社会学教授でピュリッツァー賞受賞作家のマシュー・デズモンドは、人生の大半を貧困の“そば”で生きてきた。2023年3月に刊行された著書『Poverty, By America(米国による貧困)』では、貧困者を取り巻く実態と、そのことから恒常的に恩恵を受けている人々がいる状況を浮き彫りにした。車の事故に遭っただけで医療費で破綻することのない、より健やかな国となるにはどうすればよいのか。デズモンドに、米コネチカット州オクラホマシティのストリートペーパー『Curbside Chronicle』誌が話を聞いた。
 

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Poverty, By America』の表紙

『Curbside Chronicle』誌:ご自身も貧困から抜け出せない状態を経験されてきたとのこと。どんな子ども時代だったのですか?

マシュー・デズモンド: 子どもの頃は自分が貧しいと改まって考えるなんてしませんよね。家族でファミレスで外食すると、一番安いメニューにしなさいと言われたり、家のガスが止められたときは、キャンプさながらに母親が火をおこして料理することもありましたけど。
貧しさが親の生活をどれほど圧迫しているかがわかるようになったのは、もっと年齢を重ねてからです。大学生の頃に家を追い出されることになり、貧しさが蓄積していくとどうなるかを痛感させられました。 アリゾナ州立大学に進学して、私の地元にはいないレベルの裕福な人たちと交わるようになりました。話す内容からして違いました。私なんて、寿司という食べ物がどんなものかもよくわかっておらず...奨学金をもらえたときにお祝いがてら寿司屋に行ったのですが、何も知らない私と友人は大きなスプーンにわざびを盛って食べてしまい、頭が痛くなったものです。

子ども時代を過ごした家を失うのはいかがでしたか?

ぼろ家というわけではなく、田舎の2エーカーの区画に建つ小さな平屋でした。持ち家で、家族みんなが気に入り、つながりを感じられる家でした。その家を出ることになったとき、車を持っていなかった私は友人に送り届けてもらわなければならず、気恥ずかしかったです。立ち退きの際に痛感したのは、立ち退きという経験がいかに人の重荷になるかということです。社会学者である私の仕事は、ライト・ミルズ*1の教え「個人の問題を政治の問題に変える」にならい、貧困は当事者だけの問題ではないのだと一般の人々が理解できるようにすることだと思っています。

*1 米国の社会学者(1916-1962)。「社会学的想像力(sociological imagination)」を提唱。

本の中ではさまざまな問題を指摘されていますが、米国の貧困を終わらせるうえで最も妨げになっているものは何だとお考えですか?

あらゆる苦難は耐えなければならない、という誤解です。つまり、飢えやホームレス状態に陥ることを「我慢しなければならないもの」とされていることが最大の問題なのです。そうではありません。まずは、もっと政治的な想像力をたくましくし、貧困問題のないアメリカという国を思い描く道徳的な勇気が求められています。そして次のステップとして、それらを行動に移していく。大きな政治的行動だけでなく、個々人の行動も必要となってきます。

本書の中で「アメリカの貧困層だけで国をつくったなら、オーストラリアやベネズエラよりも大きな人口になる」と指摘されています*2。こうした統計を織り込む際のお考えを聞かせてください。

私には、貧困ラインを下回る生活をしている親族や友人がたくさんいます。ウィスコンシン州ミルウォーキーで出会った人たち*3 とも、いまでも関係が続いているので、書くときには彼らへの説明責任があると感じています。貧困問題について書くときは、読者を感情的に引き込み、しっかり“感じて”もらえるようにする責任があると。それができていないなら、ある意味、物書きとして失敗していると言わざるを得ません。 書く時に目指しているのは、それが統計的なエビデンス、政府報告書にある情報、専門的または技術的な内容であれ、科学的・知的なだけでなく感情的にもパワフルであること。ですから、貧困ライン以下の生活をしている大切な友人たちを含めた読者のことを常に考え、それが文章を書くときのモチベーションになっています。

*2 人口はオーストラリアが約2600万、ベネズエラは約2900万。
*3 マシュー・デズモンドは前著『家を失う人々 最貧困地区で生活した社会学者、1年余の記録』の執筆にあたって、ウィスコンシン州ミルウォーキーの貧困層とともにトレーラハウスに住み込んだ経験がある。

ジョン・スタインベックの小説『怒りの葡萄』の下りなど、オクラホマシティについても何度も言及されていますね。

スタインベックがこの作品で提示したのは、多くの偉大な作家やエッセイストがしたように、権力にまつわるあらゆる複雑性に切り込み、権力にまつわる問題を中心に置いたことです。 『怒りの葡萄』では、“貧困は意図的”と指摘しているのです。農場を失う人がいるのは、ほかの誰かがそれを手に入れているから。スタインベックはその問題をはっきり示したと思います。

コネチカット州は全米でも上位にある離婚率を下げようと、オクラホマ・マリッジイニシアチブという名の下、1999年から2016年にかけて、結婚を促進するためのカウンセリングサービスやワークショップ(貧困層以外も対象)に、「貧困家庭一時扶助金 (TANF)」の資金から7千万ドル以上ものお金を充てていました。本書でこの事例を取り上げたのはなぜですか?

この事実を知り、ひどく腹が立ちました。TANFの対象とすべきは、州内で最も貧しく、十分な食べ物をもらえていない子どもたちです。数人で一つのマットレスをシェアしているような、立ち退きを迫られている家族です。州は社会保障費をとんでもない方法で使っていたと思います。もちろん、これはオクラホマや赤い州(共和党支持者が多い)に限った問題ではありません。本の中では、ハワイ州も多額の社会福祉費用を適切に使い切れていないことにも触れました。うまくやれば、州内の貧しい子ども全員に1万ドルずつ配ることもできるかもしれないのに。

米国各地で見られるこの問題こそ、本書が立ち向かおうとしているパラドックス(矛盾)です。過去40年にわたり貧困対策プログラムへの政府支出は増えているにもかかわらず、ここまで貧困が広がっている。その事実に私たちはどう向き合えばよいのか。

国民が「政府のプログラムに任せていればいい」と考えていると、矛盾が生じます。確かに、フードスタンプや住宅支援が多くの人の暮らしを救ったというエビデンスはたくさんあります。しかし、貧困問題を本気で終わらせたいのなら、しっかりと立ち向かわなければならないことがあります。その答えとなるのが、貧困対策として計上された予算は必ずしも当事者の手に渡っていないと認識することです。2020年のTANF予算として計上された1ドルあたり、実際に困窮家庭に支払われたのはたったの22セントだったのです。

社会福祉費は年間300億ドル以上あるとも指摘されています。それらがすべて困窮家庭にまわれば、どれほど大きな違いを生み出せるでしょうか?

コロナ禍での実績を考えてください。本当に困っている家庭にお金をまわせばどうなるのか、あれは国を上げての巨大実験でした。子ども税額控除(Child Tax Credit)の拡充により、何百万世帯の家庭――困窮家庭だけでなく、中間所得層や労働階級も含む――にお金が支払われ、子どもの貧困は6カ月で半分にまで削減できたのです。ですから、必ず大きな変化を起こせます。

本書を読んで印象に残ったのが、経済的安定があれば人はより良い選択ができるとの考えです。その考えは以前からお持ちでしたか?

最初からではありません。トレーラー暮らしをしているロレーヌという女性を取材していたときのことです。ある日、彼女はその月のフードスタンプ(食料配給券)全額分を、記念日だと言って食料品の買い物に使い果たしてしまいました。「このことを書いたとて、非難材料にされるだけだろうか?」とも考えましたが、私の仕事は事実をありのままに書くことです。ロレーヌは自分がしたことを悪いと思っていません。自分で支払ったのですしね。その月の残りは食料配給所に通っていました。

彼女は貧困ラインをはるかに下回る生活をしていました。節約して手取りの3分の1を貯金していたら――それはそれで驚くべきことですがーー、一年で自転車を1台買うことはできたかもしれませんが、その場合、暖房機器や医薬品を買うことはがまんしなければなりません。ロレーヌの生活をそばで見たことで、彼女のような人たちが貧困に陥っているのは、本人が選んでそうなっているのではなく、貧困状態にあることでお金の使い道に条件を付けられるからだと考えるようになりました。

最低賃金の引き上げに関する研究からも同じようなことがわかってきています。最低賃金を上げれば、タバコを止める人が増える、ネグレクト(育児放棄)の事例が減る、貧困ストレスが軽減して健康な赤ちゃんが生まれやすくなるなど、さまざまなメリットがあります。「最低賃金を上げると、企業が犠牲になるのでは?」とマクロ経済的な問いにばかり焦点を当てられがちですが、「賃金を上げないと、人々が犠牲になるのでは?」とも問うていただきたいです。

人が犠牲になるというのは、最低賃金レベルのフルタイムの仕事を2つ掛け持ちしていたフリオという男性の事例からもよくわかりました。彼の弟がフリオと遊ぶために1時間分の賃金を払ったという事実には心が痛みました。

フリオは「自分はゾンビのようだ」と言ってました。ろくに眠れない生活を続けた挙げ句、24歳のときに食料品店の通路で倒れてしまったのです。その後、彼は政治運動にもかかわるようになりました。マクドナルドの制服を着て初めてデモに参加したときは、仕事をやめさせられるかもしれないとビクビクしていたそうですが、自分と同じように賃金アップを目指して闘っている大勢の人と出会い、変わっていきました。信仰心の厚い彼にとっては、そうした活動が教会に通うようなものでもあったそうです。神様と政治を信じ、政治活動に参加することで、賃金アップという形あるものを勝ち取るだけでなく、アイデンティティやコミュニティ感をも手に入れることができたと話してくれました。

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フルタイムの仕事を2つ掛け持ちしていたフリオは、24歳のときに倒れた。その後、低賃金に反対するデモに参加し、地域の最低賃金引き上げに貢献した。Illustration by Abbie Sears

米国のホームレス問題を軽減するには1770億ドルのコストが必要と書かれていますね。この数字に驚く人たちに何かメッセージはありますか?

この数字を出したのは、「達成可能」だと示したかったからです。数年前に発表された調査によれば、アメリカ人の上位1%の人たちがしっかりと税金をおさめたならーー課税額を上げるのではなく、脱税を防ぐだけーー、1770億ドルを集められると見込まれています。

これは思考の練習です。貧困対策にこれ以上お金を出せない、というマインドを打ち消す必要がある。答えは私たちの目の前にあるのです。富裕層への対応を厳しくする、企業や富豪の脱税を許さない、それだけでもっと貧困対策にお金をまわすことができるのです。

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2008年から、住宅・貧困・立ち退きの問題について研究しているマシュー・デズモンドは、ウィスコンシン州ミルウォーキーの困窮者や家主たちと多くの時間を過ごしてきた。Illustration by Abbie Sears

Interview by Nathan Poppe
Courtesy of The Curbside Chronicle / International Network of Street Papers




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