ホームレス問題に携わる中で「貧困問題」を発見し、それと格闘するうちに民主主義の問題に突き当たったという市民運動家の湯浅誠さん。いま必要なのは、民主主義の厄介さを引き受け直すことだという。


 
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この記事は2013年6月1日発行の「ビッグイシュー日本版」の特集からの抜粋です。

民主主義とは「面倒くさくて、疲れるもの」

多くの人にとって、「民主主義」とは当たり前にあるもので、あえて意識することのない空気のようなものだ。市民活動家として貧困問題に取り組んできた湯浅さんにとっても、それは同じだった。以前は「民主主義とはイイもので、あとは機能の課題」ぐらいの認識しかなかったという。だが、09年から通算2年間の内閣府参与としての経験が、湯浅さんに民主主義の問題について考えさせることを強いた。
参与の経験が大きかったのは、自分とは異なる反対意見に直面したことでした。もちろん、それまでも反対意見に出くわすことはありましたが、民間の活動は基本的に寄付者も含め賛同者だけで運営されるので、つまるところ自分たちの活動とは直接関係なかった。

ところが、公的な政策づくりの場合は、反対意見の人の税金も使うわけだから、いかに意見を調整して合意を取りながら1歩でも半歩でも前に進めるかということが課題になる。それに、たとえば地方自治体に行って、『ホームレス支援なら、俺は絶対にやらないぞ!』という首長さんがいた時に、なんて偏見が強いんだと思いつつも、この人は選挙に選ばれたからここにいるんであって、むしろ少数派は自分たちの方なんだということも実感させられました。
反対意見を無視できる民間NPOの世界だけの時は、自分たちの狭さに対する自覚が十分でなく、「やらない行政が悪い」で済ますこともあった。だが、1億2000万人の相異なる民意がある中で、それは「俺の言うことをきかないお前はけしからん」と言っているのに等しい。湯浅さんは、参与の経験を経て、「反対意見や関心のない人に働きかけ、意見を調整していくことをしなければ、貧困対策もここから先には進めない」との思いを強くしたという。
イメージとしては、日本の全人口を自分の意見に近い順に並べたときに、人口の半分の6000万人目ぐらいにいる人を想定しながら発言・対話するようになったのですが、異なる意見に耳を傾け、調整しながら合意形成を目指すことは、考えれば考えるほど面倒くさい。だけど、その調整責任を負っているのは、他の誰でもない、主権者である自分たち自身なんです。民主主義は素朴に素晴らしいものと思っていると、民主主義の強いる面倒くささに耐えられず、つらくて、投げ出したくなる。だから、そもそも民主主義というのは、おそろしく面倒くさくて、うんざりして、そのうえ疲れるものだということを直視するところから始める必要があると思うんです。

時間と場所、民主主義は物質的な問題

多くの人が仕事や生活に追われている今の日本で、異なる意見と議論して調整するのは、とても難しいことだ。その面倒くささを多くの人が引き受けきれなくなった中で台頭し始めたのが、「強いリーダーシップ」待望論と「決断できる政治」への期待感ではないか、と湯浅さんはいう。
自分はこんなにがんばっているのに、楽にならない、報われていないと感じる人が増えたところに、〝既得権益〟という言葉でズルして楽をしている人がいると言われると、許せないという義憤が高まり、そこに切り込む強いヒーローを待ち望むようになる。それが、派閥政治の打倒を掲げた小泉政権、官僚政治の打破を期待された民主党、大阪の公務員と中央政府を敵に回した橋下さんであり、クルクルと総理大臣の首を据え変え続けた昨今の日本だったと思うんです。でも、一人ひとりの必死の生活から出てくるニーズが、他の人から見たら〝既得権益〟だとレッテル貼りされる可能性もある。ヒーローを待ち望んでいた自分がバッサリとやられるかもしれない。ヒーローが自分を守ってくれるとは限らない。
そして、ヒーローを待ち望み、裏切られ、幻滅するサイクルの果てに、政治不信は民主主義システムそのものへの不信に発展した。その一つの結果が、2012年の衆院選の戦後最低投票率だ。だが、湯浅さんはあえて議会制民主主義擁護の立場をとる。「政党もダメ、議会もダメ、マスコミもダメだから、〝ガラガラポン〟しちゃえという欲求には、人類が蓄積してきたものに対する冒瀆に似た危険性を感じるし、何より壊したあとに少しでもマシなものが出てきたためしがない」と話す。

面倒くさい意見調整は誰かに任せて、「さっさと決めてくれ。ただし自分の思い通りに」とヒーローを求める。その心理の背景には、格差・貧困問題の広がりがあると湯浅さんは指摘する。
たとえば、毎日、朝から晩まで働いてヘトヘトになっている人には、一つひとつの政策課題を吟味する気持ちと時間の余裕がないですよね。貧困というのは、お金がないだけの貧乏と違って、人間関係や時間、ヤル気・自信なども奪われることですが、そういう人が増えれば、手間のかかる民主主義が空洞化し、ヒーローを求める人も増える。だから、民主主義というのは、高尚な理念の問題というよりは、むしろそのためにどれぐらいの時間と空間を確保できるかという極めて物質的な問題だと思うんです。

民主主義で鍛えられた能力、経済も活性化

湯浅さんは2012年、問題提起の意味を込めて、ヒーロー待望論が顕在化する大阪で団体を立ち上げ、市民が気軽に社会参加できる場をつくるプロジェクトを行った。従来の講演会やシンポジウム、デモ行進だけでなく、昼夜忙しく働いている人でも参加できる時間帯のユーストリーム放送(無料ネット放送)の公開対談、参加討論型トークイベントなどさまざまな工夫を凝らした企画を行い、さらに会場には手話通訳や保育スペースも用意した。
つまり、社会参加のバリア(障害)を下げることで、対話の前提条件となる時間と空間を作り出してもらい、それがひいては民主主義の活性化につながるということなんです。たとえば、プロジェクトではシングルマザーの支援団体が児童虐待の問題を考える企画の支援もしたのですが、それまでは本当に声を届けたい母親たちは来てくれず、結局、参加するのは支援者ばかりだったと言うんですね。そこを、ギャルママのサークルとつながったことで、当日は100人を超えるお母さんたちがお子さんを連れて参加してくれた。
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もちろん、バリアを下げるには手間とコストもかかりますから、『そこまで自分たちがやらなければいけないのか』と言いたくなって当然なのですが、でもそれこそが私たちのやるべきことだと思うんです。そうでなければ、参加の条件が揃っている人たちだけでやっていると、『余裕のある連中は、いい気なもんだ』という見方をされてしまうわけで、参加のハードルがあるために声を上げられず、置き去りにされている人にこそ、いま真剣に向き合わなければいけないんです。
湯浅さんは、民主主義が活性化することが、ひいては社会の発展にもつながるという。
2012年の59%という投票率には、私もショックを受けたのですが、考えてみれば、投票した人が一人ずつ行かない人を連れて来たら、投票率は100%を超えるんですね。だけど、『どうせ世の中は変わらないよ』と思っているその一人に関心をもってもらうには、興味深い多くの情報や魅力的な話し方、ユーモア、聞く力など、こちらの全人的な能力が問われる。

つまり、きちんとした対話ができて、民主主義が活性化している社会は、一人ひとりの能力が高い社会なわけで、それは経済発展とも無縁のはずがないと思うんです。今の成熟経済の中で、新しいイノベーションやアイディアを発想していく上でも、参加と対話で鍛えられた一人ひとりの能力が必要だと思いますね。
 (稗田和博)
ゆあさ・まこと
1969年、東京都生まれ。社会運動家/活動家。反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事。95年から野宿者の支援活動を始め、貧困問題に関する活動と発言を続ける。2009〜12年、内閣府参与。著書『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版社)、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)で大佛次郎論壇賞。『岩盤を穿つ』(文藝春秋)、『どんとこい、貧困!』(理論社)など。


※編集部より
この記事・プロフィールの内容は2013年6月1日発行の「ビッグイシュー日本版」の特集からの抜粋です。

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THE BIGISSUE JAPAN 216号 特集「再考!民主主義」ゲスト編集長 湯浅誠
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