コケはあなたを待っている-コケ愛でる若き女性、田中美穂さんに聞く
若い女性で古本屋「蟲文庫」の店主、しかもコケが大好きという田中美穂さん。
花やハーブではなくて、なぜコケを?
田中さんが語る、コケの不思議な魅力と楽しみ方。
(田中美穂さん)
『苔とあるく』研究じゃない、あくまで趣味
あなたは「コケ」の名前を一つでもあげることができるだろうか? すぐに名前を思い浮かべられる人はごく少数だろう。
日本庭園はもちろん、身近な公園や民家の軒先や庭など、誰もがどこでも目にしているのに、「コケ」は自己主張しない控えめで地味な植物だ。そんなコケのことを暇さえあれば、眺めては楽しんでいるのが田中美穂さんである。
そこで、コケの世界への案内を乞おうと、田中さんが倉敷で営む古本屋「蟲文庫」を訪ねた。風情ある古い町屋の一軒、その店先から漂う摩訶不思議なオーラが店内に足をふみ入れると一段と濃くなる。手作りの本棚や壁に並ぶ古本、古い地球儀や顕微鏡などの理科グッズ、水槽のカメたち、店の奥のガラス戸の向こうの坪庭とコケむした石垣に差しこむ陽光。田中さんからコケの話を聞くのは、心地よかった。
そもそも田中さんがコケに興味を抱いたのは、高校のときに在籍していた生物部での体験だった。顧問の先生の研究対象が、一生の間で動物的な時期と植物的な時期をもつというおもしろい生き物、変形菌だったので、変形菌を求めて部員仲間とともに山の中をはいずりまわったのだという。
「変形菌はコケよりもっと地味というか、小さい。コケはそれでもその辺に生えていますが、粘菌はちょっと真剣に探さないと見つからないんです。その存在を知らないと見えてもこないくらい。そのころに、小さいものにピントを合わせる習慣が身につきました」。
その後、「岡山コケの会」に入った田中さんは、コケへの興味をますます深め、昨年10月にコケの楽しみ方を著書『苔とあるく』にまとめた。
だが、田中さんはさらりと言う。「大学で研究されている方とは違って、あくまでも趣味なんですよ。ちゃんと分類もしたいので顕微鏡で調べることもしますが、研究をしているつもりは全然ないんです」
コケという「生き方」。根がない、死んだふり、朝露が大好き
(田中さんのコケの標本)
コケは地球で最初に陸上にあがった緑だという。
コケが原初の植物だという特徴の一つは、根がないことだ。
「一応はあるんですけれど、コケの根っこは地面や岩に張りつく役割を果たしているだけ。手で簡単にはがせる程度に張りついているだけです」。ふつう、植物には根から水や養分を吸い上げるストローのような維管束があり、その回りをロウ状のクチクラ層が管の中のものを外に蒸発させないように守っている。けれど、それは植物の進化の過程でできたもの。コケにはないのだ!
では、どうやってコケは水分を身体に取り込むのだろうか。実は、コケは身体の表面全体から、蒸気など空気中のかすかな水分などを取り込んでいる。だから、コケにとって何より大切なのは、その場の空気(環境)なのである。
一方で、コケならではの強みもある。
「乾燥してもそのまま枯れずに休んでいられるという特性があります。乾いてもしばらくは大丈夫、カラカラのところに生えたりもしますね」。つまり、コケは「死んだふりができる」のだ。「冬眠とか、仮死状態とか、休眠という言葉が一番しっくりきますけれど、ほかの植物とは別の生き方をしている。休眠中は呼吸もほとんどしないし、栄養も取らない。光合成もしなくなるんです」
それは、どれくらいの期間なのだろうか?
「まだ、はっきりとはわからないんです。何年も、中には何百年も休眠するものもあります。ただし、コケが枯れたかどうかはなかなか決められないんです。かなり古く茶色くなった標本でも、そこから絶対生えないとはいえない。とにかく何ヶ月かはまったく平気ですから」
<後編「「コケ」という、地球が最初に着た緑の着物(2/2)」に続く>
(2008年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 93号より)