訛りが恥ずかしくて人前で積極的に話せません
Q: 高知県から神戸に出て来て2年なのですが、
話す時に訛りがひどいのと声が高くて恥ずかしいです。
落ち着いている時はいいんですが、興奮して話す時は声や訛りがひどくてひかれていないか心配です。
いろいろ考えているうちにあまり人前でも積極的に話せなくなってしまいました。
販売員さんはあまり知らない人でもスラスラ話せますか?
どうすれば訛りなどを気にせずに人と会話できるでしょうか。 (女性/20歳)
A: 恥ずかしいと思うことは全然ないねん。
声が高いとか、訛りとかはその人の特徴なんよ。
標準語の綺麗な言葉でしゃべっている人の中にも、その人の言葉に包み込むような感じや心が見えてこない場合があるやん。
「立て板に水」と言うけど、そういう話上手な人の言葉でも、含みがなくて上っ面だけの場合もある。
聞く側の方にしてみたら、その人が本当に言いたいこというのんが見えてこないねんな。
俺はどっちかというとガサツで、ものすごく口下手やねん。
若い時はやっぱり悩んだこともあったな。
人間不信で誰ともしゃべりたくない時期もあったし、「俺は口下手で人見知りもして」って自分がそう思い込んでしまっていて。
標準語や敬語をしゃべろうとしたらどもるし、緊張して言葉が出てこない。
言葉が出てこないということは、自分の気持ちを相手に伝えられへんいうことやろ。
だから誰と話す時でも自分の言葉で話すようにした。
今でも口下手やけど、それが欠点やとは思ってないねん。
へたに上手くなろうとしたら、かえってあかんかったやろうと思う。
女の人で厚化粧する人がいてるやん。
その化粧がその人の輪郭とかに合っていればそれはそれで綺麗だけど、そこに無理が見えていたら不自然なときあるやろ。
コンプレックスを隠すために目をそらさせようとするんだけど、逆にそれが目についたりするときがある。
人間の言葉とか態度とかいうのんも同じで、より自然な姿の方が人間はきれいなんやないかな。
この人は無理せんと自然のままでおった方がええよ。
自分のことをもっと大事にして自分を好きになってもらわんと。
高知の言葉って親近感もてるで、なあ。
大阪やからってみんな大阪の人間ちゃうし九州四国の人も多いやん。
無理してなじもうとして変なイントネーションになるよりも、聞いている人の印象に残る自分の言葉でしゃべった方がその子も得なんやないかな。
これからつき合っていく人に対しても、自分の言葉で相手がしゃべってくれてるかどうか見た方がええねん。
言葉の向こうに心が見えるかどうかというのはものすごく大事なことやと思うねんな。
(回答者/大阪/K)