現代でも、世界各地で人身売買が絶えることなく、今も横行している。人身売買された経験を持つイギリス在住のアンドレイさん(36歳)にインタビューした。
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思いがけず訪れたアメリカ行きのチャンス
ある日、アンドレイさんの友人が、アメリカでの船員の仕事を、リトアニアの新聞の求職欄で見つけた。最初にアンドレイさんがこの話を聞いた時、こんな時代にリトアニアからアメリカに仕事で行けるなんて信じられなかったという。
だが、早速面接に行ってきたという船員仲間から話を聞くと、かなり信憑性がありそうだった。そこで翌日、友人と一緒に求人の仲介役であるリトアニアの会社を訪問することにした。
このリトアニアの仲介会社の話では、会社側が雇用、渡航費・滞在費・当面の生活費を先払いし、立て替えたお金は、仕事をしながら少しずつローンで返済していくという話だった。アンドレイさんと友人は、このチャンスを逃したら、もうアメリカ行きの夢を実現できないかもしれないと思い、その日にアメリカ行きを決めてしまった。リトアニアの仲介会社からも、この仕事は急ぎなので、1日でも早くアメリカへ行ってほしいと言われた。
そうこうしているうちに、アメリカの会社から FAXで招待状が送られてきたので、それを持って、在リトアニアのアメリカ大使館へビザの申請へ行けと言われた。
大使館では、アメリカの会社からの招待状と船員パスポートを見せて、1日も早く出国しなければならないから、ビザを早急に発行してほしいという旨を伝えた。大使館側は緊急だということを理解してくれて、普段は数週間かかるところを、わずか数日でビザを発給してくれた。
それから数日後、アンドレイさんと友人はリトアニアの仲介会社に戻り、大使館から正式発給されたアメリカのビザを見せると、仲介会社の男は2人に100ドルずつの現金をアメリカ国内での食費・交通費として手渡し、航空券、スーツケースの超過荷物料金、必要書類の作成を手早く行なった。
仲介会社が手配してくれた航空チケットは、ヒューストンまでで、そこにアメリカの会社から迎えがきて、デトロイトに行くということだった。
渡米までの準備期間はわずか数日だったが、アンドレイさんは、しばらくはリトアニアに戻らないつもりだったので、大切なものはすべてスーツケースに詰め込んだ。たくさんの荷物と夢と希望を抱えて、アンドレイさんと友人がアメリカに旅立ったのは、21歳のときだった。
アメリカへの旅立ち
アメリカ・ヒューストン空港の入国審査で、質問攻めに遭い、すぐに別室に連行された。
入国審査官に必要書類を手渡すと、雇用契約書先であるアメリカの海運輸会社にすぐに連絡をした。しかしこの契約書が偽物だと発覚したため、アンドレイさんと友人は別々の部屋に連行され、長時間の聞き取り調査が行われた。
アンドレイさんと友人は、何が起こったのかわからず、ただただ戸惑うばかりだった。数時間後、アンドレイさんと友人はリトアニアに強制送還されることが決まり、あまりにも不可解な展開にショックを隠せなかった。
ところが、リトアニアへの強制送還の手続きが進む中、アンドレイさんたちが働く予定だったアメリカの海運輸会社の雇用主が再び連絡してきた。雇用主は「彼らは船員パスポートも持っているし、すでにアメリカまで来ているのだから、うちの会社で正式に雇ってあげてもいいよ。」と言う 。
この予想外の展開に、ヒューストンの入国管理局も驚いていたが、アンドレイさんと友人がその会社で働きたい意志があることを確認すると、海運輸会社はすぐに正式な契約書をFAXで送ってきて、正式雇用が成立。
アンドレイさんと友人は、ヒューストン空港の入国管理局に5時間以上足止めされていたが、晴れてヒューストン空港の入国審査を無事通過し、 初めてアメリカの地を踏むことができた。
アンドレイさんと友人は、何かの手違いだったのだろうと、リトアニアの仲介会社が手配したという、ヒューストンで待ち合わせをしていた男の携帯番号に電話をした。
しばらくすると、男がヒューストン空港に迎えにきた。男は「なかなか出てこないから、何があったのかと思って心配したぜ。もう大丈夫だ、安心しろ。」とのこと。強制送還されてしまうかもしれないという恐怖と不安で一杯だったアンドレイさんと友人は、アメリカで聞いた故郷の優しい言葉に安堵感が広がった。その男は「今から会社に連れていくから、そこでゆっくり話をしよう。」と、2人を車に乗せた。
しばらく車に乗せられて、どこかの町の雑居ビルの1室の簡素な事務所に到着。アンドレイさんたちは空港でのいきさつを説明した。スーツを着た男は「書類に手違いがあったようで迷惑をかけたな。しかし君たちがアメリカの海運輸会社と正式に契約しているのは間違いないから大丈夫だ。」とのことだった。
「リトアニアを出発した時に仲介会社から手渡された100ドルとパスポートが住民登録のために必要だから、少し預からせてほしい。」2人は何のためらいもなく差し出した。「長旅で疲れているだろうからすぐに住居に案内するよ。今日はゆっくり休んで、明日もう一度話そう。」と男は優しい声で言った。
ここにきた時とは別の男が再び車を走らせて、 イリノイ州シカゴ近郊の小さな町にあるという、小さな一軒家の住宅に到着したのは、すでに深夜前だった。
その家に入ると、リトアニア国籍の男たちが7−8人と、アメリカ人らしき白人が数名いた。スーツケースを入れて、住人たちに挨拶した。アンドレイさんと友人は酷く疲労困憊しており、今すぐにでも眠りたかったので、自分たちの部屋はどこかと聞いた。
しかしアメリカ人から「リトアニア人には部屋はなく、みんな雑魚寝状態だから、好きなところにマットレスを敷いて寝るように。」と言われた。
それを聞いていたひとりのリトアニア人の住人が、聞き慣れた故郷の言葉で「お前たち偉いとこに来たな…。ここは地獄だぜ…。」と、 ぽつりと吐き捨てるように言った。しかし長旅を終えたばかり2人には、疲れが押し寄せてきて、もう話をする気力さえも残されていなかった。アンドレイさんと友人は、着の身着のまま、その場で倒れ込むように眠りについた。
<part3に続く>