収束? 否、拡大する原発事故。2年目の4万人参加集会 [原発ウォッチ!]

Genpatsu

(2013年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 211号より)

収束? 否、拡大する原発事故。2年目の4万人参加集会

あの事故から2年、3月9日から11日にかけて「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」が東京の明治公園を皮切りに開催された。

明治公園には1万5000人が集まり集会とデモ行進を行った。翌日10日は経済産業省や首相官邸周辺でデモと抗議行動が行われた。報道によれば、こちらには4万人が参加した。11日の屋内集会には1000人を超える人たちが集まり、フクシマを忘れない、フクシマとつながり原発の再稼働を認めず、脱原発を求めていく思いを参加者のみんなが共有した。

内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、澤地久枝さんら「さようなら原発1000万人署名・市民の会」の呼びかけ人によるアピールは、原発は速やかに廃炉作業に入る、新増設は行わない、再処理工場やもんじゅの運転を認めない、再生可能エネルギーの普及・開発を最大限に促進する、廃炉過程における立地自治体の支援などの政策を進めることを政府に求めた。呼びかけ人たちの発言の他に、福島ほか原発の立地する茨城や青森、静岡、北海道などの参加者から、また被災者を支援している市民グループなどからリレートークが行われた。

福島の今はどうなっているのだろうか? 復旧や復興が進んでいるのだろうか? 原発立地の地元浪江町から避難している教員の柴口正武さんの報告は、原発災害は進行中で、福島の人たちは3つの苦しみがいっそう重くのしかかり、困難に直面しているとのことだった。

3つの苦しみとは、いまだに高い放射線環境の中で暮らし続けることの苦しみ、観光や特産品に対する風評被害の苦しみ、そして自宅に帰ることができない苦しみだ。

柴口さんが浪江町の自宅に戻ったのはこの2年間にわずか7回。地震で壊れた家はそのままでまったく手がつけられていない。住まない家はどんどん朽ちていく現実。浪江町の人たちの苦しみはさらに重く、厳しい決断に迫られている。だからこそ、福島の悲劇を繰り返したくない、福島で脱原発をまず実現したい!と柴口さんは結んだ。事態は収束するどころか、拡大しているのだ。

この日は全国各地20ヵ所以上で同様の集会が行われた。脱原発とは金と権力の横暴がつくってきた社会を変えていくこと。鎌田慧さんのこの訴えは参加者のみんなの心に届いたことだろう。

伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)