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その典型は、サバやアジである。実際、国産で獲れるサバはほとんどが食用にできないほど小さく、餌や飼料用になるものが多い。

「獲るのを1年待てば、食用として市場に出せるのに、漁船団の競争があるため、それが待てない。その結果、日本の海にも消費者のニーズを満たすだけのサバもいるにもかかわらず、実際に食卓に上るサバは約7割がノルウェー産という構造になってしまっているんです」

「それに、政府の補助金といっても漁船費用の半分は自己負担だから、漁業の現場には借金が残り、借金返済が乱獲体質に拍車をかけた。漁船など工業製品を売った人たちはすぐに補助金で代金回収できたことを考えれば、実は日本の漁業や海は工業化社会のマーケットの一つとして利用されたにすぎなかったのではないかと思えるんです」





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多種多様な日本沿岸の魚を、いつどのように食べるのか?海の“物語”を失った日本人



成人病にかかった海、漁業の乱獲体質…。そんなさまざまな日本の漁業をめぐる変化を背景に、悲しいことに私たち消費者の味覚やニーズも変わってしまった。

例えば、今や子どもが好んで食べるのは、マグロやサーモン、ネギトロなどがトップクラスで、ほとんどが回転寿司メニュー。「消費者がほしがるのは脂が乗った魚か、砂糖が入ったもの、つまりは寿司。魚を売る側からすれば、脂の多いものは冷凍に強いため、原価率を下げられるし、シャリの甘みで本来の魚の味もあまり問われない。ネギトロなどはほとんどがイワシ油で、食用というよりどちらかといえば、飼料に近い」と話す。





鷲尾さんによれば、消費者のニーズは世界中のおいしい魚を食べあさるセレブ的グルメか、本来なら食用にしなかったような加工食品に二分された、と言う。そして加工食品はその魚資源をペットフードと取り合う。

そんな消費者ニーズから抜け落ちていったのは、イワシ、アジなどの大衆魚やその地域の沿岸で獲れる多種多様な地魚たちだった、と言う。

「昔は、多種多様な魚を目利きできるプロの魚屋が対面販売で地元の魚のおいしい食べ方を教えていましたが、末端の魚屋がスーパーに代わり、魚が値段だけで大都市圏に出荷されるようになると、多種多様な魚をどの季節にどのようにおいしく食べ、バランスよく栄養をとるのかという“物語”が途切れてしまったんです。

その結果、見た目がキレイで調理しやすいものだけが好まれるようになり、それ以外の魚は水揚げしても養殖の餌や飼料になって、日本の食卓から姿を消していったのです」





寿司くいねー





そうして、かつての栄光から置き去りにされた日本の沿岸漁業。今や、後継者となる担い手も少なく、漁業の圧力も薄まったためか、30年ぶりに貝や魚たちも徐々に戻り始めていると言われる。

「不景気が続いたことも影響して、瀬戸内海は局所的に貧栄養体質に戻りつつある」と、鷲尾さんは指摘する。

「日本の漁業が没落した真の原因は、魚がいなくなったこと以上に、日本沿岸で獲れる多種多様な魚を資源として活用する能力を私たちが失ってしまったことにあった。魚が戻り始めた今、今度は私たちが多様な日本の海とのかかわり方を試されているのかもしれません」

(稗田和博)




わしお・けいじ

1952年、京都市生まれ。京都大学大学院農学研究科水産学専攻博士課程修了。明石市林崎漁協に就職後、イカナゴ「くぎ煮」の普及など明石の魚の宣伝マンとして活躍。林崎漁業協同組合企画研究室室長を経て、京都精華大学人文学部教授(肩書きは掲載当時)。現在は、独立行政法人 水産大学校理事長。著書に『ギョギョ図鑑』(朝日新聞)、『水の循環』(藤原書店)などがある。