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温暖化で奥山は大混乱。多くの動植物がやがて水没する

植物の異常は、共生関係にある昆虫にも影響を与えている。

もともと植物の開花や芽吹きは、昆虫の孵化期と時期が合うことで共生関係が成立しているが、このタイミングがズレることで、新芽や花をエサとする多くの昆虫が絶滅する恐れがある、と主原さんは言う。

「たとえば、桜の開花前線は、九州から開花が始まるはずなのに東京から始まることが多い。これは冬の低温を経験しないと休眠解除できない植物の春化作用が影響していて、関東以南の暖かい地域の開花が遅れ始めているんです。すべての生物が気温の変化だけで生物季節を決めているなら、温暖化はそう怖くはありません。でも、多くの昆虫や鳥は光周性、つまり昼と夜の日の長さによって周期を決めているから、発生の時期がズレてしまうんです」

芦生の森では、春から初夏にかけて順番に咲いていたはずの植物が、いきなり一斉に咲き始めるという異変が起きている。その結果、初夏に花がなくなり、チョウやガなど多くの昆虫が激減した。昆虫が消えれば、鳥類も消えていく。この連鎖は、すでに芦生の森で観察されているという。

また、積雪量の減少でシカの生存率が高まって増殖し、食害によって林床植生の植物が絶滅の危機に瀕しているほか、笹類は春に凍死するという異変も起きている。

奥山は、まさに大混乱の様相だが、主原さんは「変わったのは、冬の温度と秋(落葉)の1ヵ月の遅れで、これが生物に影響を与え、彼らを変えてしまう」と言う。

英科学誌『ネイチャー』は、温暖化で2050年には陸上の動植物の15~37%が絶滅する恐れがあると報告しているが、日本も例外ではない。

「気温1度の上昇は、気候帯を水平的に北へ200キロメートル移動させ、垂直的には166メートル上昇させます。そうすると、21世紀は30年間で1度の上昇が見込まれていますから、ブナの木やクマなどが生息する冷温帯気候はどんどん高いところに追いやられ、標高1000メートルに満たない丹波山地では、おそらく2060年にはすべての地域で冷温帯気候が失われます。水にたとえれば、水没ということです」


もはや人間の介入なくして、原生林は守れない

植物や昆虫、動物たちが次々に消えゆく森。だが、日本では温暖化問題でホッキョクグマが話題になっても、自国のクマの絶滅が語られることはほとんどない。原生状態の森を残す芦生も、やがて里山になる可能性がある、と主原さんは指摘する。

「気候や風土に恵まれた日本は他の国と違って、放っておけば、やがて木が生えてくる国です。でも、そのために生態系への理解が薄く、自然も、国の借金も、放置しておけばやがて戻るという発想がどこかにある。でも、自然林は野生動物が生み出した森で、生物間のバランスを失えば、もう昔のように放置して戻る状態ではないんです」

主原さんは、樹木が枯れて倒れると、地権者に相談する前に木を植える「ゲリラ植樹」という作業を行っている。森にとって何より大事なのは、次の世代の樹木だからだ。

「原生林は人の社会と共通しています。得てして、古木や巨木だけに目がいきがちですが、本来、原生林というのは、暗い環境で育つ木の中に明るい環境の木が混ざり、樹齢も赤ちゃんから老人までバランスがとれて、何百年経っても構成種が変わらない森のことなんです。それが、豊かな生物を生み出してくれる。奥山の動植物を守るためには、もはや地道な植林と今いる生物を守るという両方の人間の介入なくしては成り立たないんです」

(稗田和博)

Photo:中西真誠


主原憲司(すはら・けんじ)

1948年、京都市生まれ。88年、植物の交配育種のため京北町(元右京区)に移る。「芦生の自然を守り生かす会」の副会長を歴任し、現在は「北山の自然と文化を守る会」幹事、「日本熊森協会」の相談役。研究分野は、ブナ科植物の種子に発生する昆虫類、稀少植物の生態と増殖、ホンシャクナゲの生態、セツブンソウの群落推移、カシノナガキクイムシによるナラ枯れ防衛など多岐にわたる。