(2006年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第52号より)






DSC 0162




怒りは希望にも絶望にもなる、自分らしく怒り生きる力を身につける



人間にとって「怒り」とは何か? なぜ、怒ることが必要なのか? 
辛口のコメントでも有名な辛淑玉さん(人材育成コンサルタント)が、
社会に対して怒ることの意味、新しい怒り方を語る。





怒りは、社会的に奪われている



自他ともに認める「怒り上手」である。歯に衣を着せないコメント。差別的発言には場の空気を気にせず、ズバッと指摘する。テレビのブラウン管の中だけではない。自宅でテレビを見ながら、電車では吊革広告を見て、講演会での質問や、近親・友人の言葉にも…。

日常生活の中でも、辛さんは「怒り」とともに生きている。

「喜怒哀楽は、人間の心のバランスを保つ大事な装置。そのうち一つでもなくなると、心は壊れてしまう。怒りを隠蔽することを『大人』だと言い、怒りをあらわにすると、『稚拙』だとか『かっこ悪い』と言う。そうではないんです」と辛さん。

とはいえ、世間一般には、怒りは感情表現の中でも、とりわけ評価が低い。喜びや楽しみは人の幸せに直結するが、怒りは人の「和」を乱すもの。どこかそんな雰囲気が漂っている。公衆の面前で怒ろうものなら、「そんなことで怒る方がおかしい」「大人気ない」「ヒステリックだ」と、なだめすかされるのがオチだ。「愛」の感情を持つことは否定されないのに、「怒り」はその感情を持つことすらはばかれる。感情を持つことと「愛し方」は別の次元で考えられているのに、怒りは、感情を持つことも怒り方もセットで否定される。それでも、辛さんはあえて、「正しく怒ることは、人間性を取り戻すために、最も重要なこと」と強調する。 

「例えば、男に求められるのは知性や理性で、その対極にあるのが感情。感情はオンナコドモの世界のもので、より劣ったものとされてきた。だって、『お前は女みたいだ』っていうのは、最高に男を侮蔑する言葉でしょ。野村監督も、茶髪の選手に対して、こんなことは女のすることだと言って怒鳴っていた。女がすることは、男にとって尊敬に値しないこととされてきたんです。だから男性は、感情を抑圧できないのは稚拙だと教えられる。会社などでは、感情を殺して動じないことが大人の男の証。常に理性的にふるまい、会議でも上司に反対意見を言わず、怒りがあってもブレーキをかける」

「一方で、女性に求められるのはやさしさ。率直な物言いなどしたら、可愛げがないとか、生意気だとか、嫁のもらい手がない、などと言われる。そして笑顔。女が憮然としていると、男以上に非難を浴びる。だから女も、怒りを表現することは下品で悪いことだと思っている」

怒りは、男からも女からも、社会的に私たちの感情から奪われている。「しかし、それは政治家や経営者など、一定以上の権力を持つ者にとっては、とても好都合なこと。怒る方がおかしい、異論を持つ方がおかしい、と問題を転嫁できるからです」




自分が自分として生きるために、怒る



民族差別に女性差別、学歴差別など、何に対して怒るかは人それぞれに違うが、黙っていたら永遠に続くものもある。だからこそ、「それは嫌だ」と伝え、相手の行動を変え、居心地のいい関係を作ることも時には必要。そのためには、自分は何に対して怒っているのか、腹立たしいのかを、きちんと見極めることだ。

「そうしないと、関係のない人に向かって怒りが爆発してしまう。例えば、会社でいやなことがあってむしゃくしゃしているときに、帰ったら食事が用意されてなかった。普段なら何かあったんじゃないかと考えられるのに、『おまえ、今日一日何してたんだ!』と怒鳴ってしまう。これでは、怒りをぶつけられた方はびっくりしてしまう。怒りは、その素にぶつけないと解決しない」

だが、そう言う辛さんも、家族にだけは42歳になるまで意見することができなかった。

「親には絶対服従という儒教的な空間で育ったこともあって、さんざん辛酸をなめてきた母親に逆らうことができなかった。遠い人との関係を修復するのは意外と簡単だが、関係が近ければ近いほど、改めて言葉にするのがためらわれるものです。ありがとうという言葉一つ伝えるのもなんだか気恥ずかしい感じがするのと同じで、不快な思いや、いやだという感情を伝えるのは、もっと難しい」

家族に一言、「それは嫌なんだ」と伝えられたことは、辛さんにとっても大きな一歩だった。「私にとっては、権力者に対して怒るより近親者に怒ることの方がよっぽど葛藤があった。怒るということには本当に力がいるんです。でも、長い間、これはヘンだ、この状態はもう嫌だと思ってきて、それを変えようと行動に移した時、大きな解放感があった」

「他人にどう見られるかではなく、自分がどう感じるかに正直に向き合えた時、初めて怒りが自分のエネルギーとして湧いてくる。人間が怒るのは、自分が自分として生きるため。罵倒されても何も感じなくなったら、それは自分が自分でなくなっているということなんです」



 

怒りを抑圧すると矛先は弱者に向かう




DSC 0221

では、自分の怒りと正面から向き合えなかったら、どうなるのか? 辛さんは、その人の怒りが怒りの根源に向かわなかったり、正しく表現できない時、「その怒りのエネルギーは怒りの原因とは関係のない、身近にいる弱い立場の者に向けられる」と指摘する。例えば、身近な例では夫から妻へ、上司から部下へ、親から子どもへ。それは、「八つ当たり」や「ヒステリックな怒り」にとどまらず、「イジメ」などの深刻な問題に発展することも多い。最近では、そうした抑圧された怒りの矛先が弱者に向かった事件が、ひんぱんにメディアを騒がせている。DV(ドメスティック・バイオレンス)や子供の虐待、少年・少女への性犯罪の多発、少年によるホームレス襲撃など。そうした事件の加害者たちは、決まって相手が抵抗できない、反撃してこないと確信して暴力をふるう。

「例えば、DVでは、たいていの加害者は会社の上司や警察官など強い者にはペコペコするのに、歯向かえないとわかっている妻には時と場所を選んで暴力をふるう。怒りに我を忘れているわけでも、コミュニケーション下手なわけでもない。暴力が、(言うことを聞かせるという意味で)一番効果的なコミュニケーション手段だとわかった上で、怒りを使い分けているんです」

そして、悲惨なのは、被害者の多くが、自分より強い者に立ち向かって問題を克服した体験を持たないことだ、と言う。

「いくら理不尽なことでも、『今までのように我慢していればなんとかなる』とあきらめて、無力感と恐怖感に支配されてしまう。それが、加害者の狙いでもあるんです。怒りを表現するためには、まず自分自身を肯定すること。そうすれば、怒りは目の前の壁や障害をこえるための夢や希望になる。でも、自分が弱いと感じていると、怒りは表に出てこないで、絶望となって心の中に沈殿していく。怒りは、使い方次第で、パワーにもなれば、自分を破壊するウイルスにもなるんです」




怒りの基本技術



辛さんは、怒りを効果的に伝えて相手に理解させるには、1.感情の整理(私はこのように感じた)2.提案(だから、こうしてほしい)の二つをセットで伝えることが必要と言う。それが無理なら、「いやだ」の一言でもいい。同じ言葉を繰り返すのでもいい。大事なのは、今のこの状態が嫌なんだという意思をきちんと伝えること。雄弁である必要はない。声を荒げなくても、相手の正面に座って、相手をきちんと見るだけでも伝わる、と言う。

確固たる思いを伝えるためには、背筋を伸ばして向き合ったり、シャツのボタンをきちんと留めたりする。それだけでも、何かきちんと伝えたいんだなという意思は伝わるものだ。そして、どうしてほしいのかを明確に言葉にする。例えば、こんな具合である。「朝、挨拶をしても、あなたは黙って背中を向けています。そんなふうに無視されると、おまえは取るに足らないやつだと言われたように感じます(感情の整理、自分がどう感じたのか)。ですから、明日からは、声だけでもおはようと言ってください(提案)」と。「こういうことをもう言わないでください」「××のようにしてください」などと明確な言葉にすることを薦める。

「相手は自分が思うほど考えてやっているわけではないし、自分が思うほど大きな存在でも、恐怖に値する存在でもないということを理解してほしい。むしろ、意思をきちんと伝えれば、それができるあなたに対して、相手のほうがビビるものなのです。勝手に相手を大きな存在とみなして、そのはけ口に、言いやすい相手に怒りをぶつけることは一番大切な人を傷つけてしまう結果になります。それはやめたいですよね」

さらに、最後にはお礼を入れる。「あなたに気持ちが伝えられてよかったです」「話ができる時間が持てて嬉しかったです」と。「怒りを伝えることは、相手との関係を切ることではなく、今までの嫌な関係を変えて関係を再構築することなのです。これができれば、人生、驚くほど変わりますよ」

(稗田和博)





辛淑玉(しん・すご)
1959年、東京都生まれ。(株)博報堂の特別宣伝班を経て、85年に人材育成会社、(株)香科舎を設立。香科舎代表、人材育成コンサルタント。03年、第15回多田謡子反権力人権賞受賞。『怒りの方法』(岩波新書)など著書多数。