北欧の小国エストニアは、2023年3月5日に実施された 国民議会選挙でデジタル的に大きな節目を達成させた。インターネット投票した人が初めて、有権者の半数を超えたのだ。政治学者として選挙制度を研究しているウェストバージニア大学政治学教授エリック S.ヘロンが『The Conversation』に寄稿した記事を紹介する。

エストニアの電子行政システム

筆者は、国際選挙監視人という立場で、エストニアの一般の投票所を訪れ、国会議事堂で行われたインターネット投票の最終集計にも立ち会った。

エストニアは、“民主的プロセスのデジタル化”の草分け的存在として知られている。国民には政府発行のIDカードの取得が義務付けられ、このカードを使えば、身元証明、デジタル署名の記録、新生児の登録、社会給付金の申請、医療健康データにアクセスでき、行政関連のほぼすべてをオンラインで行える。実際、多くの人々が定期的にこのシステムを利用している。2005年に始まったインターネット投票は、エストニアの電子行政システムの一部に位置づけられる。

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インターネット投票の結果に喜ぶエストニアのカヤ・カッラス首相。2023年3月5日Raigo Pajula/AFP via Getty Images

このデジタル革命のセキュリティを支えているのが、「X-Road」と呼ばれるデータ共有システムだ。各政府機関は、自サービスの提供に必要な個人情報のみを収集し、他の機関がすでに同じ情報を収集している場合は、X-Roadを通じてそのデータにアクセスする。つまり、各個人情報が収集されるのは一度だけで、あとは必要に応じて、政府機関の間でデータを共有している。

ある人の住所データが人口登録当局によって収集されれば、他の機関(選挙管理当局、医療機関、学校など)でその情報が必要なときは、オンラインで人口登録当局にデータを要求する。また、大学への入学申請にあたって生年月日と成績データが求められたなら、それぞれ別機関で保存されているこの2つのデータも、IDカードを使って、システムが瞬時にデータを引き出し、願書に自動入力できる。 選挙管理当局も、このシステムを使って、有権者やインターネット投票についての情報を把握している。

統一システムの構築が困難な米国の現状

他方、米国の選挙管理システムはエストニアとは大きく異なり、インターネット投票はほとんど実現していない。エストニアの統合された情報システムやインターネット投票の仕組みと比べると、米国のは“寄せ集め的な”システム“に映る。そこには、さまざまな理由がある。

電子行政システムの開発と管理には、技術的・政治的・社会的なレベルでさまざまな調整が必要となるが、米国では各州が独自の選挙管理方法を構築し、郡以下のレベルでも方針が異なるため、同じ技術を一律に導入するのはたいそう難しい。また、アメリカのような広大な国で施策を調整し、安全なインターネット投票の仕組みを導入することも、技術的にかなり難しい。さらに、連邦政府が州の問題に干渉することへの懸念が、選挙改革に対する政治的・社会的反発を引き起こしてもいる。エストニアのインターネット投票システムの基盤である電子IDの義務化にも、国民のコンセンサスが得られるとは思えない。

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米国ではほぼすべての有権者が、投票所に足を運ぶか郵送で投票している。Michael M. Santiago/Getty Images

調査によると、一部の懐疑的な見方をする人たちをのぞき、エストニア国民の大半が電子行政システムを信頼している(批判的な意見は、セキュリティ上の懸念に集中している)。 また、インターネット投票という方法自体が政治的に扱われることがある。エストニアの直近の選挙では、インターネット投票を利用しないよう呼びかけた政党(エストニア保守人民党)が(当然ながら、インターネット得票数でライバルに引き離されたわけだが)、その結果の正当性をめぐって法廷で争い、却下されるという出来事があった。米国でも、2020年の選挙で不在者投票をめぐって同様の動きが見られた。

投票システムの安全性・効率性・アクセス性のバランス

米国の非中央集権的なアプローチにも利点はあるものの、安全性・効率性・アクセス性には改良点がある。「安全性」とは、投票権がある人だけが投票でき、その過程で不正な影響を受けないことを、「効率性」とは、長い列に並ばずに投票でき、迅速かつ正確に票が集計される円滑なプロセスを、「アクセス性」は、投票権を持つ人々が有権者登録、投票に必要な情報収集、確実に投票できることをいう。

投票制度の変更によって、いずれかの要素が向上しても、別の要素が損なわれてしまうこともある。投票の際に写真付き身分証明書の提示を義務付ければ、有権者のなりすましの可能性は減らせるかもしれないが(安全性の向上)、身分証明書を忘れた人や、正当な投票権はあるのに身分証明書を持っていない人が投票できなくなるリスクがある(アクセス性の低下)。いかにして各要素の許容できるバランスを見つけていくかが、市民にとっても政策立案者にとっても大きな課題である。

電子登録情報センター(ERIC)からの脱退による後退のおそれ

3月初旬、ウェストバージニア、フロリダ、ミズーリ、アラバマ、ルイジアナの各州は、電子登録情報センター(ERIC)からの脱退を表明した。ERICとは、有権者名簿の正確性を向上し、投票を促すため、州の垣根を超えたデータ共有に取り組んでいる機関で、加盟している28の州とコロンビア特別区は、有権者登録と運転免許証のデータをERICに提供すると、転居した人、亡くなった人、投票資格がありながら有権者登録がなされていない人についての分析レポートが受けとれる。そのレポートを活用することで、有権者名簿の精度を高め、不正を見つけ、未登録の有権者に投票方法を案内するのが容易になる。つまり、安全性・効率性・アクセス性を高めるための取り組みである。

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LeManna/iStockphoto

しかし、昨年あたりから「ERICは党派的な道具として利用され、選挙の正当性を損なっている」という根拠なき噂が広まり、脱退する州が出てきている。だがERICはそもそも超党派の支援を得て、政治的偏りのない情報提供機関として設立されたもの。ERICから脱退する州は、根拠なき陰謀説を理由に、選挙プロセスの正当性を損なっているのではないだろうか。

米国は、電子化によって行政システムを変革させたエストニアから学ぶべきことが数多くある。ロシアと国境を接するエストニアは、いかに安全な環境を確保できるかという課題に直面しているが、その見事に統合されたシステムによって、安全性・効率性・アクセス性のバランスを保ちながら、幅広い行政サービスの運営を実施できている。かたや、一部の州によるERICからの脱退という動きが起きている米国。筆者には、エストニアとは真逆の方向に進んでいるように思えてならない。

著者
Erik S. Herron
Professor of Political Science, West Virginia University



※本記事は『The Conversation』掲載記事(2023年3月17日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。

The Conversation

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