「私たち」が歴史を塗り替えていく〜世界の市民運動のうねり〜
イスタンブール・タクシム広場、アラブの春、オキュパイに、「反原発デモ」や「モンサント反対デモ」―――。世界の路上で行われている市民運動の今と、その系譜。
トルコ・イスタンブールのタクシム広場で何が起こっているのか?
この曲は、イスタンブールのタクシム広場で現在起こっていることについて、自分たちの日常生活の一部であるストリートで、鍋やスプーン、グラスなど、身の回りにあるものを、楽器代わりに演奏しながら、 一般市民たちが歌い、タクシム広場で現在巻き起こっている暴動の映像と、祖国に対する熱い想いを重ねあわせている。
現在、トルコで起こっている暴動について、欧米人と話していると、いつも引っかかるのは、"文明化=シビリゼーション"という言葉だ。非欧米人である、私からすれば、欧米のような"文明化"が正しいかどうかは疑問符が残る。
西洋社会のような"文明化"が正しいと思い込んでいるから、欧米人と議論していても、そこから先が見えてこない。トルコでは、西洋社会のような"文明化"は進んでいないが、独自の文化が存在するのだから。
現在、トルコ・イスタンブールのタクシム広場で起こっている暴動は、なぜ起こったのか? イスタンブールの中心に位置するタクシム地区が、オリンピック招致のために公園の取り壊しを決めたことに反対派が座り込みを始めたことが、発端だとされている。しかし、暴動がトルコ全域に拡大するにつれ、トルコ与党のエルドアン首相の辞任を要求する反政府デモへとかたちを変えていった。
なぜ、ここまで市民運動が暴動と化してしまったのか? それは、トルコ政府が行なった過剰な強制排除への反対運動に多くの人が共感し、募っていたエルドアン政権への不満がかたちとなって現れたのだと考えられる。
市民運動が拡大しない理由
3.11をきっかけに、日本でもデモなどの市民運動が活発になった。特に顕著なのが、日本各地で継続的に行なわれている反原発運動だ。
私自身もオランダ・アムステルダムで「HOPE STEP JAPAN!」の一員として、地元アムステルダムの幾つかの脱原発グループと提携しつつ、日本の被災地支援、および脱原発運動を定期的に行なっている。
現在、オランダではボルセラ (Borssele) 原発が1基のみ稼働しており、新規の原発建設は事実上凍結されている。
この2年、「HOPE STEP JAPAN!」の活動を通じて感じたことは、オランダでは、なかなか脱原発運動の輪が思うように広がっていかないということだ。もちろん、オランダ市民も、脱原発を望んでいる人は多い。しかし、実際に私たちの活動を直接支援して下さっている一般市民は、オランダに暮らす日本人、日本人のパートナーや友人を持つオランダ人、何らかのかたちで日本に縁やゆかりがある人がほとんどである。
これまで、オランダの多くの人々が共感し、積極的に行動を起こしてきたのは、主に、オキュパイ運動、LGBT運動、つい先日行なわれたモンサント反対運動である。オランダは市民運動が日常的に行なわれる土壌があった。チェルノブイリの原発事故を経て、特に食品においては、多少なりとも被害を被ったので、脱原発にはもっと関心があってもよさそうだが、脱原発運動は、オランダの多数の市民の共感を呼ぶレベルに達していないのは事実だ。
このような問題は、オランダのみならず、オランダの近隣諸国〜ドイツを除いた、イギリスやフランス、ベルギー、そしてアメリカにおいても、同様の問題を抱えているようだ。
市民運動は、突然恋に落ちるのと似ていると、市民運動に詳しい私の友人が話していた 。この言葉を読み解くと、市民運動は決して努力だけで広がるものではなく、その時代の背景や状況、参加者の想い、運動の人数と規模、タイミングなどの様々な要素がミックスされ、最終的に「偶然性」が反響し、すべてが一致した時に、大きなうねりを生み出していくものなのかもしれない。
市民運動の現在〜日本のマルチ・イシューとシングル・イシュー
現在、日本の反原発運動や官邸前抗議は、幾つかの派閥に分かれている。それぞれ原発をなくしたいという気持は同じなのだが、反原発運動に原発の問題をどこまで取り込むかが、主催者によって異なることが、大きな争点になっている。
日本の反原発の市民運動は主に以下のように分類できる。
1.シンプルに「原発反対」のわかりやすい”シングル・イシュー”を掲げている市民団体・市民グループ (首都圏反原発連合、TwitNoNukes、NO NUKES MORE HEARTSなど) :この”シングル・イシュー”には、原発事故による食の安全、福島の子どもたちの避難、原発事故で被ったあらゆる被害・保障、経産省前テント、原発輸出の問題、原発労働者、原発事故による失業や健康被害なども含まれている。
2. あらゆる問題を取り入れた“マルチ・イシュー”の市民団体・市民グループ:貧困問題やTPP問題など、より広義的な意味で原発と関わる周辺問題を含んでいる。
これらの市民活動グループの関係を見てみると、1の中にも”シングル・イシュー”をめぐる細かな解釈の違いがあったり、 ツイッターやフェイスブックに代表されるSNS (ソーシャル・ネット・ワーキング)では、「反・反原発派」と呼ばれる、いわゆる反原発デモや抗議に反対する人たちも存在し、反原発運動が始まってから、2年が経過した今、これらの派閥の層は複雑化している。
オランダの市民運動の基本はシングル・イシューである。なぜ欧米では、シングル・イシューのデモが多く存在するのか? なぜマルチ・イシューでは存在しにくかったのか。ご周知の通り欧米では移民が多く、文化、宗教、言語、価値観の違う人たちと共に、主義主張をひとつに結束していくために「シングル・イシュー」が必然的なかたちだったと思われる。
きっと市民運動の理想形としてふさわしいのは、各イシューに応じたシングル・イシューのシンプルでわかりやすいデモや抗議活動が行われること。そして、気になるイシュー、 自分の主義主張にあったデモを自ら選び、気軽に参加できるようなシステムを、市民それぞれが構築すること。それが存在していける社会があることだ。欧米先進諸国では、それが市民の権利として日常に存在している。
<後編に続く>