(2013年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第213号より)
プレハブ校舎にスクールバス通学。飯舘村の3小学校で卒業式
原発事故に伴う放射能汚染により、現在も多くの村民が村外で避難生活を送る飯舘村。飯舘村の児童が学ぶ村立草野、飯樋、臼石の3小学校合同の卒業式が3月22日、学校が避難している隣町・川俣町の仮設校舎体育館で開かれた。
卒業生は草野小20人、飯樋小15人、臼石小5人の合計40人。震災後は川俣中学校の校舎に「間借り」して授業をしていたが、昨年の4月からプレハブの校舎と体育館に移った。家族と避難先を転々とした子どももいて、震災直後から落ちつかない生活が続いていた。福島市や伊達市など近隣の市や町に避難しているため、スクールバスで1時間以上かけて通ってくる子どもも多いが、最近は少しずつ現在の生活に慣れてきたという。
広瀬要人教育長は「みなさんは、東日本大震災と原発事故で飯舘村の学び舎を追われ、5年生の時には川俣中学校の校舎、6年生の時には仮設校舎で学んだ。しかし苦しみにひるむことなく、明るく前向きに取り組んだ。避難中の学びと経験はこれからの人生の糧になると思う」と卒業生を激励した。
卒業生全員による呼びかけでは、「震災の時に、私に『大丈夫だよ』って言ってくれたお父さん、お母さんのおかげでここまで大きくなることができました」「先生方や友達、たくさんの方々への感謝を忘れずに、これからもがんばります」と、大きな声がプレハブの体育館に響いた。3校の全児童が一緒に、3校の校歌を歌った。
飯樋小の卒業生、菅野翔太君は「本当は飯舘の小学校で卒業式をしたかったけれど、原発で避難しているためにできなかったのは、やっぱり残念です。それでも、みんなで卒業式をすることができてよかった」と晴れやかな表情で話した。
臼石小の二谷京子校長(3月末で転任)は、「プレハブの仮設でも、自分たちの校舎で卒業することができてよかった。教育課程を3校合同にしたため、学校行事も合同になっており、学校を超えて友達ができるなど、子どもたちも慣れてきた。来年度も3校で一体感のある教育や学校活動を進めていきたい」と語った。
飯舘村は昨年7月、「避難指示解除準備区域」(年間積算線量が20ミリシーベルト以下)、「居住制限区域」(同20ミリシーベルト超で避難継続が求められる地域)、「帰還困難区域」(同50ミリシーベルト超で、帰還は長期間困難な地域)の3地区に再編された。だが、今年3月1日現在、県内には6086人、県外には500人がいまだに避難生活を送っている。子どもたちが慣れ親しんだ校舎に戻る見通しは、まだまったく立っていないのが現実だ。
(文と写真 藍原寛子)