『ヒンツ&クンスト』誌:「ボランティア」というだけで非常に高く評価されがちではありますが、善い行いをすることに問題があるのでしょうか?
ジルケ・ヴァン・ダイク教授:ボランティアする人たちを批判しているわけではありません。社会はもはや、ボランティアの存在なくして機能しません。しかし、メディアなどでは、“神対応”などと特別扱いされすぎではと思います。とにかく素晴らしいとされ、ボランティアは労働者の権利や報酬といった“世俗的”なことに興味がない人たちかのようです。かつて労働組合の「Ver.di *1」が、「労働協約は空から降ってこない(Collective agreements don’t fall from the skies)」というスローガンで大々的なキャンペーンを展開し、働く人には権利や保護が必要だと訴えたことがありますが、問題なのは、有資格者が働くべき分野でただ働きしている人がたくさんいることです。
*1 参照:https://www.verdi.de
ー「国はボランティアにつけ込んでいる」とも指摘されていますが、ボランティアは自らの意思で支援しているのですよね?
法律では国がサービス提供すべきと定めていながら、実際はボランティアが担っている分野が多くあります。たとえば、すべての子どもは保育園に通える権利があるにもかかわらず、国にはこの法的要件を満たす十分なリソースがありません。また、さまざまな理由で離別している家族の子どもの監督もそうです。公共の義務であるはずなのに、ドイツ国内の多くの地域で、児童保護局はこの業務をボランティアにまかせています。ボランティアなしに機能しない分野が多すぎるのです。とくに、難民支援や介護の分野では危機的といえる状況です。
ーボランティアがいなかったら、国はまわらないと?
生活に必要不可欠な、社会へのアクセス可否を左右するような社会事業は、公的資金で透明性をもって運用すべきです。たとえば、食料支援、ケアサービスの提供、難民支援、全日制の学校教育といったコア分野です。こんなことを言うとすぐに、そんなリソースはないだろう、との反論が聞こえてきますが、問題なのはリソースが十分にあるかどうかではなく、どう配分するかです。個人の家庭と違い、国はその収入(予算)をコントロールできるのですから。フードバンクもそうです。ドイツのような豊かな国で、人々が食べていけるようにすることは、本来ボランティアの仕事ではないはずです。
ー「教育を受けたプロと、献身的なアマチュアの線引きがあいまいだ」とも指摘されています。具体例を挙げてもらえますか?
よく取り上げられるのは介護分野です。社会的支援と医療ケアの線引きはじつに不透明です。たとえば、ボランティアのヘルパーが高齢者を散歩に連れ出し、その人がトイレに行きたがる場合など、どこまで手助けできるものでしょうか。そこまで分かりやすくなくても、たとえば、ドイツ語のコースに出席して、正式な資格を持っていない人がボランティアで先生をしていたらどうでしょう? ドイツ語が話せることと、ドイツ語を体系的に正しく教えることに大きな違いがあることは、皆さん、よくご存知ですよね。
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ーこの「脱プロ化」はメリットよりデメリットの方が大きいと?
はい。特に、明確なプロの線引きがされていない社会的職業においては、デメリットが大きいと思います。人助けをする仕事ほど、その立場が十分に認められていないからです。心が広い人であれば問題なし、とまで言う人もいます。でも、医療分野でも同じことが言えるでしょうか。
ー引退した医師が、ボランティアで医療支援するケースもありますね。
はい、そうした支援には専門性がありますが、それらは“社会権*2”というより一種の“才能”であって、人々はありがたく享受すればよいのだと思います。
*2 基本的人権の一つで、社会を生きていく上で、人間が人間らしく生きるための権利。そのために国が積極的にかかわる必要があるという考えが背景にある。
ー「ボランティアも感謝されないと腹を立てうる」とも指摘されていますね。
はい。人々の意識にかかわらず、「支援」には階層的な関係性がついてまわります。私たちの研究から、難民支援にかかわった多くの人たちが、難民が自分たちと仲良くしたがらないことにひどく失望したことがわかりました。それでも支援者にとっては、そういう活動にかかわることが大切だと感じ、支援を続ける傾向にあります。お金をもらう仕事とはまた異なる、“自分の役割”を感じられるのでしょう。それも理解できますが、支援を受ける側にとっては(“支援される側”と固定化されることに)居心地の悪さを感じるところもあるでしょう。
ーボランティアは自分たちがしていることの意義を過小評価していませんか?
ボランティアでやってるのだからすべて楽しいに違いない、というもっともらしい見方があります。でも、支援対象者が全員、一緒にいて楽しいわけではありません。介護のボランティアをしている知人女性がこんなふうにこぼしたことがあります。「誰が、ドアを開けたとたんにわめき声を上げられる気難しい高齢者を喜んで介護したいと思うでしょうか? (訪ねるのは)私というひとりの人間であって、“ボランティア”ではありません」
Interview: Simone Deckner
Translated from German by Peter Bone
Courtesy of Hinz&Kunzt / International Network of Street Papers
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