ギリシャ人報道写真家ヤニス・ベラキスにとって、シャッターを切るというのは瞬間を切り取る以上の意味を持つ。この度、数々の受賞歴を持つこの写真家ベラキスが率いるロイター(Reuters)チームが、ギリシャ難民危機の取材でピュリツァー賞に輝いた(2016年4月18日発表「ニュース速報写真部門」)。「世界を変えられる写真を撮りたい」写真家としての強い思いをギリシャのストリートペーパー『シェディア』に語ってくれた。

※当記事は2016年9月8日掲載の記事を翻訳しました。

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ロイターのベテランフォトジャーナリスト、ヤニス・ベラキス氏
Credit: Yannis Behrakis



ベラキスは1960年アテネ生まれ。アテネのアート専門大学「AKTO」で写真を学び、ロンドンのミドルセックス大学で文学士号を取得。1987年の終わり頃からロイター通信社に入り、現在もこの世界最大の通信社でチーフ写真家を務めている。

これまでに、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジアにて数々の主要ニュースを取材してきた。クロアチア、ボスニア、コソボ、チェチェンでの戦争や内戦、1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争などもだ。

ソマリア、シエラレオネ、アフガニスタン、クルド人自治区での闘争、東欧革命、イスラエル・パレスチナ問題、イランでのルーホッラー・ホメイニー師の葬儀も撮影した。西欧での主だった政治的出来事で彼が撮っていないものはなく、トルコやイランで壊滅的な被害をもたらした地震や2011年の「アラブの春」ももちろんカバーしている。

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バスの中のアフガン人移民。ギリシャに押し寄せた難民からイラク戦争まで、近年の痛ましい出来事をヤニス・ベラキス氏は映し出してきた。「現実から目を背けることはできない。世界中では良いことも悪いこともたくさん起こっているが、みんなが幸運をつかめるというわけではない」と彼は言う。
Credit: Yannis Behrakis


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難民キャンプの鉄柵にぶら下がる子供の手が印象的。
Credit: Yannis Behrakis


ベラキスの写真はニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、タイムズ・オブ・ロンドン、ガーディアン、ニューズウィーク、タイム等、世界を代表するメディアに掲載され、世界各地及びヨーロッパで数多くの賞を受賞している。

非力な人々や苦しみの中にいる人々に「声」を与える彼の写真は、世界中の人々をハッとさせ、思わず耳を傾け、無関心ではいられなくなるのだ。「魂の目で撮る写真家」なのだ。

Q. 写真の道に進んだきっかけは?

自分の人生で何がしたいかをずっと探っていました。学生時代は歴史と作文は強かったのですが、他の分野は平均より少し上くらいでした。兵役を終えてからはいろんな仕事を見て回り、工場や営業などなんでもやりました。一応、自力で生活できていたので父親に金銭的負担をかけることはありませんでした。

そんなある日、タイムライフ社の写真集を偶然手に取り、心惹かれたのです。仕事をしながら、当時アテネで唯一だった私立の写真専門学校に通いました。学び始めてみると相性は抜群。みるみる写真の世界にのめりこみました。

白い紙を薬品に浸けると画像が浮かび上がる、そうすることで時間を止められる、その技法と技術、芸術、なにもかもが魔法に思え、引き込まれました。写真はひとつの表現方法。わたしには絵心がなかったので、自分の創造性を発揮する格好の手段に思えたのです。

Q. 卒業後はどうされたのですか?

いとこが撮影スタジオを持っており雑用係兼アシスタントを探していたので、そこで働き始めました。クライアントがレコード会社だったのでパーティーやコンサート会場が現場でした。音楽も大好きなので楽しかったですよ。でも次第に飽きてしまって。とても華やかな世界でしたが、全くそういうことに興味がなくて。私はもっと堅実で飾らない人間ですから。服もジーンズやスニーカーなどカジュアルなものしか着ませんし(笑)。

いっぱしの人間を気取り、特に好きでも尊敬しているわけでもない人たちと過ごす見せかけの世界が退屈になって。もちろん好感の持てる人もいましたが、これは自分の人生でやりたいことではないと感じたので、違う仕事を探し始めました。

そんな時に映画『アンダー・ファイア』(1983年、アメリカ)を見ました。ニカラグアの独裁者ソモサの警備隊に処刑されるジャーナリストを隠し撮りした実在の写真家の話です。彼は命懸けでアメリカに渡り、その時撮った写真が公開される。そのことでアメリカは外交政策を見直し、独裁者ソモサは失墜、世界は少しだけ良い状況になりました。

映画館を出た時、「これが俺のやりたいことだ!」と思わず叫びました。写真で世界を少しでも良い方向に変える、なんとも素晴らしい目標に思えました。

Q. 血筋は関係してると思いますか?

私の父はいわゆる正義の味方タイプで、助けを必要とする人々にいつも手を差し伸べていました。陸軍将校で、左派ではありませんでしたが民主的で頭の柔らかい人でした。ギリシャの軍事独裁政権時代[1967-74年]は投獄されていました。

わたしは若くして左派活動に関わり、マルクス・レーニン主義のギリシャ共産党学生部に所属していたのですが、自分たちを啓蒙している人が秘密警察とつながっていると知り、夢から覚めたのです。良い教訓でした。

どこかに「所属」したのはそれが最後です。この先も所属はしたくありません。私は革新的で柔軟、民主的な人間であることはよく知られていますが、政府とは何の関わりも持っていません。でないと、ジャーナリストとして政府や政党を批判することなどできませんから。

Q. 「いい」写真とはどういうものでしょうか?

見た人の感情に訴えかける写真です。その感情は強ければ強いほどいいですね、少なくとも報道写真においては。シンプルですが、とても重要なことです。

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ギリシャからマケドニアとの国境に向けて歩きながら娘にキスをするシリア人難民。
「隣人がそんなに才能がなかったり、幸運でもなかったり、裕福でなかったりしても、その隣人とともに生きなければならない。尊敬し、そしてできるなら助けの手を差し伸べるべきだ」
Credit: Yannis Behrakis


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2006年のイスラエルによるレバノン・ベイルート爆撃の後、破壊された家から身の回りの物だけを抱えて逃げる女性。「これらの場所で何が起こっているのかを誰も伝えることができないときに、その現状を世界が見ることができる“目”となりたい」
Credit: Yannis Behrakis


Q. 有能な写真家に必要な能力とは?

自分の周りのこと全方位に目を向けられることです。耳や鼻で周りの状況をとらえ、第六感が働くこと。そして、次に何が起きるか先を読めること。目の前で事が起きてからでは遅すぎます。

私も撮影中はかなり集中できなければなりません。それがなかなか理解されず、「自分の世界に没頭してるヤツだ」「ひと言もしゃべらない」など陰口を叩かれるのです。確かに自分の世界に没頭しているのですが、考えているのは仕事のこと。全身全霊をかけたいので、周りのことまで気にしていられないのです。

雑談しているとシャッターチャンスを逃すのです。結局、報道写真家の仕事というのは、光・表情・瞬間などいい写真に必要な諸条件が揃うコンマ何秒を捉えられるかどうかなのです。ふらふらしているのでなく常にカメラを構え、いつその瞬間が訪れてもいいように準備万端にしておくのです。

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1999年、コソボ紛争から逃れるアルバニア人。
Credit: Yannis Behrakis


Q. 瞬間を捉えるには心の奥深さといったものも必要ですよね?

私はよく「魂の目で撮る」という言い方をします。ご質問の意図はそういうことですよね? 学びも役立ちます。写真家として腕を上げるには、写真をたくさん見て、目や潜在意識にアイデアや形を注ぎ込むことが必要です。当然、内面もとても大切ですけどね。

Q. 痛々しい現実を写す写真ばかり撮られていますが、人生の明るい側面を撮りたいとは思わないのですか?

以前はコンサートを撮っていましたし、4度のオリンピックやスポーツ競技もいろいろ撮りました。でも、2004年のアテネオリンピック後からはもう撮っていません。何か違うものを撮りたいという衝動が湧かなくなったのです。

わたしはこうした現場に赴き、何としてでもこの仕事をやっていくと心に決めたのです。犠牲を伴いますから。シエラレオネで親友を亡くしてから16年が経ちます。身体にも心にも苦難の傷を負っているのです。

この道を選んだのは、「あなたの目になりたい。彼らの声を代弁したい。」というメッセージを伝えたいからです。現場に足を運び、世界の目となり、実際に起きていることを見せたい。そうすれば誰も「知らなかった」とは言えませんから。私が撮る写真は見ていて心地良いものではありませんが、人は顔を背けず事実を知るべきです。この世界で起きている現実に目をつむることはできません。

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こういった現場の生々しい瞬間をとらえた速報写真を評価され、2015年にヤニス・バラキス氏はピュリッツアー賞を受賞した。
Credit: Yannis Behrakis


現実は現実です。山あり谷ありのこの世界では、運がいい人ばかりではありません。美、才能、幸運、富に恵まれない人たちと共に生きていかねばなりません。彼らの足をすくうのはではなく、心を配り可能ならば手を差し伸べる。世界の人々に理解してほしいのはそういうことです。

Q. 果たしてこれは努力に見合う仕事なのだろうかと疑問を持ったことはありますか?

当初は、世界を変えてやる、より良い世界にしてみせると意欲に燃え、自分にも仕事にも世界にも大きな期待を抱いていました。いつしかだいぶ現実的にはなりましたが、質問に対する答えは否です。たくさんの変化をこの目で見てきたので、失望を感じたことはありません。

ひとりの命を救うこと、小さなコミュニティにメッセージを送ること、大臣を辞職に追い込むことは小さなことではありません。世界は変えられるのです。たった1日で世界を丸ごと変えることはできませんが、ほんの少しずつの変化でも世界は良い方向に向かうと信じています。何事もほどほどが良いですね。日々の変化は小さくて、時にはほんの少し大きな変化が起きる日もあるかもしれません。その繰り返しにより世界はより良くなるとロマンチストな私は思っていますし、これまでに何度も経験してきました。

Q. 父親になったことは仕事に影響しましたか?

なかなか家にいられないからと家族を持たない仲間もいますが、私はどちらも手に入れたかった。そもそも子供が大好きですし、家庭は持ちたかったので。もちろん、一般的な父親のようにできないことも多く、3度も結婚することになりましたけど。この仕事をしながら家族を持つのは簡単ではありませんが、努力はしています。私もいろいろと学び、昔よりはずっとうまくできていると思いますよ。

Q. 今後については? 何か具体的なプロジェクトが決まっているのですか?

特に決まったプロジェクトはありません。年を重ねて疲れも感じますし、背中も痛めているので休憩中です。

米インディアナ大学で客員教授として教え始めたのですが、とてもやりがいを感じています。広い意味で「教える」ことに興味があります。私なりの考え、経験、倫理観、技術、そして私なりのロマンチックな発想をこの仕事を目指す若者たちに伝えられることに。この仕事に関して言えば、「仕事」というのは二の次で、最も大切なのは自分の使命感を追求することです。

ゆくゆくは私も何か他のことを見つけないといけませんね。年を重ねながらも、クリエティブかつ意義あることをやっていきたいので。教えることはとても重要な職業ですね。と言いつつ、国境なき医師団の地中海での(難民)救助活動への参加も検討中なのですが…

シェディアのご厚意により by INSPニュースサービス
文:ジョン・ドーソン
翻訳(ギリシャ語→英語): ダナエ・シーマン
翻訳監修:西川 由紀子







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