組織と女性がリーダーになりうる組織の共通点
*ビッグイシュー・オンラインのサポーターになってくださいませんか?
ビッグイシューの活動の認知・理解を広めるためのWebメディア「ビッグイシュー・オンライン」。
ビッグイシュー・オンラインでは、提携している国際ストリートペーパーや『The Conversation』の記事を翻訳してお伝えしています。より多くの良質の記事を翻訳して皆さんにお伝えしたく、月々500円からの「オンラインサポーター」を募集しています。
ビッグイシュー・オンラインサポーターについて
『販売者応援3ヵ月通信販売』参加のお願い
3か月ごとの『ビッグイシュ―日本版』の通信販売です。収益は販売者が仕事として"雑誌の販売”を継続できる応援、販売者が尊厳をもって生きられるような事業の展開や応援に充てさせていただきます。販売者からの購入が難しい方は、ぜひご検討ください。
https://www.bigissue.jp/2022/09/24354/
過去記事を検索して読む
ビッグイシューについて
ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。
ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。