米国の次期副大統領カマラ・ハリスは、ジャマイカ出身の父とインド出身の母を持つ米国人女性だ。
第49代次期米国副大統領として初となるカマラ・ハリスのスピーチに聞き入る女性たち(2020年11月7日、フロリダ州マイアミ)Johnny Louis/Getty Images
しかし米国の歴史を振り返ると、黒人女性で副大統領を目指した人はハリスが初めてではない。カリフォルニア出身、ジャーナリストで政治活動家のアフリカ系米国人シャーロッタ・ベースは、1948年に進歩党から副大統領選に立候補している。ほぼ勝ち目がないながら米国の最高機関を目指した多くの黒人女性たち、ハリスはあくまでその一人なのだ。
カマラ・ハリスは米国副大統領に立候補した最初の黒人女性ではない
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かつては綿花を摘んでいた手
奴隷制、黒人差別法、公民権の剥奪…….アフリカ系米国人は多くの壁にぶつかりながら政治参加の権利を手に入れてきた歴史がある。
特に黒人女性はいくつもの壁を乗り越えてきた。米国で女性が参政権を獲得したのは1920年のことだが、米国南部のほとんどの地域では、その後も、黒人女性が投票できない時代が続いた。60年代になり、黒人女性は公民権運動を組織化していったが、リーダー的ポジションに就くことはなかった。
黒人有権者が過去100年で成し遂げたことについて、1984年、公民権活動家でキリスト教バプティスト派のジェシー・ジャクソン牧師はこう語った。「(黒人は)かつて綿花摘みをしていた手で、今や大統領を選ぶようになった」
黒人女性が初めて市長に選ばれたのは1973年、オクラホマ州ムスコギー郡タフト市のレリア・フォーリー市長だ。現在では、米国内の100の大都市のうち、7都市(ワシントンD.C. 、アトランタ、ニューオリンズ、バトンルージュ、シャーロット、サンフランシスコ、シカゴ)で黒人女性が市長を務めている*1。警察署長や州知事候補にも黒人女性はいるし、下院議員を務める者も増えている。そして今や、かつては大統領になることはおろか、大統領選で投票することもできなかった黒人女性の仲間が、ホワイトハウスの一歩手前まで歩みを進めたわけだ。
*1 参照:Women of Color in Elective Office 2019
黒人女性に「ふわさしくない」と一蹴
カマラ・ハリスはカリフォルニア州検事総長を務めたのち上院議員となった民主党員だが、これまでに大統領候補者となった黒人女性の多くは「無所属」だった。
1968年、オハイオ州のシャーリーン・ミッチェル(当時38)が共産主義者として大統領選に立候補したのが、黒人女性としては初めてのケースだ。30年代生まれの多くのアフリカ系米国人のように、ミッチェルは人種的平等や男女平等を重要視していた共産党に入党した。黒人女性の共産党員らは、すべての人種の男女のために、黒人差別法・リンチ・不当労働行為と闘った。
米国初の黒人女性大統領候補者だったシャーリーン・ミッチェル
Wikimedia Commons
ミッチェルは大統領選挙戦でも公民権と貧困問題に焦点を当てたが、おそらく当初から負ける運命にあった。というのも、68年当時は多くの州が共産党員の大統領選立候補を認めていなかったのだ。日刊新聞ボストン・グローブやシカゴ・トリビューンなどのメディアでも、黒人女性のミッチェルは候補者に“ふさわしくない”と論じた。ミッチェルの得票数は1,075票ぽっきりだった。
その他、無所属で大統領候補になった黒人女性に、76年に地域活動家で人民党(71結党、77年解党)から立候補したマーガレット・ライトや、自ら立ち上げた第三政党「Looking Back」から3度(84年、92年、2004年)立候補したイザベル・マスターズがいる。
88年、無所属で立候補した心理学者のレノラ・フラニは、女性として、またアフリカ系米国人として初めて、50州すべての投票用紙に名前が記載されることとなり、それまでに米大統領選に立候補したどの女性候補者よりも多くの得票数を得た。教員のモニカ・ムアヘッドも労働世界党から3度(96年、2000年、2016年)立候補している。
バラク・オバマが大統領に選ばれた2008年には、ジョージア州の元下院議員シンシア・マッキンニーがアメリカ緑の党の指名候補となった。そして2012年にはペータ・リンゼイが社会主義解放党から立候補している。共和党から指名候補となった黒人女性は一人だけ。「新しいタイプの共和党員を増やすため」と、99年にフロリダ州から立候補した宗教的保守派のエンジェル・ジョイ・ジャービスだ。
大統領候補にまでなったにもかかわらず、これらの黒人女性たちの存在はほとんど知られてこなかった。
全国的に名が知れ渡るも、支持を得られなかったシャーリー・チザム
しかし、1968年に黒人女性として初の米連邦議会下院議員となったシャーリー・チザムの場合は、72年に黒人として、また女性として初めて民主党大統領指名争いに立候補したとき、長年の公職経験から全国的にも名を知られていた。
民主党大統領指名への立候補を表明するシャーリー・チザム
Don Hogan Charles/New York Times Co. via Getty Images
チザムが掲げた選挙スローガンは「誰にも買収されない、誰の指図も受けない(“Unbought and Unbossed”)」。選挙資金のほとんどを自身のクレジットカードで支払ったというチザムは、公民権と貧困に焦点を置いた。しかしチザムは激しい女性蔑視主義者の標的にもなり、ニューヨーク・タイムズ紙の記事には、チザムの外見について「美しい(ものではない)。痩せこけて骨張った顔、平ぺちゃな鼻、ビーズのように小さな目、首元も手足もガリガリ。出っ歯のせいもあって話し方は舌足らず」と散々な書かれ方がされている。黒人からも女性からもほとんど支持を得られなかったチザムが予備選挙で勝つことはなかった。
チザムの後に続き、イリノイ州上院議員のキャロル・モーズリー・ブラウンや今回のカマラ・ハリスが連邦議会議員から大統領予備選に立候補したが、結果はほとんど変わらない。ハリスは2020年度民主党予備選挙に立候補し、2019年12月に選挙戦から撤退している。
2019年、ニューヨーク市ブルックリンに誕生したシャーリー・チザム州立公園にあるアーティストのダニエル・マストリオンによる壁画
Catesby Holmes, CC BY
メディアが真剣に取り上げてこなかった黒人女性たちの挑戦
上記の候補者ならびに政府要職を目指したその他の黒人女性たちが、その思いを実現できなかったのはなぜなのか? 筆者の研究によると、ほとんどの場合、米国の黒人女性の大統領候補者は候補者名簿に名が載ることがなかった。載ったとしても、資金を調達することができなかった。
それもそのはず、黒人女性候補者が現れてもメディアが真剣に取り上げないため、メッセージを広く伝えることができず、米国の有権者のどの層からも(アフリカ系米国人層、女性層も含めて)実質的な支持を得られなかったのだ。自分と見た目が似た誰かがホワイトハウスを目指しているという考えに勇気づけられた人たちでさえも、彼女たちには勝ち目がないと考えていたのだ。
オバマ大統領のもとで2期に渡り副大統領を務めたジョー・バイデンは、政権トップの職務をよく把握している。バイデンがハリスを副大統領に選んだのは、自身の選挙戦の力となってくれただけでなく、国を統治することへの覚悟ができているからだろう。
副大統領を二期務めたバイデンは政権トップの職務をよく分かっている
Mark Makela/Getty Images
アフリカ系米国人にとって、またアジア系米国人にとって、そして長きに渡りさまざまな政治局面から締め出されてきた女性たちにとって、2020年11月は大きな転機となった。
著者
Sharon Austin
Professor of Political Science, University of Florida
※ 本記事は『The Conversation』掲載記事(2020年11月10日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
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