<前編を読む>
欲望の原形、権力の象徴としてのお金。平和な時代に金貸しがはびこる
天皇から寺院、幕府、庶民にいたるまで、古今東西、多くの人を困惑させ、時代の背後に潜んで歴史をも動かしてきたお金。この摩訶不思議なお金は、そもそも人間にとってどんな存在だったのだろうか?
水上さんは、貨幣の始まりをこんなふうに解説してみせる。
「まだ貨幣という概念が存在していない時代、当時先進国だった中国から銅銭が入ってきましたが、それを初めて目にした人たちは、円形で中央に穴が開き、ピカピカに光った金属を珍品と見たのではないかと思うんです。
しかも、加工技術がない時代だから、みんな同じような形をしている貨幣は物珍しく、宝石を蒐集するみたいに集めたくなった。それは、子どもが河原でキレイな石を拾い集めるような、他人が持っていない珍しいものを所有したいという人間の欲望の原形だったのではないでしょうか」
貨幣が登場するまで、物々交換の主要な役割を果たしていたのは、日本においては「米」や「絹」だった。とくに「米」は他の食糧に比べ、長期間の保存がきくため、お金のような役割を担うことができた。つまり、物を交換する際に腐りもしなければ、目減りすることもない貨幣は、豊かさや価値を保存する上で最も適した物質として普及することになったのだ。
また、お金は国を統一する手段の一つであり、時の権力の象徴でもあった、と水上さんは話す。
「天下を統一するということは、必然的に度量衡から言語に至るまで画一化したシステムをつくるということです。だから、価値を画一的に計る貨幣という存在は国を治める上でなくてはならないものでした。世界で最初に紙幣を発行したのはチンギス・ハーンのモンゴル帝国ですが、単なる紙切れに相応の価値を保証できたのは、朝鮮半島から東ヨーロッパに達する史上最大の帝国という絶対的権力があったからです」
貨幣の誕生から日本史を縦断し、お金と人間の抜き差しならない関係を見てくると、平成という今の時代も、また違ったかたちに見えてくる。
「日本史の中では、金貸しがリセットされたことが少なくとも3度ありました。戦国時代と明治維新、それから第2次世界大戦の時で、誰がいつ死ぬかわからない、みんなが命を賭けて生きている時代に金は貸せなかった。逆に、百花繚乱のごとく金貸しがはびこったのは、太平の世といわれた江戸時代です。皮肉な言い方ですが、歴史の上だけで見れば、消費者金融が長者番付の上位を独占していた頃は、それだけ平和な時代だともいえます」
欲望をどこで抑えるか、お金のセンスを磨く
現在、水上さんは、消費者が「お金とは何か?」について考える場を提供する「NPO法人 マネー・マネジメント・アソシエーション」の事務局長として、お金のリテラシーについて教育する活動を行っている。
ただ、「お金のリテラシー」といっても、一概にお金の節約、貯蓄が美徳であることを教えるようなことはしない。賢いお金の使い方を身につけるのが難しいことは、歴史がすでに証明しているからだ。
「今や、政府の借金は約800兆円(編集部注:2013年11月現在、1,000兆円を超えました)です。一人当たり約600万円、地方の借金を入れれば1000万円も、私たちは次世代から借金している計算になる。これだけ多くの借金をみんながしていた時代は、おそらく歴史上もなかった。頭のいい人たちが寄ってたかって国会で審議して、お金の使い方を決めてもこの程度なんです。だから、個人がお金で失敗しても、そんなに恥ずかしいことじゃない」
そもそも全員が質素倹約、貯蓄を始めたら、それこそ国が金詰まりを起こして、経済がたちまち立ちゆかなくなる。
「結局、お金というのは、人間の欲望そのもので、欲望が人類を発展させてきたとすれば、お金は人生ともいえる。人生に振り回されるなと言っても至難の業ですから、お金のリテラシーというのは、人それぞれ自分の欲望をどこで抑えるか、お金のセンスを磨くということに尽きる」
「むしろ大事なのは、お金はコントロールできないものだということを知っておくことです。そのためには、時々お金について考えてみる。自分はお金で何を失ったか、お金で買えないものは何なのか、と。そういうことが必要だと思いますね」
(稗田和博)
Photo:鈴木奈保子
みずかみ・ひろあき
1955年、北海道札幌市生まれ。「NPO法人 マネー・マネジメント・アソシエーション」事務局長。立教大学法学部卒業後、社団法人「日本クレジット産業協会」に勤務。そのかたわら、「金貸し」と「借金」に関する文献を読み漁り、独自の視点から日本通史を提示。著書に『金貸しの日本史』(新潮新書)、『クレジットカードの知識』(日本経済新聞出版社)がある。