日本原子力発電(以下、日本原電)が、敦賀原発2号機(福井県)の敷地内の地質ボーリングの生データを書き換えて、原子力規制委員会に再稼働の審査資料を提出していたことがわかった。同委員会は「信頼と倫理にかかる問題で、あってはならないこと」と厳しく批判し、生データの提出を求めた。







地質ボーリングの生データに
17ヵ所の改ざんが発覚

これに対して日本原電の和智信隆取締役副社長は、「資料作成者の間で明確なルールがなく、悪意があったわけではない」との言い訳に終始した。2020年2月14日の委員会の席上のことだ。

2号機は原子炉からおよそ250mのところに浦底断層が走っているが、建設時点(1960年代)では活断層ではないとされていた。しかし、08年に原子力安全・保安院(当時)は断層の評価方法を更新し、これを活断層と認定。さらに14年には、原子力規制委員会は、2度の現地調査を経て2号機の原子炉建屋の直下を走るD-1断層を活断層と認定した。これは浦底断層と連動して活動する可能性がある。
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しかし日本原電はこれを受け入れず、D-1断層の活動性を否定しようとして、適合性審査を継続させている。

さて、ボーリングの生データの書き換えは、D-1断層の一連のものと考えられるK断層に関するものに集中していた。断層の割れの部分(破砕帯)のボーリング観察結果の一部について、以前は「未固結」(土)だと記載していたのに、薄片観察(※)の結果だとして「固結」(岩石)に書き換えていた。同様の “書き換え”は17ヵ所におよぶ。K断層の活動性を否定することでD-1断層の活動性も否定しようとしているのではないか。今回のK断層に関する“書き換え”はむしろ、改ざんと言うべきものだ。

※ 約0.03mmまで薄く平らにした岩石をプレパラートに貼り付け、偏光顕微鏡で観察すること

18年に “書き替え” 1139ヵ所
審査根拠奪うと規制委

 実はボーリングデータの“書き換え”は過去にもあった。18年11月30日に提出した審査資料にも“書き換え”があったことを、19年8月23日に日本原電は規制委会合の席上で報告。そのおよそ2ヵ月後にはさらに “書き換え”が 増え、合計1139ヵ所におよんだ。

 規制委は会合で、18年6月に東海第二原発(茨城県)で同様の“書き換え”があり、修正のうえ再発防止策を講じたが、それが敦賀に反映されていない組織体質を強く問題にした。19年10月に日本原電は、転記ミスや元資料の誤記がほとんどだとして、再度、再発防止策を講じたと弁明。

 にもかかわらず、本年2月の改ざんが発覚した。生データを勝手に改ざんしたのでは、どの資料を根拠に審査をすればよいのかと、規制委は厳しく迫った。 

 断層の活動性を改ざんによって否定するような会社に、原発を運転する資格はない。強行すれば、放射能をまき散らす大事故を回避できないだろう。敦賀2号機の廃炉を日本原電は受け入れるべきだ。

 日本原電は、福井県敦賀市と茨城県東海村で、それぞれ原発を運転する原発専門の卸電力会社だ。日本最初の原発輸入に向けて、1957年に電力9社を中心に設立されたもの。初号機は英国から輸入された東海原発。2号機は敦賀1号機で米国から輸入した沸騰水型炉。これら2基は現在、廃炉の途上にある。その後、出力規模を110万kWクラスに上げた東海第二(沸騰水型炉)と敦賀2号(加圧水型炉)を導入。しかし現在はどちらも運転停止中。会社としての役割はすでに終えている。

 2012年に設立された原子力市民委員会は、廃炉を専門にする会社に衣替えするべきだと主張している。
(伴 英幸)

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(2020年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 380号より)
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伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)
http://cnic.jp/







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