Genpatsu

(2011年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 169号より)




「七転び八起き」は失敗を繰り返しても立ち上がるタフさを讃える言葉だが、数字が若くなって「二転三転」となるとよい意味では使われない。福島第一原発事故の対応では、東京電力の海水注入をめぐる説明が二転三転、もはや何を信じたらよいのか……。

福島第一原発1号機の爆発後の緊迫した状況の経緯を官邸発表の資料で見ると、3月12日の午後6時に菅直人内閣総理大臣が冷却に海水を使うことを指示し、実際に注入が実施されたのが午後8時20分ごろ。

ところが東京電力が、7時過ぎに海水の注入を始めたのだが、「これを聞いた首相が激怒したとの情報が入って」、1時間あまり中断したと5月20日に発表した(報道)。

はた目には1時間ほどの注入の停止など、大して重大でないと思えるかもしれない。しかし、これが事故対応を遅らせて事態をいっそう深刻にしたとなると、当事者たちは責任問題という飛んでくる火の粉を消すのに必死だ。

首相はそもそも注入開始の連絡を受けていないと否定。実は、官邸指示は班目原子力安全委員長が再臨界の可能性を指摘したので見送られたのだとの発言まで飛び出してきた。班目委員長は、原子力の専門家である自分に対する侮辱だと、この時ばかりは語気を強めて切り返していた。結局、「再臨界の可能性はゼロではないと言った」と、発言のニュアンスが変わった。

「可能性はゼロではない」⇒「可能性がある」との変化は伝言ゲームではありがちなこと。そう解釈していたら、またまたどんでん返しが起きた。

実は中断していなくて、所長の独断で注水を継続していたと東電が発表したのだ(26日)。これには班目委員長も「いったい私は何だったのでしょう」

こうして、二転三転劇に幕が下りたのだが、事実はどちらだったのだろうか? 原子炉の状態を示すデータが公表されていないので真相は闇の中だ。

命の安全に関することが二転三転しては、背筋が寒くなる思いだ。事故調査と検証を徹底して真相究明してもらいたい。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)