首都ブエノスアイレスの総合病院で働くヴィヴィアナ・マズル医師は、女性がまっとうな権利を手にするまでの変化を目の当たりにしてきた。2020年まで大きな制約があった人口妊娠中絶が、現在は妊娠14週目までなら、本人の要望に応じて受けられるようになっているのだ。「かなり早い段階で相談に来る女性が増えました。生理が遅れるとすぐに病院に足を運ぶようになっているのです。おかげで、ほどんどの場合、医療上のアドバイスと観察のもと、自宅での投薬によって対応できています」 

ブエノスアイレス市の「性の健康部門」でコーディネーターを務めているマズル医師は、経口中絶薬による処置は従来の外科手術と比べていろんな利点があると言う。「女性にとっては精神的苦痛が少なく、リスクも低い。公衆衛生システムにとっても低コストで済みます」

2021年の解禁後、望めば合法で安全に中絶が受けられるように

アルゼンチンでは長年にわたる女性の権利向上を目指した運動により、2021年1月以降、中絶が解禁された。闘いの終盤、大規模な抗議活動を繰り広げた女性たちが緑色のスカーフを身につけて道路を埋め尽くしたため(男性の参加者もいた)、緑色のスカーフはラテンアメリカにおける妊娠中絶擁護派のシンボルとなった。

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運動の結果、法律27,61号「自主的な妊娠中絶へのアクセス」が施行され、すべての女性が妊娠14週目までなら無料で、理由を説明することなく、中絶処置を受けられるようになったのだ。それまでは、2012年に施行された最高裁判決により、「合法的な妊娠中絶」は、レイプされた場合、または女性の生命や健康を脅かす場合のみに限定されていた。 新しい法律が施行されてから丸一年が経った2022年の公式データによると、人口約4600万人のこの国の公的な医療機関で、合計9万6,664件の中絶処置が実施された(2021年は7万3,847件)。

「2022年に実施された中絶処置の85%以上は投薬によるものです」と話すのは、性と生殖に関する健康のナショナルディレクターを務めるバレリア・イスラだ。「より安全な方法で中絶処置がなされているのは喜ばしいこと。いずれにしても、つい最近までほとんどの中絶処置は内密に行われていたのですから、件数について結論を出すのは時期尚早ではありますが」とも。イスラの職場では、全国各地の医療従事者向けに中絶処置の研修を実施し、医薬品や手動真空吸引の機器を配布している。手術室で行う「拡張」や「掻爬」よりも、診療所で行える手動真空吸引法はリスクも低い。

2種類の経口妊娠中絶薬で女性の負担軽減

低リスクという意味では、長年、経口妊娠中絶薬として用いられてきたミソプロストールに加えて、2022年からは「ミフェプリストン」が導入されたのも大きな前進である。二つの薬を組み合わせた「コンビパック」により、中絶処置としての効果が高まり、痛みも緩和される。

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世界保健機関(WHO)でも2005年から推奨している手法の一つで、2022年WHOは質の高い医療サービスを提供するため、二つの薬剤を必須医薬品として認定し、中絶処置の有効性と安全性を裏付けた。この流れを受け、アルゼンチン政府はその年のうちに、国連人口基金からの寄付を受け、公立病院でミフェプリストンの流通を開始。政府の医薬品・食品・医療技術国家管理局(Amnat)が薬局での販売を認可したため、2023年3月からは民間の医療機関でも入手できるようになり、より中絶が受けやすくなっている。

「ミフェプリストンの導入により、ミソプロストールの使用量を減らすことができるので、副作用も減ります。事前・事後のチェックを受ければ自宅で服用できるので、中絶処置の受けやすさにおいて、とても重要な意味合いをもちます」と話すのは、ブエノスアイレス郊外ラヌース地区のプライマリーケア診療所でソーシャルワーカーとして働くフロレンシア・グラッツィーニだ。フェミニスト活動家たちが立ち上げたキメル・カウンセリングセンターでも、ずっと以前から中絶処置を必要とする女性たちの支援に関わってきた。

現場レベルへの浸透が今後の課題

グラッツィーニいわく、中絶処置はかなり受けやすくなったが、いまだに中絶を受けることを恥だと考える女性もいる。「新しい法律により、妊娠14週目までの中絶処置には理由を説明する必要はありません。にもかかわらず、カウンセリングに来て、中絶を決めた理由をくわしく説明してくれようとする女性は少なくありません」と指摘する。「何でも話せる雰囲気づくりを心掛けてはいますが、必ずしも中絶を受ける事情を説明する必要があると思ってほしくないのです」。そのため、中絶を受ける理由を説明する必要はない旨を伝え、それでも精神的サポートを必要とする者には支援を提供するというスタンスですすめている。

ところが、現場では医療従事者が抵抗するケースもある。そこで保健省は5月、医療ケアの規約を改定し、「中絶処置を安全に行ううえで臨床的に必要のない要件」、つまり、「待機期間(中絶意思を熟考するための期間)」と「親やパートナーの同意要件」を取り除くよう勧告している。 中絶の合法化ですべての障壁が取り除かれたわけではない。そのことを示すデータが、全国的に中絶希望者への支援を展開している団体「ソコリスタス・エン・レッド」が発表している。2022年、妊娠中絶を希望する女性からの問い合わせ件数は1万3,292件。そのうち、公的な医療機関で中絶処置を受けたのは10%のみで、残りの90%はそれ以外のところで中絶処置を受けていた。団体としては、心理面のサポート、情報提供、手順説明を、対面・電話・メッセージ経由で行ったところ、女性たちは医療機関で処置を受けるよりも大きな安心感を得たというのだ。

また、中絶の受けやすさにおける地域格差の問題もある。中絶処置を行う公立病院・医療センターの数は、2021年の1000拠点未満から2022年には1793拠点に増えたものの、一部の州では支給品が非常に乏しい状態にある(サンチアゴ・デル・エステロ州北部には8拠点、チャコ州には9拠点のみ)。 女性の権利向上を求める運動を受け、コルドバ州では180拠点の医療機関で中絶処置が受けられるようになっており、国内で最も中絶が受けやすい州の一つである。この州でソーシャルワーカーとして働くアナ・モリージョは言う。「地域によっては、投薬による中絶処置に役人からの反発があったり、医療従事者のあいだでも知見が浸透していない場合があります。都市部と地方における中絶の受けやすさの大きな格差、今後力を入れていくべきはこの問題でしょう」

By Daniel Gutman
Courtesy of Inter Press Service / International Network of Street Papers

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