「郵便投票」の弊害ー「秘密性」が確保できない投票のあり方について

 2020年、米国の民主主義を本当の意味で救うのは「郵便投票」かーー。パンデミックをこれ以上拡大させることなく、何千万人もの人々が大統領選に投票できるのだから。


米国ではすでに「郵便投票」は広く普及しており、多くの国民に好評で、不正選挙にも強く、どちらかの政党に有利に働くこともない、とされている*1。とはいえ、郵便投票ならではのリスクもある。それは「投票の秘密性」が完全ではないという点だ。

*1 投票所での新型コロナ感染防止のため郵便投票を広げる動きが加速しており、2020年大統領選では全有権者の4分の3が郵便投票が可能となり、米国史で最も高い割合になるだろうと『The New York Times』は分析している。参照:Where Americans Can Vote by Mail in the 2020 Elections


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郵送投票では、全員が秘密性が守られる環境で投票するわけではない。 Robyn Beck/AFP via Getty Images

投票所での無記名投票が提供してきた「秘密性」

米国における“自宅からの投票”は90年代から増加傾向となり、大きな議論が巻き起こることもほぼなかった。2016年の大統領選では、すべての投票の約4分の1が郵便投票によるものだったし、5つの州(コロラド、ハワイ、オレゴン、ユタ、ワシントン)では全有権者が郵便投票を基本とするシステムを採用していた。

他人と同じ室内にいることで感染リスクが高まるコロナ禍の2020年、大統領選(11月3日)が近づくにつれ「郵便投票」の注目度がいっそう高まっている。ただ郵便投票では、投票所での投票で約束されている大きなメリット「投票の秘密性が守られる安全・安心な環境の提供」を放棄することにもなる。

投票所での「無記名投票(secret ballot)」というのは、人々が思う以上にシンプルかつ効果的な選挙方法だ。この方法が誕生したことで真の民主主義が到来したとも言えるだろう。もはや当たり前のことと思われがちだが、世界各地でこの方法が選挙の正当性を決定づけている。

「票の取引」が主流だった時代を経て

現代のような投票方式が確立される以前は、「票の取引」が盛んに行われていた。事業主、地主、政治工作員、さらには聖職者までもが影響力を振りかざし、投票者らは口頭や挙手で投票させられた時代もあったのだ。

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1757年の選挙。政党の代理人が投票者に金銭を渡している。 The Print Collector/Print Collector/Getty Images 

投票用紙に記入する場合でも、党の関係者らがあらかじめマーク、または色分けされた「政党チケット」を有権者に手渡し、それを投票箱に入れるところを監視するなどしていた。贈賄や脅迫によって特定の候補者を選ぶよう強制され、各候補者に対する個人的見解などは重要視されなかった。

1850年代半ば、オーストラリア当局がそうした外的圧力から投票者を守る方法を考え出した。マサチューセッツ州とニューヨーク州がその選挙方法を米国に導入したのは1888年のことだ。

この方法の最大の特徴は、選挙の全工程において「投票用紙を公式管理」すること。投票はすべて、公的な投票所の安全な個別ブースでおこなわれる。投票者は、候補者名がリスト化された統一の投票用紙を使わなければならず、その用紙は投票所の係員からしか入手できない。投票用紙には投票者を特定できる情報は一切なく、秘密性が守られたまま係員の手に渡り、集計される。

この投票方式では、すべての投票者が監視されることなく投票でき、投票内容を他人に知られることがない。投票者本人さえも、誰に投票したかを他人に証明することができない。指示通りに投票したかを確かめようがないこの方式によって、脅迫や賄賂が意味をなさなくなった。

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無記名投票システムの導入以来、賄賂や強要は激減。 Robert Nickelsberg/Getty Images 

おかげで投票を無理強いする事例は激減。選挙不正を示す指標(票を買収する者たちの提示額、選挙結果への異議申し立て頻度、現職者の再選率など)が減ったことを研究者たちが明らかにしている。

選挙監視員がいない自宅での投票、秘密性は守られるのか?

もちろん郵便投票でも公式の投票用紙を使うし、検証や集計も匿名でおこなわれる。誰か特定の人に利するような投票など、一般的に「不正投票」とされる行為もなくしていける。だが、投票者が誰に投票するかを決める際に影響する「外的な力」についてはどうだろうか。

投票者は選挙監視員のいないところ(大抵は自宅)で投票用紙に記入する。そうした場所でも投票の秘密性を守ることは可能だが、決して保証されるものではなく、実際にそれが不可能な人たちもいるだろう。

郵便投票における賄賂や強要についての調査はあまり多くはない。しかし、オレゴン州が1998年に全有権者対象の郵便投票を導入したことを受けて実施された2つの調査によると、投票者の3分の1もの人たちが「他の人がそばにいる状態で投票用紙に記入」、「他の人の存在をプレッシャーに感じた」と回答したのはわずか1%以下だった。とはいえ、僅差の選挙ならばそれで結果が変わる可能性もある。

米国では“投票の強要”がいまだ存在しているようだ。2012〜13年にかけて、アパラチア地域ならびにテキサス州リオ・グランデ・バレー地域では社会的弱者とされる市民たちが自分たちの票をかなり安い金額で売っていたことが発覚。2018年のノースカロライナ州下院選挙では、関係者が有権者たちの同意なく投票用紙に勝手に記入していたことで、選挙結果が無効となった。

これらの選挙不正が明るみに出たのは、不在者投票の回収方法が通常と違っていた、または不在者投票と投票所での投票結果に大きな食い違いがあったため。もし今後、すべて又は大方の投票が郵便投票になれば、比較対象となる投票所での投票数が減り、不正の兆候となる「異常な投票パターン」を見つけ出しにくくなるだろう。

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日本では2019年参院選で票の買収不祥事が発覚。 Rodrigo Reyes Marin/Pool Photo via AP

過去の悪しき慣習に戻る

2018年には、ロサンゼルスの家主たちが住民たちに対し、住民投票にかけられた家賃規制に関する法案に反対しないと家賃を上げると脅す事例が続いた。過去2回の大統領選(2016年、2012年)でも、実に4人に1人の従業員が雇用主から「政治的な情報」を受け取っていた。当たり障りのないもの(選挙人名簿への登録*2、投票のための休暇取得ルールなど)もあったが、中には住民投票や候補者について上司が誰を支持するのかといった情報や、さらには、特定の候補者が当選すれば解雇や工場閉鎖もありうるとの書面が給料小切手に入っていたケースもあった。無記名投票システムでなかったら、こうした予告や脅迫が実際の脅威や賄賂として力を持ってしまいかねない。

*2 日本の選挙制度と違い、米国では有権者が自動的に選挙人名簿に登録されることはなく、自ら登録手続きを行う必要がある。

郵便投票だと、より確認しにくい別のかたちの脅迫もある。例えば家族揃って食卓で投票用紙に記入しようとした際に、暴力的な配偶者、または力を振りかざす親がさりげなく(あるいは分かりやすく)干渉してくるような場合だ。実際に、こうしたことは投票の秘密性が確保されていない世界各地で起きており、新興の民主主義社会では有権者の15%もの人々がたびたび賄賂を持ちかけられ、48%が選挙中に暴力の標的にされることを恐れていることが調査から示されている*3。

*3 Buying, Expropriating, and Stealing Votes – Annual Review of Political Science(2016)

有権者にとって「投票の秘密性」が守られる意義

「投票の秘密性」が守られることが非常に重要である。だが実証研究からは、有権者の25%が自分たちの投票の秘密性が守られていると感じておらず、70%以上が投票した内容を他者とシェアしていることが示された*4。秘密性の“確実な保証”をあらためて周知することで、投票率が3.5%増えた事例もある*5。郵便投票の導入で利便性が向上し、投票率が平均2%増となったことよりも大きな上昇率だった*6。

*4 Is There a Secret Ballot? Ballot Secrecy Perceptions and Their Implications for Voting Behaviour(Cambridge University, 2012)

*5 Do Perceptions of Ballot Secrecy Influence Turnout? Results from a Field Experiment(National Bureau of Economic Research, 2011)

*6 The Neutral Partisan Effects of Vote-By-Mail: Evidence From County-Level Rollouts(Stanford Institute for Economic Policy Research, 2020)


米国では、44の州で投票における秘密性保証を州憲法で規定しており、その他の州にも同様の法令がある。コロナ禍の2020年度は、9つの州とワシントンD.C.で全有権者が郵便投票できるシステムを採用、34の州で“理由申請なし”の、7つの州で“理由申請要”の不在者投票(送られてくる投票用紙に記入し、郵送などで提出)を認めている。州によっては、有権者が「永久不在投票者(permanent absentees)」登録すれば、毎年自動的に投票用紙が郵送で届く。

投票所から自宅へと投票場所が変われば、他の人が投票内容を見ることができ、再び賄賂や強要の可能性が高まる恐れがある。そんなこととなれば、一世紀以上かけて進展させてきた民主主義を、事業主や地主、その他権力者たちが揺るがしかねない。有権者の立場が弱くなり、選挙の合法性を損なう可能性もある。

近刊書『Should Secret Voting Be Mandatory?(仮題:無記名投票は義務であるべきか)』(2020年12月刊行予定)では、健全な民主主義にとって投票の秘密性が守られることの重要性について調査した内容をまとめている。

著者
Susan Orr
Associate Professor of Political Science, The College at Brockport, State University of New York
James Johnson
Professor of Political Science, University of Rochester

サムネイル:Orna Wachman / Pixabay

※ こちらは『The Conversation』掲載記事(2020年8月24日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。

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